うちのかわいい才丸がなにか?

こんにちは。

【兵主神社と赤井直正】


兵庫県丹波市春日町の兵主神社。


赤井直正の黒井城の麓に鎮

兵主神社には、赤井氏が深く信仰した証として、武運長久と子孫繁栄を願い赤井一族が寄進した直正の兜が残ります。


鉄地黒漆塗り5枚錣仕立ての野戦用。

実父の赤井時家から伝わり、直正が着用していたもので、兵主神社には寄進状も併せて現存しています。(※寄進状の「忠家」は直正の兄の子・直正の甥)


「寄進状」

御兜 壺従       伊賀守忠家殿相伝
            悪右衛門尉直正殿御着用

右我等一門之を重宝為すと難も当社明神は一族の信仰浅からざるに付
神庫へ奉納し心願成就 武運長久 子孫彰栄を祈り奉る者也
依て寄進状件の如し

  天正七巳辰正月十八日       荻野甚左衛門尉正光 花押
   神宮寺別当御中



寄進状から、兵主神社はかつて「明神」と呼ばれ、兵主神社に奉納するのには神宮寺の別当に宛てていることがわかります。


そんな兵主神社ですが、明智光秀の第二次丹波攻略で黒井城が落城するときの戦火により社殿が焼失。


【パパ時家と直正】

赤井時家(後谷城主)の次男として生まれた直正は、幼名を「才丸」といい、荻野十八衆と呼ばれる土豪の盟主として(養子に)迎えられ、黒井城南西の朝日城城主となります。


パパ時家の後谷城址。


直正とパパ時家については、面白い書状が残っておりまして。

夏の盛りに、才丸を養子に出した先の荻野一統へパパ時家が出したお手紙。

態令啓候、仍才丸其方へ遣之置候へ共、
伊与守殿承候間、
其方之同名中へ以
使者尋申處
尤可
然思召由返事候間其方へ参置候
然處近々可
御違変由風聞候、
雑説候へ共、
若於
事実者、
力儀候条涯分可申分候、
然者其方御同名中御覚悟之通具示給
其覚悟候、
併最前之節目無
相違御入魂可至望候  恐々謹言

 八月五日
              時家(花押)



「そちらの希望でうちの才丸を遣わしたが、近頃、才丸について不足の声が出ているらしいね。
どういう事だね。返答によってはこちらにも覚悟があるぞっ(怒)

赤井時家より」


ぷ。



「一度他家入ったからには、父と敵同士となってもためらうことなく父を討て(嫡男の宗茂を立花家へ送る際の言葉)」と教えた高橋紹運パパとは大違い。


あむぁーいパパですねぇ。


【赤井直正の交遊関係】

そんな直正ですが、はじめは甥の忠家と共に信長に服し、丹波奥三郡(氷上・天田・何鹿郡)の所領安堵を受けた(『寛永諸家系図伝』)ものの、突然氷上郡へ侵攻してきた山名祐豊と対抗するうちに山名氏が治める但馬の此隅山城・竹田城を占拠。

山名祐豊が信長に救援を頼みますが当時の信長は石山本願寺や三好三人衆や武田勝頼、浅井・朝倉と対峙し多忙。

この隙に赤井直正は反織田勢力の毛利・武田・石山本願寺と同盟を結び、信長包囲網を計画します。(『吉川家文書』『赤井家文書』『証如上人日記』)


武田勝頼から赤井直正への書状

十月十七日之芳翰十二月廿一日到着、則披閲、就中使者口説具聞届、
其意候抑対信長怨敵之色
段被
鉾楯之由候、
誠云
武勇戦功旁以無比類次第候
漸可
信濃境之雪消候之条
尾濃無二令乱入
手合
可御心安候、委曲従
釣楽齋跡部大炊助所申届候之間、
不能具候、恐々 謹言

二月六日      勝頼(花押)
 荻野悪右衛門尉殿



(こんな内容かしら)
「十月十七日付の書状を拝見し、使者の口上も詳しく聞き、直正君の気持ちよーくわかった。
織田信長に対して一戦を辞さない決意、よいぞよいぞ、がってんだ。武勇といい、戦功といい、直正君は比類ないもんね。
やがて甲州と信濃境の雪も消え始めるので、美濃・尾張へ攻め入ってやるから安心してね。
詳しいことは使者の跡部大炊助が言うよ。勝頼より。」


甲斐の武田勝頼から直正に宛てたお手紙。

信長に対抗すると決めた直正の決意と、彼の交遊関係の広さを示すひとつの資料。

結局誰も来てくれなかったけど。るるるー。




こんな素敵な赤井直正。

内室は、近衛前久の息女。(正室は波多野元秀の娘。死別)


興禅寺は赤井直正居館跡。

別名「近衛屋敷」


兵主神社のばかでかい扁額は近衛基前の筆。


次回。「(仮題)近衛家と直正くんと兵主神社」に続く。


参考文献
春日町史・春日町の文化財(春日町発行・編)


いつも応援いただきありがとうございます。やっと、兵主神社と黒井城と近衛家にたどり着きました。とてもマイナーな丹波ですが、ほじくると色々なものが出てきます。「赤井直正」は司馬遼太郎の『貂の皮』に出てきますのよー。って、これもマイナーか。えーっと、「『甲陽軍鑑』には『名高キ武士』として徳川家康、長宗我部元親、松永久秀らと共に、しかも筆頭として名が挙がっている」(wikipediaより)んですってよー。
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No title

こんばんは。

丹波と言えば、八上城と波多野氏しか知らなかったので、とっても面白いです。
「才丸」という名前からも、この子はこうあって欲しい!という親の愛情が感じられますね。
きっと可愛がられていたのでしょう。
それにしても明智光秀、信長の命とはいえ、あちこち焼きまくってたんですね。

No title

つねまるさん、こんいちわー♪

光秀を悩ました丹波の赤鬼さんも、最後はどうなったのでしょう。
確か、脇坂安治さんが乗り込み、終結したのじゃなかったのかな。

悪右衛門も素晴らしい名前です。才丸のとーちゃんもビックリびっくりです!

