丹波佐吉渾身の傑作。柏原八幡神社の狛犬物語

丹波市柏原町の柏原八幡神社。

必死に登って、佐吉狛犬にうっとり。
台石の彫刻文字 「奉献 」は筑前福岡出身の女儒学者・亀井小栞の文字。依頼を受けた際に「丹波佐吉の刻なら喜んで筆をとろう」と揮毫したといいます。

好きなのは美形だから。それだけじゃないのだー。
柏原八幡神社の狛犬の物語。
石工は丹波佐吉。
1816(文化13)年、朝来郡和田山町竹田生まれ。
幼少時に両親を亡くし、製糸業を営んでいた「若松屋」に預けられ、
1820(文政3)年、ワタリの石工(旅稼ぎの石工職人)としてこの地を訪れていた初代難波金兵衛の養子になります。

1822(文政5)年「丹波大新屋(柏原町大新屋)」に居を構えた金兵衛の元で、幼いながらも石工の道に精進。
しかし、1837(天保8)年。金兵衛に長男義継が誕生。

翌年。佐吉23歳。金兵衛の反対を押し切り自らワタリの石工となります。実子に遠慮したのでしょうか。
ワタリの石工となった佐吉は大和・淀・伏見・大阪と各地を廻り、やがて名工・佐吉の名は 遠く離れた故郷の丹波にも聞こえるようになります。
やがて10年の時を経て。

大阪の「石為」に滞在していた佐吉は、同業の間で技比べをすることになり「石の尺八」を作り上げます。
その見事な仕上がりに時の孝明天皇から「日本一」との賞賛を賜ります。
それでも師匠の金兵衛の恩を忘れず、 故郷を問われる度に「丹波大新屋」と答えたといいます。

大和に移った佐吉は3年かけて奈良県菟田野町平井の「大師山霊場」を完成。

1856(安政3)年。金兵衛の死を知って「丹波大新屋」を訪れた佐吉の元へ、大新屋村の上山孝之進からの依頼が寄せられます。
上山孝之進は田口金治と共に柏原八幡神社へ狛犬を献じることになり、 その彫刻師として佐吉に依頼。

この上山孝之進こそ佐吉に幼い頃に読み書きを教えてくれた人物。
上山孝之進の依頼に対し佐吉がどんな思いでこの狛犬を生み出したのか。
この狛犬の他に類のない姿を見て想像するしかありません。

柏原八幡神社の狛犬物語でした。

もう少し黙ってて。

狛犬が喋るとぶち壊し。すみません。

(柏原町大新屋の新井神社)
1866(慶応2)年。佐吉は一体の不動明王像を完成させ、ひっそりと丹波の地を去り、二度と戻ることはありませんでした。
不治の病に侵されていたという佐吉のその後の行方は定かではありません。
柏原八幡神社(八幡宮)
《住所》兵庫県丹波市柏原町柏原3625
いつも応援いただきありがとうございます。丹波佐吉の人生を知ってこの狛犬を見ると、胸がきゅんきゅん。読み書きを教えてくれた上山孝之進の自宅のお稲荷さんの狐も佐吉は納めています。佐吉晩年の傑作の狛犬、ぜひぜひ一度実際にご覧くださいませ。



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