四道将軍丹波道主命の玖賀耳討伐。毒を治癒の八坂神社

京都府綾部市の八坂神社。昔は飯宮(はんのみや)大明神と称したお社。
「『永久五酉稔(1117年)三月総社麻多波牟宮神』の銘のある神鏡が伝わっていたので、平安時代には八田郷の総社であったと思われる」(『綾部市史』)。
【祭神】
素戔鳴尊・大己貴尊・少彦名命・受持之神

社伝によると
崇神天皇の十年秋、丹波国青葉山に「玖賀耳」という強賊がいて良民を苦しめるので、勅命を受けた日子坐王・丹波道主命が軍を率いて丹波へ入ります。

開化天皇の子、日子坐王。日子坐王の子が丹波道主命。親子で遠征。

ところが、丹波国麻多之東において毒蛇にかまれ進むことができなくなってしまいます。
ぴーんち!
そこへ、天より声が。

素戔鳴尊ほか三神を祀ったところ験があって病が治り、首尾よく賊を平げることが出来ました。

そして、帰途、この地に素戔鳴尊と諸神を祀ったのが八坂神社に伝わる由緒なのでした。
この社伝は『丹後風土記』の記事と符合するお話。

丹波の地域が大和政権にいかに服属するようになったのかは、記紀に記事があります。
【『古事記』】
「日子坐の王をば 旦波(たにはの)国に遣して 玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を殺さしめたまひき」(崇神天皇の条)
【『日本書紀』】
「大彦命を以て北陸に遣し 武渟川別(たけぬなかわわけ)を東海に遣し 吉備津彦を西海に遣し 丹波道主命を丹波に遺したまふ 因りて詔して日く 若し教(のり)を受けざる者あらば 乃ち兵を挙げて伐て」(崇神天皇十年九月)
いわゆる「四道将軍」の派遣記事です。
記紀で丹波へ遣わされた人名が異なりますが、日子坐王と丹波道主命は親子。父子並んで丹波方面の征服にあたったものと考えられています。

新しい狛犬さん。
玖賀耳之御笠がどんな人物でどこに居たのか。
『日本書紀』の仁徳天皇の条に「桑田の玖賀媛」の説話があることから、桑田郡に住んでいた説。
他に、『丹後風土記残欠本』によれば
「古老伝曰 当リ二于御間城入彦五十瓊殖天皇(祟神天皇)之御代一当国青葉山中 有リ二土蜘(つちぐも)一 曰二陸(くが)耳御笠一者而其状賊(そこなう)二人民一 故日子坐王奉レ勅而伐レ之」
(昔々。祟神天皇の頃、丹波国青葉山に民を襲う土蜘蛛と呼ばれる陸耳の御笠って奴がいた。勅命によって日子坐がやっつけた)
と、青葉山に住んでいた説。

若様。
いずれにせよ、文献から判ることは、丹波地方には「玖賀耳之御笠」を代表とする大和朝廷に服従しない首長がいて、大和朝廷は日子坐王・丹波道主命を派遣して平定したという事。

八坂神社拝殿。
日子坐王・丹波道主命に関係のある伝承をもつ神社は綾部市に二社。
ひとつはここ八坂神社。もうひとつは、伊也神社。
山家藩陣屋隣地にある甲ヶ峯城址。

の、登り口に鎮座。

伊也神社。丹波国何鹿郡の式内社のひとつ。

祭神は、大日靈賣尊(おおひるめのみこと・天照大神) 、月夜見尊 、素盞嗚尊。
崇神天皇十年、丹波道主命が何鹿郡に来て甲ケ峯の麓に宮殿を造営し、三神を祀ったのが始め。丹波道主命の死後、伊也神社を勧請(社伝より)。
二つのお社の伝承から、この地方では古くから丹波道主命父子による丹波の平定が信じられていた事が推察されます。

笑い話ではなくて、昔話ね。
丹波平定後、日子坐王と丹波道主命父子はこの地に土着したようです。

兵庫県(丹波)篠山市の宮内庁の雲部陵墓参考地。
考古学名は雲部車塚古墳。
丹波道主命が被葬候補者に想定されている丹波地方最大の前方後円墳。

八坂神社の拝殿。
記紀には、日子坐王を祖とする「丹波氏族」は大和朝廷と深い姻戚関係をもち、丹波で勢力を伸ばしていたことが記録されています。
■第九代開化天皇の妃竹野(たかの)媛は、丹波の大県主(あがたぬし)由碁理(ゆごり)の女(むすめ)(※皇妃を出すのは大和の県主と丹波の大県主であった)
■日子坐王は開化天皇と竹野(たかの)媛の子。その妃の息長水依比売(おきながみすよりひめ)は但馬の出石君家の出
■日子坐王の子・丹波道主命の妃は丹波の河上摩須郎女(かわかみのますいらつめ)
■日子坐王の女狭穂比売(さほひめ)は垂仁天皇の皇后
■丹波道主命の女日葉酢(ひはす)姫は狭穂比売の遺言により垂仁天皇の皇后となり、景行天皇を生んでいる
『三代実録』に出てくる何鹿郡の人、刑部首(おびと)夏継も丹波氏族。

なんとなく、いいかほりがするの。

いえーい♪
しかし、本殿を見上げて、私はものすごく悩むこととなるのであります。

なんでこんな所に、お餅ぺったんするアレがあるのか。
アレ。えーっと。
あ、杵だ。しかも。

こんなにいっぱい。
うーん。うーん。
八坂神社
《住所》京都府綾部市上杉町小島迫1
参考文献
『綾部市史』(綾部市史編纂委員会編・綾部市役所)
いつも応援いただきありがとうございます。「四道将軍」の一人、丹波道主命の名前は見たことがあるものの伝説の中の人。人間関係を見ても「命」とか「媛」がいっぱい登場してさっぱりわからなかったのですが、丹波篠山へ行く際に毎回通る雲部車塚古墳とも結び付いて、なんとなーくお顔が見えた気がします。史跡を巡る醍醐味ですねぇ。うろちょろした甲斐があるってもんです。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
杵の調査報告。ぺったん。
-
紅葉探して安国寺。伝・足利尊氏生誕の地
-
株荒神。株ってなんなの?おいしいの?
-
火事が続出。さあ皆で秋葉神社の万年講。八坂神社
-
情報求む。なぜ杵が本殿を飾るの?綾部市の八坂神社
-
四道将軍丹波道主命の玖賀耳討伐。毒を治癒の八坂神社
-
上杉氏本貫地の綾部市上杉町。八坂神社の狛犬さん
-
篠田神社。本殿は室町時代の式内社
-
筍も茗荷も神事は生で。
-
中井権次一統の彫刻いずこ。彫りの深い美形探してます
-
筍神事で般若心経。たけのこほっくり篠田神社
-
穏やか大型犬狛犬。丹波国何鹿郡式内社の篠田神社
-
愛宕神社。建物をまもる神様四柱に会いました
-
阿須須岐神社の茗荷神事。志賀の七不思議
-
正月太りのお狐くん。ちょいと一息よっこいしょ。
-