No title

勝頼さまが出てきましたね。
武田が滅びた古戦場天目山は
今良い季節になりました。
こちらもマイナーですが
ハイキング、ウォーキングの場所には良いところです(笑)

クンクンクン・・・御馳走(古文書)の かほりが・・・(*´・`)

自分も司馬作品「貂の皮」で赤井さんを知った口です^^

鎮西無双の養子先は高橋家の上司で、主家は家臣の裏切りが多かった事から人質の意味合いあったそうなので、千熊丸ちゃまは覚悟が求められ・・・
・・・と史実的に並べても【紹運パパの性格】が覚悟内訳・比率8割のような気がしてならない(笑

赤井氏の場合は、赤井の方が上位者だった・・・かな?
宛名がないのが面白いです。
宛名の書いている位置・敬称の書き方などで、相手が差出人にとって、どういう立場か判断するんですが、クレームだから敢て宛名を省いたのかも・・・と思いました。
この後、ヤンチャな才丸クンは養父をゴニョゴニョなことに・・・ゲフゴホ

勝頼の書状では敬称は「殿」と敬意を払っているけれど、宛名の書き位置が日付の位置より↓。
これは勝頼の方が上位者として振る舞っているから。
でも一文字分くらいしかズレてないから、丁寧に扱ってる方です。
ホントに下っ端扱いしてる時は、宛名がガッツリ下の位置なので。

>内室は、近衛前久の息女
あの・・・内室(貴人の妻=人妻)・・・継室or後室では?^^;
あ、でも奥方実家・近衛家の身分が高いから、こういう表現になるのかな?
史料館とかで「内室」となっていたならすいません。
前後の説明文を知らずに、一部分の言葉だけで判断すると違っちゃうことがあるから^^;

記事、面白かったです♪ヽ(*´∀`)ノ
意訳もお疲れ様でした。
ぽちぽちぽちーーー

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

面白いと言っていただき、嬉しいです。

赤井直正の実父・時家さん、とても人間味のある人ですよね。
ちょこちょこといい顔を見せてくれて、地味に心にヒットしてます。

明智光秀のせいで貴重な古文書やお宝が焼失したので、怨み節があちこちで聞こえてきますよー。
まー、しかし、ほんとに焼きまくっております。

光秀を大河に!っと、居城のあった亀岡市や福知山は張り切っておりますが、光秀を丹波が押すってのはどうかと。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
すみません。早くにコメントいただいたのに、もっと早く寝落ちました・・・。

丹波の赤鬼さん、最期は戦の傷がもとで亡くなりましたので。しくしく。
脇坂さん、いつもいいとこでいい役目でちょこちょこと出てきますねー。好きだわぁ。

悪右衛門とか、悪七兵衛(景清)とか、悪源太とか、「強いもんねー」って意味ですが、悪右衛門は、音がいいですね。

あくえもん。

あくえもんなんだもん。

ゆるキャラにはなりませんかねぇ。

ミント様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

はーい。関東甲信越は遠いので滅多に出てこないんですが、やっと出ましたー。

古戦場天目山、いやいや。マイナーだなんて、とんでもなーい。

いろいろなサイト様で景色を拝見してますよー。
ハイキング、ウォーキング、確かに。うふふ。

これからは虫さんとの戦いですね。お気をつけてー。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。ごちそうになりました?よかったー。面白かったんで、元の文も載せてよかったー。

貂(てん)。うっすらとした記憶だったんで、豹じゃないのか!っと記憶違いを知り。

柳川の御花の資料館で、紹運パパの守り刀と雷切を見て狂喜乱舞したクチなので、背景は二の次になってしまいます。おほほほほ。

赤井直正と赤井時家パパ、いい味を醸し出してます。ここ、ご家族が仲良かったような雰囲気。

内室は、春日町歴史民俗資料館の本の解説に従いました。近衛本赤井系譜等、多数を引用している中で正室等と区分けして書いていたので。

ここは、別記事にしようかな。あ、ごめんなさい。そろそろ出掛けますので続きは後で。

No title

おお^^;
やはり参照文献に記述されていたんですね。

自分で調べてもいないのに余計な口を挟み申し訳ありませんでした。
粗忽者で本当にすいません。今後気を付けますm(__)m

時乃★栞様

こんにちは。いつもありがとうございます。

いやいや、ご指摘ありがとうございます。
そんなに気にしないで下さいなー。
古文書の書き方とか、黒印と朱印とか、少しずつ教えてもらって、とっても楽しいんですからー。

なんじゃこれ?と思いつつ、立ち止まることもせず、突っ走ってますので、専門の方から見たらちゃんちゃらおかしいぜっ!ってとこが多いと思います。

これからも教えて欲しいです。よろしくねー。

(これ、わからーんっ。ほいっ、と、投げるつもり満々)
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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