但馬の名草神社。現地はなぜ日光院と神仏分離を隠すのか

こんにちは。

但馬妙見日光院【第17回】


んふふ。


妙見山をえっちらえっちらと登ると、これ。雪国~。


「式内社」は延喜式神名帳(平安時代編纂)に名前のある神社。
「縣社」は県から神饌・幣帛を供される神社(明治から終戦まで)。


ケロケロ。


妙見山からの湧水が池となっている横を通る参拝道。


名草神社です。

まっさらな心でお詣りしましょう。


おおお。



【境内案内板より】
国指定重要文化財 「名草神社三重塔」
明治37年2月18日指定

<三間三重塔婆>

この三重塔は、島根県出雲大社に出雲国主尼子経久が願主となって大永7年(1527)6月15日に建立したものと伝えます。
出雲大社の本殿の柱に妙見杉を提供した縁で、塔は日本海を船で運ばれ、寛文5年(1655)5月に標高800mのこの地に移築されました。(略)

昭和63年11月 八鹿町教育委員会



見事に当事者の名前を省いた説明文です。

出雲大社の本殿の柱の御用材の妙見杉と三重塔を「杵築大社(出雲大社)と日光院が」交換したので、「日光院境内であったこの地」に移築されました、となるべきではなかろうか。

出雲大社に残る「寛文御造営日記」に明記されているのに。

詳細は→→→出雲大社と日光院。御用材と三重塔の交換
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-442.html



「塔」とは、お釈迦様の遺骨「舎利」をお祀りすることに始まった仏教の象徴的な建造物。

それを明記すれば「どうして神社に三重塔があるのかな?」と興味がわくのに残念だなー。

「ここは元々は妙見信仰の日光院というお寺で、明治の神仏分離の際に日光院は不動産を残して退去させられ、新しく名草神社が出来た」事実を説明しなくてはならなくなるので、隠しているのかしら?

なぜ?

この大前提をなぜか案内文は全ての建物において、省いています。

なぜ?

せっかくの案内文が全て意味不明な説明になっています。


何かしら。


これを見て、なぜ神社に法華経が?という疑問を持つ。

それはここが(略)。


ふむ、トイレは素晴らしい。


龍寶上人は、日光院第43世。1804年に建立。

なぜ僧侶が寄進したのか、それはここが(略)。



【境内案内板より】
県指定文化財 「名草神社拝殿」
昭和42年3月31日指定

<桁行五間、梁間二間、割拝殿、入母屋造桧皮葺>
棟札に元禄元年(1688)5月から同2年6月にかけて建立されたと伝えている。(略)
組物、木鼻などは古調で見るべきものがあり、保存も完好である。
江戸時代中期の代表的な割拝殿として貴重な遺構である。
昭和51年1月 兵庫県教育委員会



建立時期はここは日光院でした。

秀吉の但馬攻めにより焼失後、奥の院であったこの地に日光院を再建したのがこの建物(護摩堂)。

「江戸時代中期の代表的な割拝殿」というけれど、拝殿で通すなら、これは何でしょう?


火事?

正解は、ここで護摩を焚いた、です。だってここは(略)。


素晴らしい社殿にはお気の毒な案内文である。


本殿。

【境内案内板より】
県指定文化財 名草神社本殿
昭和43年3月31日指定

<桁行九間、梁間五間、正面三間、向拝付入母屋造、正面千鳥破風、軒唐破風付桧皮葺>

棟札によると、宝暦4年(1754)の建築であることが知られる。
平面は七区に分けた内々陣を中心に、内陣外陣と四周の庇で構成されている。これは真言系の神仏習合の社殿として建築史上特に重視すべき点である。(略)




「真言系の神仏習合の社殿として」
ここは日光院という真言宗のお寺が単体で存在。神社は存在せず。

ここは元々日光院というお寺でした、と教えてくれなくては意味不明。



【境内案内板より】
県指定文化財 名草神社本殿
指定年月日 昭和42年3月31日
所有者・管理者 名草神社

妙見山の中腹、標高800mの高地に本殿がある。別名を妙見社とも言い、名草彦命、天御中主神など7神を祭祀する。
(略)
平面は内々陣・内陣・外陣の3区に分かれその周囲に庇をめぐるもので、江戸時代の神仏習合の神社建築として特筆される。


