『三宝絵詞』に見る熊野三山。おおらかな熊野信仰

こんにちは。


熊野那智大社【第3回】


開創は社伝によれば。

神武天皇東征のとき、神武天皇は熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に上陸し、那智の山に輝く「那智の滝」を神と祀り、その御守護のもと八咫烏に導かれ大和へ入った。(社伝)


こけこっこー。

当初、お社は滝に近い場所(「那智経塚」の近く)にあり、現社なの地の造営は、仁徳天皇五年(三一七年)。

鎮守社としての「別宮飛瀧大神」と「夫須美大神」を鎮祭し、併せて「国づくりに御縁の深い十二柱の神々」を祀った。(『熊野略記』・社伝共)



仏教が伝来すると、役小角(那智を第一の霊場に定めた)を始租とする修験道がおこり、那智の滝を「飛龍権現」と称し、「熊野牟須美神」の本地として千手観音を祀るようになりました。



古来の神々と仏とを併せて祀る、いわゆる「神仏習合の信仰」の熊野三山の出来上がり。

《熊野本宮大社》
家都御子神(けつみこのかみ)または家都美御子神
阿弥陀如来

《熊野速玉大社》
熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)または速玉神
薬師如来

《熊野那智大社》
熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)または夫須美神
千手観音



太古より信仰の対象であった那智の滝。



熊野速玉大社、熊野本宮大社と異なるのは、この「那智の滝」に抱いた自然信仰が熊野那智大社の始まりだという点。

つまり、まず、滝。社殿は、後。


熊野三山。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。


面白いのは、三つ子ちゃんのように、いちにのさーんっと生まれたわけではないところ。

結論から述べると、那智さん、遅咲きです。



【『新抄格勅符抄』の熊野】

『新抄格勅符抄』に収載された、806(大同元)年の太政官牒より。

766年(天平神護2年)。

「熊野牟須美神  四戸紀伊 天平神護二年奉充」
「速玉神  四戸紀伊 神護二年奉充九月廿四日奉充」


上記のように、熊野牟須美神と速玉神(新宮)に、各4戸の封戸が与えられた旨の記載があり、これが熊野の主神に関する最古の資料とされています。


ところが、『長寛勘文』(平安時代、1163~1164作成)では熊野牟須美神の記述はなく。


859(天安3)年1月27日、熊野早玉神社(速玉・新宮)と熊野坐神(本宮) 従五位下から従五位上へ。
(※天安3年は4月25日に貞観に改元)

同年5月26日、二社は従二位に進む。

863(貞観5)年3月2日、熊野早玉神は正二位。

907(延喜7)年10月2日、熊野早玉神は従一位、熊野坐神は正二位。
(同年10月、宇多上皇が熊野に参詣by『扶桑略記』)

940(天慶3)年2月1日、熊野早玉神と熊野坐神は共に正一位。

上記のように、順調に位を高めていく熊野早玉神(速玉・新宮)と熊野坐神(本宮)に対し、熊野牟須美神(那智)の名前が見られません。


【『延喜式』神名帳では】

927(延長5)年。「延喜式」完成。

神名帳の、紀伊国の項「牟婁郡六座 大二座 小四座」に記載あり。

「熊野坐神社(本宮)」・「熊野早玉大社(新宮)」

※「那智大社」の名は見られず。
 つまり、熊野本宮大社と熊野速玉大社は式内社ですが、熊野那智大社は式内社ではない、ということ。

おやまぁ。



「『延喜式』神名帳」に名前があるとは、この編纂時に神社が「あった」事を示します。

無論、記名に漏れていても「存在していた」お社はあるのですが、なぜ「那智」の名前がないのかしら。

では、当時、熊野はどんな所だったのか。


【『三宝絵詞』の熊野】

『三宝絵詞』984(永観2)年成立。

これは、若くして入道した冷泉天皇の第二皇女・尊子内親王の仏教理解のために、源為憲が作成した絵巻。

絵は逸亡し、詞書が仏教説話集『三宝絵詞・三巻』として伝来。

当時の「熊野」の世界観を伝えます。


11月。熊野八講会

「紀伊国牟婁郡に神います。熊野両所、証誠一所と名づけ奉れり。両所は母と娘と也。一所はそへる社也。此の山の本神と申す。新宮、本宮に皆八講を行う(略)。もしこの社いませざりせば、八講をも行はらまし。(略)妙法を広め聞かしめ給へるは、菩薩の跡を垂れたると言ふべし。(略)」(『三宝絵詞』下巻)



《熊野両所とは》

母と娘の関係だと言う「結(熊野牟須美神)」と「早玉(速玉神)」のことで、二神が一社に祀られていたと『三宝絵詞』では後文で記しています。


《熊野八講とは》

「法華八講」のこと。
法華経八巻を、朝夕で二度×四日間=八回、講説するもの。

『三宝絵詞』では、熊野八講では「ただ来たれる人の勧むるに従」い、講義する僧の姿は「裳袈裟を調へず」、「鹿皮の衣を着、脛巾(きゃはん)をしたり」で、「貴賤」を選ばず、老少もなかったといいます。

このように、新宮・本宮の社殿で仏教説話が行われる様子が描かれています。


「菩薩の跡を垂れたると言ふべし。」

諸国の神社への「本地垂迹説」の導入は9世紀頃より現れますが、熊野の「本地仏」について明確に記された文献は、『三宝絵詞』から100年以上経過した『長秋記』(1134年)。


