スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

黒井城主・赤井直正と光秀の丹波攻略ファイヤー

こんにちは。


目下のお気に入り、養父神社の狛おおかみ。

さて。

兵主神社からほど近く。


丹波市春日町黒井の興禅寺。

背後に広がる山々は黒井城。



1335(建武2)年(1335)に春日部荘を領した赤松貞範が山頂に砦を築いたことに始まる黒井城。

応仁・文明の乱(1467~77年)頃からは荻野氏が居城。


さて一方。


丹波市全域(氷上郡)を治めていた赤井氏。

清和源氏頼季流井上氏(発祥は信濃国)の井上(源)家光が、1158(保元3)年、丹波芦田庄(兵庫県氷上郡青垣町芦田)へ配流され「芦田氏」を名乗りますが、1215年に赤井野へ移り「赤井」氏を名乗ります(『寛政重修諸家譜』赤井氏系譜)。

まあ、皆が「源氏の流れです」と主張する『寛政重修諸家譜』の事なので真偽のほどはどうなのでしょう。

元々氷上郡に居住していた土豪という説もあります。

何にせよ、春日町から氷上町の街を挟んでずいーっと西へ移動した白山麓の後谷城を本拠地としていた赤井氏は、1500年代には篠山市の八上城の波多野氏を上回る丹波で最大の領地をもつ家に発展。


後谷城址に建つ白山神社へ行こうとした私。


どえらい獣よけフェンスに阻まれました。


(クリックで拡大)しくしく。


時は流れ。

赤井時家の次男として生まれた「赤井直正」は、1542(天文11)年、同族の荻野家へ養子に入り「荻野直正」を称します。(荻野十八人衆の盟主)

1554(天文23)年、直正は叔父の黒井城城主・荻野秋清を殺害して黒井城主に。



「悪右衛門」(『悪』=『強い』の意味)と号し、勇猛ぶりから「丹波の赤鬼」と恐れられた「荻野直正」はやがて多紀郡を除く丹波国を支配。

赤井家当主の兄の遺児・忠家を後見して赤井一族も率いる事になった直正。荻野氏なのに「黒井城主・赤井直正」と呼ばれるのはこのため。



そして、1570(元亀元)年。織田信長が台頭してきた頃。

直正は本家の赤井忠家と共に信長に降るものの、翌年に氷上郡へ侵攻してきた山名祐豊を打ち破り、逆に山名氏が治める此隅山城・竹田城を占拠。

山名祐豊が信長に救援を頼んだことが、やがて1575(天正3)年の赤井直正討伐を名目にした「織田信長の丹波攻め」に繋がります。

現場担当は明智光秀。


ファイヤー・柏原八幡神社。


ファイヤー・篠山市


ファイヤー・大原神社

第一次丹波攻略では、赤井直正は光秀を撃退。
反織田勢力の毛利・武田・石山本願寺と同盟を結び対抗。

1577(天正5)年10月から、第二次丹波攻略開始。


ファイヤー・櫛石窓神社


光秀は、翌年3月、八上城と氷上城の包囲を完成。

この最中、なんと赤井直正が病没。


直正の嫡男・直義はまだ九つ。

赤井家は直正の弟の幸家が代わって統率しますが、丹波国人衆は離反し、光秀側へ降ります。


ファイヤー・甲ヶ峰城
 
1579(天正7)年5月に氷上城が落城、6月1日に八上城が落城。
光秀は7月に再び丹波に入国して、最後の城、黒井城の攻城を開始。


兵主神社もファイヤー。

8月。黒井城落城。

嫡男・直義は京都へ逃亡。
(1610年より藤堂高虎に1000石で仕えます)

戦後処理と氷上郡一円を治めるために、光秀は黒井城南山麓に重臣の斎藤利三を居住させます。


それが、斉藤屋敷の伝承が残る興禅寺。

なのでした。

※各神社焼失画像(?)は年代順ではありません


いつも応援いただきありがとうございます。丹波地方のお社巡りをしていると高確率で遭遇する「光秀の丹波攻めの戦火で焼失」事件は、まだまだあちこちにあります。赤井直正嫡男・直義は藤堂高虎に仕えますが、ご子孫により「赤井家住宅」は平成10年に伊賀市へ寄贈されています。ずーっと続いていたんですね。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