だから、お寺だってば。なんなのよ、「神社建築」って。神社じゃなかったでしょっ。


以上の如く、なぜか日光院というお寺の存在を無視しているのです。
気楽に覗いて驚いたのですが、所在自治体の説明などはもはや日光院は完全に「なかったこと」にされています。


「名草神社」の各所、一度ご覧下さいまし。
→→→リンクはこちら・養父市ホームページ 名草神社
http://www.city.yabu.hyogo.jp/3445.htm

これに対し、根拠を明確に冷静に歴史と現況を示しているのが、但馬妙見日光院です。
→→→リンクはこちら・但馬妙見日光院ホームページ
http://www.tajimamyouken.com/



こらっ。しっかりしなさいっ。


なぜ日光院の存在をなかったことにしようとしているのか、疑問です。

次回は「祭神を素直に信じると危険」の巻。



いつも応援いただきありがとうございます。現地案内文に「神仏分離」「日光院というお寺」を書くとどこからか叱られるのか?っと疑いたくなるような説明です。神仏分離の詳細を説明した寺社の案内文はあまり見かけないことは確かですが、なぜ今さら隠すのでしょう。
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No title

つねまるさん、こんばんは!

前の記事で、サイトへのリンクありがとうございましたm(__)m
勉強になります。

さて、こちらの名草神社三重塔・・・
長い参道を進んで行き、まだかな?まだかな?と思っているところに、眩しい朱色の塔が出現!
テンションアップしますねi-184
いつもながら素晴らしいショットです!

No title

>書くとどこからか叱られるのか?

叱られるかもですね^^

冗談はさておき、
各地における「神仏分離の歴史」or「神仏習合の歴史」って、どういう訳か黒歴史扱いみたいです。

実は、自分が「別当寺」という言葉を知ったのは、つねまる様の記事が初見だったんです。
(別当寺を検索することにより、神宮寺や宮寺などの言葉も知った)
だから自分の記事では「神社と寺はカードの裏表みたい」って類の書き方してました^^;
それくらい通常の案内文やHPでは華麗にスルーしてます^^;
神宮寺側は神宮寺だった過去は語らないし、
神社側は神宮寺のことは語らない。

ですから全ての事実関係をHPで公にしている日光院は珍しいです。

明治以前の江戸期編纂史料の原典(翻刻版とか)まで遡って調べるのは、史学研究者か一部マニアだけですから郷土史に興味がなければ地元の方でも知るチャンスが減ってます。
葬儀・法要が簡略化され、往時の賑やかさを知る祖父母世代からの伝承が途切れ気味ですからにして・・・( ̄ω ̄A;アセアセ

貴重な神社関係の文書は、閲覧が制限(貸与不可)かかってるので所蔵図書館の地元民か、史学研究所に所属してる研究者でないと見れない(´;ω;`)ミタイミタイミタイノニ

自分が郷土史をブログとして発信しようと思ったのは、
もちろん大好きで趣味だからなんだけど、
ブログという見やすい媒体で発信しないと、一般の人から郷土史が乖離しちゃうと思ったのもある^^

なんて恰好つけてるけど、結局は思いっきり趣味と萌えが先行してるので、
こうして現地取材して検証しつつ、かつ門外漢にも判り易く記事にされてる、つねまる様の足元にも及びません^^
つねまる様ってば謙虚だから言わないけど、関連資料かなり読んでるなぁ・・・って記事を読み進んで行くほどに感じてました^^

すぐ「調べるの大変だった~」とネタ扱い大騒ぎしたり、記事の更新ペースも、すっかりパワーダウンの自分は藩政・・もとい反省・・・(´・д・`)トホホ

次の記事も楽しみにしてます♪ヽ(*´∀`)ノ
ぽちぽちぽちーーー☆

明治政府の神仏分離令!