「本地垂迹説について」は、こちらを見てね→→→
本地垂迹説
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9%E8%AA%AC

『三宝絵詞』には本地仏が誰で、と明示されているわけではないので、ここでは不明。既にあったかもしれないし、まだかもしれない。

しかし、「菩薩の跡を垂れたる」という言葉が示すことから、考え方として芽生えていた事はうっすらと伝わります。




このように、本宮と新宮の神様の名前や存在を示す諸資料はあるものの、なかなか「那智大社」さんは出てきません。


本宮・新宮と併せて熊野三山とする記述で最も早いのは、

『熊野本宮別当三綱大衆等解』《永保3年(1083年)9月4日》。

この頃には三山共通の三所権現を祀る神社として成立していた事が文書よりわかります。


【那智山の創成(伝説)】

『熊野略記』(前述)



現社地の造営は、仁徳天皇五年(三一七年)。
鎮守社としての「別宮飛瀧大神」と「夫須美大神」を鎮祭し、併せて「国づくりに御縁の深い十二柱の神々」を祀った。




『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』

その1

孝昭天皇辛卯歳(紀元前450)

熊野新宮には、三匹の熊がおってさ

そこへ猟師の是与が追っかけてさ

西北の岩上で三つの鏡となってさ



インドから裸形聖人が来てさ

祠を作ってさ

そいで鏡を祀ったー。のが、起源だ。


その2

孝昭天皇戌午歳(紀元前423)

那智の滝に千手観音が現れた。同年、裸形聖人が山上で熊野十二権現を祀った。これが那智山の起源だ。



・・・すごいぞ、裸形聖人!(←この人、青岸渡寺の創建にも出てくるよー)


結局、起源は謎なのだ、という・・・ことで。


以上のように、熊野那智大社の「神社」としての存在は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、「那智の滝」を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後、ということなのです。



参考文献
『熊野三山信仰事典』(加藤隆久編・神仏信仰事典シリーズ(5) 戎光祥出版)
『和歌山県史』・『神道事典』他


いつも応援いただきありがとうございます。むにゃー。眠くなってきました。次回、「(仮)滝にうたれて花山院」。那智の滝に打たれて無事に済むのでしょうか?
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No title

こんにちは~♪
全部読むのにくたびれました(゚∀゚ ;)タラー
最初に読んだものを終りに忘れてしまうって若年性認知症かな(。_゜)〃ドテッ!

No title

磐座の滝バージョンってことか。

ナッチーそのものが御神体みたいな感じだから、
余計な建築物とか本来はいらなかったんだろうなぁ^^

なんか片足?あげてるカラスたちが可愛い^^
ぽちぽちぽちーーー☆

No title

つねまるさん、こんばんわ~♪

那智の滝は、日本三名瀑のひとつだとか。
未踏の地ですけど、バイクでの日本一周で那智市街を走っている時、見えた記憶があります。
幻かな・・・^^

あまりにも落差があるので、修行の滝には使えないのでしょうね。

三大社といっても、阿弥陀如来・薬師如来・千手観音とは、お寺なのかな。
写真は、あきらかに仏像ですよね(◎o◎)

まり姫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

くたびれるほど熟読して下さり、ありがとうございます。
組み立てが下手くそなので、頭に残りにくいのかなぁ。

いやいや、全部読むのにくたびれるのは、まり姫様の記事ですよー。
毎日毎日、すごいですよねー。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

>磐座の滝バージョンってことか。

ですねー。
なっちーの滝さえあれば、他はいらなかったんでしょね。
速玉大社と本宮大社との相違点はここですし。

3年前の豪雨災害では、このなっちーの滝から杉の巨木が落下してきたんです。滝壺近くのお社は破壊、滝壺自体も変形、川の流れは岩で埋まり。

さぞかし恐ろしい光景だったろうと思います。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

那智の町から見えますよー。
あっち!っと思って見ないと気づかないです。さすがー。

んんん?那智の町を走ったのに、なっちーの滝は未踏ですか?
・・・(。´Д⊂)ナゼジャー

ここで滝にうたれたら、死んでしまいますね。
「滝にうたれて花山院」、無理でした。こほん。

滝行は、上流の滝で行ったようです。


>三大社といっても、阿弥陀如来・薬師如来・千手観音とは、お寺なのかな。
>写真は、あきらかに仏像ですよね(◎o◎)

熊野三山、つまり、熊野那智大社・熊野速玉大社・熊野本宮大社の神様にはそれぞれ本地仏がいますので、それです。
神仏習合の形が、熊野信仰の姿のようですね。

熊野本宮大社の宮司家は江戸時代の綾部九鬼藩藩主家の子孫です!

熊野本宮大社の現在の宮司様も江戸時代の綾部九鬼(鬼の上の点が無いです)藩主家の子孫です。綾部にお墓が現在もあり。先代の宮司様もこの綾部の隆興寺にお墓があります。下記をクリックして見て下さい!
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/2046.html

四方様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

九鬼宮司さんですね。

熊野本宮大社の記事のなかで、ちょろっと紹介してます。
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-207.html

毎年「来年の一文字」を書かれていて、昨年は「挑」でした。今年は何だったのかなぁ。

四年前の大水害では、大変な事だったかと存じます。

とても遠い綾部と熊野。
海のない土地へお引っ越しさせられた九鬼一族。熊野本宮大社も海までは遠いけれど、先祖の土地へ戻られたわけですね。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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