祭神すら怪しげな、名草神社

こんにちは。

但馬妙見日光院【第19回】



以下、兵庫県神社庁より引用 http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6324001.html)

【祭神】名草彦命  ナグサヒコノミコト

【配祀神】日本武尊・天御中主神・御祖神・高皇産靈神・比売神・神皇産霊神(ヤマトタケルノミコト・アメノミナカヌシノカミ・ミオヤノカミ・タカミムスビノカミ・ヒメノカミ・カミムスビノカミ)

【由緒】敏達天皇14年(585)、養父郡司高野直夫幡彦、紀伊国名草より来り。民の悪疫に苦しむを憐れみて其祖神名草彦命以下の諸神を祀りて之に居りしに創まると伝う。
延喜式の制小社に列し、中古社運隆盛を極め仏者に習合して真言帝釈寺当社の別当となり、祭神中に天御中主神あるによりて7座の祭神を北辰7星に象りて両部神道を構成し、社名を妙見宮と改め、真言特有の加持祈祷を以て信仰を得る。(略)(引用終わり)


【名草彦とは?】



和歌山県海南市の名草山に鎮座する中言神社。
祭神は名草姫命・名草彦命。

祭神の名草姫命は神武軍と戦い戦死した名草邑(現在の和歌山市と海南市の一部)の長、名草戸畔(とべ・日本書紀)。



大和を目指していた神武東征軍。
紀伊国名草邑を支配していた豪族の女帝・名草戸畔は神武軍に随順せず、現海南市の「クモ池」周辺が戦場になり、壮絶な死闘の末に惨殺されます。

頭、胴、足が切り離された名草戸畔の骸は名草の民により、頭は宇賀部神社(おこべさん)、胴は杉尾神社(おはらさん)、足は千種神社(あしがみさん)に埋葬されたと伝わります。

この名草戸畔の末裔で、紀伊氏に帰順し、五代目の紀伊国造となったのが名草彦命。


【由緒、この怪しげなもの】

では、なぜ遠い遠い紀伊国名草邑の名草彦命が名草神社の祭神なのか。

由緒に曰く

「敏達天皇14年(585)、養父郡司高野直夫幡彦、紀伊国名草より来り。民の悪疫に苦しむを憐れみて其祖神名草彦命以下の諸神を祀りて之に居りしに創まると伝う。 」

まぁ、はるばる紀伊国から?ありがたやありがたや。

待て。


おりこうさん。

この由緒書きは、『但馬故事記』より採用したと名草神社宮司・井上憲一が自らの執筆(昭和31年発行:八鹿町観光協会・「但馬妙見」30項 名草神社沿革に記載)で語っているといいます。(日光院HPより)

http://www.tajimamyouken.com/page/index.php?mode=detail&page_id=cd0f0131ed9b1efefe56ee96a85b003b)

『但馬故事記』

「人皇三十代敏達天皇五年六月若足尼ノ命の甥、高野ノ直夫幡彦を以て夜夫郡司となす。高野ノ直夫幡彦は紀の国、名草郡の人なり。

此の御代、仏信じ、国の祭りを軽んず。是に於てか、諸国に悪疫流行し、穀実不登、人多く死し、民之に苦しむ。天皇詔して、神祇を崇敬す。郡司、高野ノ直夫幡彦は、此の災害を払わんと欲す。

十四年夏五月、天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・五十猛神・大屋津姫神・抓津姫神・及び己が祖、大名草彦命、の凡そ七座をまつる。(略)」(『但馬故事記』八巻のうち第三巻)


さあ、この『但馬故事記』なる文書。

但馬の歴史を調べるにあたり、便利そうに見えるのですが。実は。

「所謂、偽史であり資料として語るに及ばず」
(by 桜井勉。「校補但馬考」の著者で、内務省神社局長(明治34年))。



「歴史読本」の別冊「古史古伝と偽書の謎」でも「但馬故事記五つの謎」と書かれる程の「偽者」なのです。



よって、名草神社は『但馬故事記』以外の根拠を示す必要があるでしょう。


次!