明治政府は神道を国家の基本宗教とし、神仏分離令を発令しています。明治維新までは神仏混淆でした。お寺には必ず神護寺がありました。現在も結構残っていますね。明治政府は明治8年全国の県令に神社の調査を命じ、明治9年には各神社の絵が描かれて、京都府はその絵を北区の京都府立総合資料館で管理しています。北山アーカイブをインターネットで見てコピーもとれます。延喜時代の明神大社が延喜式内社と呼ばれ、京都府綾部市にある高倉宮以仁王を祀る高倉神社は明治9年に式内社となっています。つねまるさんの記事は神社が主力ですが、老生の記事は社寺両方を取材しています。つねまるさんは見事にその神社の全てを丸裸にして記録されています。誠に見事です!いつもその発想には感嘆して読み、見ています。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ながーくながーく前フリしてたもので、なかなか回収できず自分でも四苦八苦しております。

ご参考になれば幸いに存じます。

参道を上るにつれて徐々に見えてくる朱色が絶妙で、ほんとに「まだかな?まだかな?」でしたヽ(*´▽)ノ♪

>いつもながら素晴らしいショットです!

お褒めの言葉、ありがとうございます。
いつも狛犬さんに夢中で、社殿に近付きすぎて画面いっぱいみっちみち~なので、私にしては珍しく引いて撮影できた奇跡のショットでございます。ほほほほ。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。時乃★栞様のコメントで、テンション上げております。ふふ。

>>書くとどこからか叱られるのか?

>叱られるかもですね^^

ねー。やぁーねー。

>冗談はさておき、

・・・あ。おかれちった。

>実は、自分が「別当寺」という言葉を知ったのは、つねまる様の記事が初見だったんです。

でへへへ。お役に立てて何よりです。

学生の頃は、「ここは何の神様ですか?」とお社近くの人に尋ねたら、
「ここの神さんはねぇー後から来た人だから、あそこのお寺の和尚さんが詳しいよー」と、謎のお返事をいただくことがあったんですよ。

世間知らずな学生の身ですから、遠慮なくお寺を訪ね、おじいちゃん和尚さんにいろんなお話を聞いて、お饅頭までいただいて。

今はもう、「わしの親父の頃の話やから、わし、わからんわー」というお返事が多くなりました。

二十年程の時間経過でこんな感じですからねぇ。

>貴重な神社関係の文書は、閲覧が制限(貸与不可)かかってるので所蔵図書館の地元民か、史学研究所に所属してる研究者でないと見れない(´;ω;`)ミタイミタイミタイノニ

地道な作業になるけれど、人海戦術でさっさとデジタル化して公開しないと、何が貴重なのかすらわからなくなりますね。

全国区の山城マイスター様も、地元図書館に立ち寄って、写せ写せ閉館時刻までー!!って(*´∀`)ミタイミタイミタイノネ


さて。ほめていただいて、木の上から失礼します。

「神仏分離」を神社と寺院側からアクセスすると底無し沼にはまるので、今回は出入口を「上知令」にしたんです。

財務省の国有地処分資料と、林野庁の国有林整備資料(特に京都の東山)が方針を立てるのに役立ってまして。
神仏分離の一連の流れが淡々と書かれていて、神が仏がと騒ぐ歴史資料よりもわかりやすかったです。

面白いのは、こちらにははっきりと「神仏分離」時の寺社の悲惨な状況が書かれていることかなー。

四方様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

>京都府綾部市にある高倉宮以仁王を祀る高倉神社は明治9年に式内社となっています。

綾部市資料館さんでお伺いして、写真等も拝見して、こちらのお社にも行きたいなーと思っているんですよー。
しかし、虫さんがいなくなる季節までお預けです。今年も蚊に気を付けないといけません。

京都府は保存管理すべきものが膨大ですね。大変。
ネットの充実はこちら側も視野が拡がり、いろいろと検討が出来るようになり、ありがたいことです。

日本の歴史に精通しているわけではないですので史跡巡りも偏ってますね。かわいい狛犬さん探しの放浪ドライブが好きです。

狛犬ちゃんの居ないお寺は、ささーっと通り過ぎてます。おほほほ。

先日までの暑さの次は梅雨入り。体調を崩しがちな季節です。
四方様もご自愛下さいませ。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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