三重塔サバイバル。神仏分離を乗り越えた柏原八幡

ん?

んん?

あらやだ。

丹波市柏原町の柏原八幡神社。
本殿の後ろにそびえ立つのは三重塔。

三重塔や五重塔は、「仏教の祖である釈迦の舎利(遺骨)をおさめる仏塔」の形式の一種。
神社に仏塔。現代では不思議に感じるこの光景は、神仏混合であった日本の寺社の本来の姿。
神社の多くは「村の鎮守の神様」ではなく「お寺の鎮守の神様」でした。

塔が現存する神社は極めて珍しく、全国で18社のみ。
「神仏分離の一連の運動(廃仏毀釈運動)は、神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われた。祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などが見られた」(wikipediaより)
しかし、全国のお寺の伽藍が破壊される中で、なぜ柏原八幡神社の三重塔は無事に残ったのかしら。
それは、これ。

「ここは『八幡文庫』でーす」と称して存続を特別に認められたのです。
柏原八幡神社は社内にあった仏像・経管・仏具等の一切を別当寺の東光院(乗宝寺)に移し、円満に神仏分離を行いました。

こらこらこら。

ここは吽ちゃんが正しい。

たとえ佐吉狛犬であろうとも、かわいいんだな。
この高台に建つ三重塔は、1469(応仁2)年創建。

本殿と同様に焼失。
現存する塔は江戸時代後期の1815(文化12)年、彫刻師・中井権次一統により再建。(『柏原八幡神社HP』より)
丹波・丹後地域の寺社建築を飾る彫刻を300ヶ所以上手掛けたという中井権次一統。
彫刻師が建築?だいじょーぶ?

だいじょーぶ。
初代中井道源は1615年頃、宮大工の腕を見込まれて与謝野町の中井役所(徳川幕府公認の宮大工集団)から柏原に移住。
4代目言次君音(ごんじきみね)から彫物師として活動、6代目権次正忠から「権次」と名乗り、9代目まで彫り物を仕事に。
三重塔の再建では、一族の宮大工が建築を、正忠、正貞が彫物を担当しました。

隅棟木を必死に支える力士のような人。

たいへんです。

鶴ってなんて鳴くんだっけ?

たいへんよくできました。
高さ26mの三重塔。現在は入船山に鎮座する全ての神をお祀りし、丹波柏原のシンボルとして広く親しまれています。
柏原八幡神社(八幡宮)
《住所》兵庫県丹波市柏原町柏原3625
参考文献
柏原八幡神社HP・『新井村史』(兵庫県新井村)・現地説明板・『旅の石工 丹波佐吉の生涯』(金森敦子著 法政大学出版局)・『中井権次の足跡』(中井権治顕彰会発行)
いつも応援いただきありがとうございます。神仏分離、廃仏毀釈運動についての詳細は検索してくださいませ。ポイントは、神社に仏教由来の三重塔等があったり、神社なのにお寺の建物にしか見えなかった時には、「明治の神仏分離かー?」っと思って戴ければ。そして、その光景は変な配置なのではなく、日本古来の姿なのだと気付いて戴ければ幸いです。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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