【配祀神】日本武尊 天御中主神 御祖神 高皇産靈神 比売神 神皇産霊神(ヤマトタケルノミコト アメノミナカヌシノカミ ミオヤノカミ タカミムスビノカミ ヒメノカミ カミムスビノカミ)

出たー。

天御中主神・高皇産靈神・神皇産霊神の造化三神(ぞうかさんしん)。



【「造化三神」とは何ぞや】

「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、神産巣日神、此の三柱は、並独身と成り坐して、身を隠したまひき。」(『古事記』)

『記紀』共に、天地開闢の場面にのみ現れる天御中主神たち「造化三神」。神話は、ない。

「『延喜式神名帳にも全く登場しない』神とされ、古代にも全く『無視』された神々のようである。」(『日本の塔婆』http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken44_4.htm)

そんな神様がなぜ祭神となるのか。神話もないのに。


『天御中主神』に注目したのは、伊勢外宮度会家の伊勢神道。

その後、『天御中主神』は近世末に後期国学と復古神道で天地創造神として取り上げるようになって陽の目をみます。



【「造化三神」と復古神道】

「尊王攘夷」を理念として成立した明治政府。。
その理念の裏づけとなった思想は「水戸学や後期国学や復古神道」であり、それは慶応4年の「祭政一致」の「王政復古」として実現しました。

明治元年(慶応4年)3月13日。
「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、(略)」(『太政官布告』(慶応四年三月十三日))


詳細は→→→「神仏分離の実施。法令で確認」
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-444.html

「水戸学や後期国学や復古神道」の中心は平田篤胤などの国学者。

「復古神道」では、

天孫降臨以前の万物の創造を行った「造化三神」を「復古神道」の究極神とし、その中で天御中主神は最高位である、と考えます。


司馬遼太郎が簡潔に表現しています。

「明治以前には平田篤胤みたいな人がいましたが、彼はたしか『天御中主神』という不思議な、なるほど古事記、日本書紀に一度しか出てこない神を神々の世界を統治する最高神”ゴッド”の位置においてきました。・・しかし国家神道では『天御中主神』というあまり抽象性の高いものははずされて、具体的な『天照大神』になってしまう。・・」(日光院HPより「司馬遼太郎 談」)と考察しています。 


さらに、神社本庁の史料では『天御中主神』について

「実際に古くから神社の祭神として祀られていた形跡は延喜式神名帳等の神社史研究において存在しない」

と断定しています。


「式内社名草神社」ならば『天御中主神』を祭神とすることはなく、また、『天御中主神』が祭神だというならば名草神社は「式内社」ではない。

あらまー。

兵庫県神社庁と神社本庁の間にある、矛盾。

まー。はーずかしーい。


【まとめ】
はるばる紀伊国名草邑の名草彦命にも、失礼なお話です。



いつも応援いただきありがとうございます。他の神社で祭神『天御中主神』に遭遇したとき、神社の説明板があまりにも意味不明で、狛犬さんがかわいいのにお蔵入りさせてしまったことがあります。やっと次記事に掲載出来そうです。
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No title

脳みそのキャパがぁぁ~~~

素人や他県人は、HPなどの由緒書をとっかかりにするしかないので、それがアテにならないとなると困ったものです^^;

とはいえ自分も九州関連であれば矛盾点があれば
「変だな?」っていう中世史オタのセンサーが働くので、
やはり一種の慣れというか色々検索してコツコツ調べて基礎知識を上げていくしかないんだろうな~
というのが正直な感想です。

逆に門外漢・引き出しゼロの但馬だと、つねまる様の記事を読まなければ上辺の説明を読んで判った気分で満足してたと思います^^
ありがたい事だと思います^^

お蔵入り狛ちゃ復活楽しみにしてますね^-^
ぽちぽちぽちーーー☆

No title

近畿の南北で同じ名草かあ、と、見ておりましたが、
なにやら怪しげないきさつが?

疫病が流行ったって言うから、瘡神でも祀ってたのかな。
で、ちょっと箔付けで「な」を足してみたら、
和歌山に良さげな神様おるやん?みたいな?