おはやうございます。

光秀ファイヤー! 戦国期によくある事だとは言へ、がつかりさせる出来事ですね。
お城は、まあ、仕方がないにせよ、寺社仏閣は罪が無いと思ひますので。まあ、僧兵抱えて反抗する場合は別ですが。

白山神社、気になりますね。なぜ、お参りすることが出来ないのでせうか。神聖な場所なので、氏子さん以外は無理と言ふことなのでせうかね。

丹波は好奇心の宝庫ですね。興味深い記事をいつもありがたうございます。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

丹波は小規模な山城があちこちにあり、また、もれなくお社も近くにあるためか、ファイヤーですね。

丹波の光秀のイメージは、クラッシャーです。

白山神社は、私の力が足りなかっただけで、男性なら難なく開くことが出来ると思います。
まさか通りすがりの人に「あけて」とも言えず。

城址の案内表示等を見る限りでは、お社境内付近にお城の遺構があるようなので、お祭りの時などを調べて行ってみたいです。

丹波は面白いですねー。

丹波猿楽もありますし、身近な武将が右往左往してますし。

ただ、ちょっと史跡も寺社もマイナー過ぎるかもしれないですね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

No title

養父神社の狛おおかみさん
良いお顔してますね♪
っていうか河童さんのようにも見えます
(ごめんなさい)
かたつむりは良い場所見つけましたね(笑)

鍵コメ様

ごきげんよう。

洗濯とか後片付け、ふぁいとだぜいっ。
私は起きたら昼過ぎでしたわ。ほーっほっほ。すみません。

かろうじて、布団だけ干しました。晴天の休日はお外に行きたいのと干したいのとが葛藤です。

No title

こんばんは。

コメントをいただき、ありがとうございました。

命の重さを考えさせられるできごとは、いつの時代もたくさんありますね。

さて、僕も数年前に篠山市を通ったことがあったのです。

ところが、天橋立に行こうとして、篠山は高速道路で通り過ぎてしまいました。

だから、貴重な写真と解説をを公開していただき、ありがとうございます。

今回もまた、勉強になりました。

ミント様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。おかえりなさーい。

はい、狛オオカミさん、目下のところの一番のお気に入りです(≧∇≦)

河童さん・・・そう、頭がびみょーに、あれなんですよねー。うふ。

はじめは宝珠が尻尾にー!?っと、目が大皿になったんですが、かたつむりでした。
ほんとにいい場所見つけましたよね。うふふ。

大川原英智様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

貴記事のお話はいつも勉強になります。
簡潔にまとめていただいて、きっと大川原先生の授業はまとめノートなんていらないんだろうなーっと思います。

丹波は、ここを目指して行かないと通りすぎる場所ですね。
連休真っ只中でも、すかーっとすいていました。

しかし、古墳も数多くありますし、なんといっても化石の「丹波竜」が発掘された歴史の古い(?)ところです。

ぽけーっと寺社巡りをしていた頃には気付かなかった様々なものが、丹波の国人衆や山城とセットにして巡るとまた別な顔を見せてくれて、とても興味津々です。

民俗から見ても、丹波猿楽やお社の祭事に様々なものがあり、行く度に新たな興味の対象を見つけてしまい、収拾不可能な事態になっております。

ぜひ一度は丹波をご訪問下さいませ。

No title

つねまるさん、こんばんわ~♪

八丁赤出だしで、燃えもぇですね!

八上城を攻めるFire光秀さんも、八丁赤だしで燃えたのでしょう♪

尾張の人は、八丁赤だしでファイヤー!!!



piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。すみません、昨夜、寝落ちしました。

光秀は何味噌なんでしょう。土岐さんなら同じ赤味噌でしょうが、光秀は白味噌なのかなー。

あー、味噌汁、食べたいなー。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。