柏原陣屋。織田といえども外様の悲哀

こんにちは。


春なの。


昨日はほんとに寒かったですが。

さて。


兵庫県丹波市柏原(かいばら)町の柏原藩柏原陣屋。表御殿。

こちらはどなたの藩でございましょう?




お嬢さん、落ち着いてー。

柏原藩の立藩は、1598(慶長3)年、織田信長の弟の信包(のぶかね)の36000石。

信包は関ヶ原で西軍に属するも不問、大阪の陣直前に他界するまで豊臣家に仕えました。


あーそーぼー♪

柏原藩織田家は信包の孫・3代信勝の後、嗣子がなく廃藩となり、幕府領に。


名古屋弁は得意。

1695(元禄8)年、信長の次男・信雄の五男・高長から始まる奈良県の宇陀松山藩の織田信休(のぶやす)が、2万石で柏原に入部。

これは第5代藩主となった信休の父・第4代信武が家臣二人を殺害し自殺した(宇陀騒動)ため、宇陀松山藩28000石から減移封されたもの。

領地は丹波国氷上郡のうち44ヶ村、何鹿郡(京都府綾部市)のうち8ヶ村、天田郡(京都府福知山市)のうち5ヶ村。

飛び地が多く、丹波の山間の領地では2万石の実質は1万石程度であり、常に財政は逼迫。

陣屋の建築の許可が幕府から下りたのはなんと1713(正徳3)年。

ここを藩邸として明治維新まで織田家10代が柏原藩を治めます。



現在の陣屋の建物は火災で焼失後、1820(文政3)年に再建したもの。


どきどき。


建物を傷めないように、そーっとそーっと。


柏原陣屋の中はスライスきゅうりがいっぱい。


同じ「織田」でも系統が異なるため、織田信長の弟の信包から信勝までの3代を「前期柏原藩(織田家)」、大和宇陀から入った信雄系を「後期柏原藩(織田家)」と称します。


ねー。ほんとに織田さんちでしょー。


前期柏原藩第3代信勝を祭神とする織田神社。

あ。突進したので鳥居は私の後ろです。おほほほ。

信勝死去後、母親が居館敷地内に「織田権現」として立てた霊廟を後期柏原藩により織田神社として祀られ移築されたもの。



陣屋の横に回ると途端に訳のわからない建物に化けました。

大正に改築されたもの。


しくしくしく。

陣屋の建物は明治維新後に解体され、全体の5分の1のみ現存。
現存部分は国指定の史跡。だったら解体すんなよー。何やってんだよー。


(クリックで拡大)

東西130m、南北160m。
主屋(表御殿・中御殿・奥御殿)と御用所(藩政の場)、下台所、廐等の建物や、馬場などがありました。

北東には稲荷神社。


当時の建物の配置をカラー舗装で示しています。しくしくしく。


陣屋建築当時の遺構は、長屋門のみ。

向かって左から「番所」「表御門」「馬見所」「砲庫」。


隙間から覗いてみました。瓦が並んでるようです。ふむふむ。

それにしても、よく残ってくれました。よよよよ(ノ_<。)


氷上高等小学校校舎。陣屋敷地は小学校や役場になりました。

「カラー舗装で示しています」の画像に入ってるのがこれ。


この「どやっ」感が腹立つわー。ぷんすかぷんすか。

ぷんすかしつつも、うっとりと眺めてたのはわたくし。
瓦と洋館。クリームぜんざいみたい。

今回は丹波市を中心にお気楽ドライブ。


危うく蹴っ飛ばしかけたちっちゃい子。鼻血ぷぅー。


うふふ。丹波市界隈で狛犬さんを探してきました。


犬猿の仲じゃないのか?


柏原陣屋
《住所》兵庫県丹波市柏原町柏原672(地番は丹波市立柏原歴史民俗資料館)
※陣屋は資料館の向かい側。地図の矢印は陣屋を示す。




参考文献
丹波市立柏原歴史民俗資料館・柏原陣屋跡展示説明板
『常設展示ガイドブック』(丹波市立柏原歴史民俗資料館・編)

いつも応援いただきありがとうございます。織田信包はお市と浅井三姉妹を保護したり、信忠の補佐をしたり、信長の信頼は厚かった様子。そんな柏原の狛犬さん達はかわいい子がいっぱい。とびっきりのつるつる美形もいます。丹波市お気楽紹介、はじまりはじまり。
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No title

陣屋って意外と広いんですね^^
なんだか複雑な残り方をしたようで^^;

織田紋・・・言われ見れば木瓜(きうり)な紋
織田家というと安定の美男美女血統^^
像も凛々しいですね^^

小さい狛・・・って掌サイズですか?^^
ぽちぽちぽちーーー

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

陣屋は藩主の住宅兼役場ですからねー。
ただ、間取り図では部屋数が多く感じますが、ひとつひとつの部屋は狭いので、全体はこじんまりした印象です。

敷地内に馬場や演習場、住宅部分には庭園。
広々とした敷地が今や小学校とか役場とか。悔しいでっす。

肖像画を見ると、皆さん細面で織田家の雰囲気満々。

前期柏原藩の後、しばらく天領となってきた柏原に、宇陀松山藩からまた織田家が入るところが何とも興味がわくところで。

本来なら宇陀騒動で改易となってもおかしくないのに、織田信長の威光はずっと残っていたんですかねぇ。

小さい狛犬くん、手のひらサイズですよー。
そんなにちびっちゃいのに、ちゃんと台座に座ってお役目を果していました。

思わず連れ帰ろうかと。へへへ。
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