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

>脳みそのキャパがぁぁ~~~

ご謙遜を~。ほら、拡げて拡げて~o(^o^)o

日本には八百万の神がいるはずなのに、祭神が限られているのが、お社巡りの中で、まず持った疑問なんです。

無数の神社がありながら、仏教のように確立した教義がなかったことは、復古神道が付け入る隙を与えたようなものなのですが、日本の古来の神社ってそういうものだと思います。

由緒が重要視されたのも、明治政府の社格制度制定時に報告しなくてはならなかったからであって、慌てて作文した神社もさぞ多かった事だろうと。

今回書き連ねているのは、皆が偽りの歴史を広めているようで、悔しくて。
こんなお社、いっぱいあるんだろうな。

受験勉強ではないですが、祭神にこの名前があったら不思議に思うとか、延喜式後から明治まで由緒がすっぽり抜けてたらおかしいぞ、とか、問題集を数こなして傾向と対策を見つけるように、ポイントが見えてくる気がします。

ひとつのお社について様々な記事を見ていると、あれれ?っと思う点が出てきますよー。

まぁ、いちいちやってたらお社巡りが滞ってしまうので、さらーっと流していくつもりなんですー。えへへ。

猫舌=・ω・=様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ふんふん、近畿圏内なら名草さんも移動したかもぉ?っと思ってたら、全否定されてしまいました。

他の妙見信仰の神社や寺院のように、主祭神を天御中主神にした方がまだすっきりします。
しかし、天御中主神は明治の復古神道の神ですから、「式内社名草神社」と言い張るためには、それが出来ない。

祭神はどうしましょ?って探したら、おったおった、和歌山県に!と連れてきたんでしょうねぇ。

と、ここまでは明治の名草神社のお話でー。

式内社名草神社の祭神、初めは土地神様かと調べても「名草」の地名が養父郡に見当たらなかったんです。

>疫病が流行ったって言うから、瘡神でも祀ってたのかな。
>で、ちょっと箔付けで「な」を足してみたら、
>和歌山に良さげな神様おるやん?みたいな?

なるほど、瘡神。そうかもですねー。
箔付けが「な」でよかった。

追伸

記事とコメントの前後が逆転して恐縮です。
天御中主神は、妙見サンの表現だったような。
私見ですが、北極星とか北斗七星という星の知識は日本も昔からあったのだと思いますが、仏教伝来の妙見様と同じような星々の神格化すなわち神様としての表現は如何にしようかね?という努力の結果だと考えます。
安倍晴明サンが神様になったりするのも、妙見サンではないものの、星々に対する畏敬があったように思います。
名草彦命ですが、確かに真偽は解明する必要がありますね。
ただ、但馬は天日矛命や田道間守命という二大神様が外からいらしてます。
特に、田道間守命は非時香菓もしかしたら蜜柑かも、と言われる神宝を下さった神様ですから、悪疫退散の疱神は、ご出身が和歌山の方なのでは?そうだ名草彦命かな!?という素朴な想いだったのではないでしょうか。
先ほどのコメントで申し上げたとおり、神仏判然以前の管理人は寺院の別当ですから、由来を正確に伝えなかった責任もまた、寺院にはあるでしょう。
ただし、由来を伝えられるための支援を怠った政府や地域の方々も反省は必要かな~自省。

忠輝様

取り急ぎのお返事になりますので、論拠は過去記事ということでご容赦ください。

妙見さんと天御中主神ですが、

復古神道では「造化三神」の中で特に天御中主神を最高位と考えます。

一方、「我れ、北辰(※北極星のこと)菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」(七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経)という妙見大菩薩。

天御中主神との共通点ありとして、明治政府は妙見大菩薩を天御中主に付会し、強制改宗させるのに用いております。

おっしゃる通り、どうしよう?と考えたのでしょうね。

日光院跡に持ってきたのは、行方知れずになっていた「延喜式神名帳」に記載のある「但馬国養父郡」の「名草神社」ですが、行方知れずの式内社を放置するのはちょっとまずいなーっ、あ、ここへ持ってきちゃおーっと考えた可能性は高いですね。

他の地域でも「いきなり今日から式内社」は自薦他薦問わずありますし。

名草神社に限れば、日光院は必死に事実を訴えている印象があります。
なんかもう、お気の毒過ぎてイライラしてしまいます。

あ、おみかんの田道間守命。お菓子の神社の中嶋神社もお詣りしましたよー。とても素敵なお社でした。

嫌だなぁ、腹立つなぁ、と思いながらの訪問より、ほおおお、そんなことがあったのかぁー!面白いなーっと思えるような参詣がしたいです。

何事にも、隠したり歪めたりするのはよろしくないですね。

観光資源としては非常にマイナスかと思いますわ。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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