丹波猿楽と梅若家と翁面。盛り沢山な阿須須岐神社祭礼

こんにちは。


京都府綾部市の阿須須岐神社。


百射の神事で的中したら始まる祭礼。当ててください。


はーい、お見事♪


さて、祭礼。

明治25年6月の記録による順序(町名は当時のもの)

一 露
二 振小太刀
三 小太刀
四 御太刀
五 御太刀
六 大太刀
七 花ノ躍(花の踊り・坊河内)
八 御年貢(狂言「御年貢」上演・金河内)
九 御能(能舞「難波(なにわ)」上演・坊河内)
十 上ニ太鼓
十一 下ニ太鼓





【狂言「御年貢」】

大蔵・和泉・鷺の各流派にはない演目です。

都へ年貢を献上に行く者二人のお話。
津の国住吉の人は「松」、同国片山家の人は「楪(ゆずりは)」という、共にお正月に使うものを年が改まってから持参。



それを殿に責められても、何だかんだと言い逃れ、歌を詠み、まぁるく納めて帰る、というお話。

お話の骨子だけは大蔵流「松楪(まつゆずりは)」に似ている(『綾部市史』p676)とか。
確かに、狂言の他の曲でも、主(あるじ)に何とか誤魔化そうと知恵を絞る太郎冠者・次郎冠者のストーリーは数多く見られます。


【花の踊り】

「新発意(しんぼち・しんぽち)」と呼ばれる子供二人が笹の枝と軍配を持って、二人同形の動作で踊ります。

大太鼓のリズムにのり、三人の大人がうたいます。

いわゆる「風流踊」の系統ですね。
丹波一宮の出雲大神宮(京都府亀岡市)の古文書(1459年)に「雨悦風流事・・」と記録があり、中世末期から江戸時代に流行した踊り。

「新発意(しんぼち・しんぽち)」とは、新たに発意して仏門に入ったばかりの人。
狂言でもしばしば登場します。

旅の雲水から念仏踊りを習ったものが、雨乞い・雨悦びの神事となり、やがて五穀豊穣を祝う神事に変化して伝承された踊り。各地で散見されます。

阿須須岐神社では、現行曲は「花の踊り」「雨の踊り」「御所櫓」。
台詞のみ残るのは「露おどり」「清水おどり」。


【能舞「難波(なにわ)」】

能楽「難波」。

世阿弥原作である事が確証されている数少ない曲のひとつ。

仁徳天皇の側近「王仁博士」の霊と、天皇家の祖先神である「木華咲耶麻姫(このはなさくやひめ)」が登場し、仁徳天皇の賢政による難波の都の泰平を讃え、全ての国の永遠の泰平を祈るお話。

シテの百済から来た王仁は、仁徳天皇が難波の皇子と言われ中々即位出来なかったときに

「難波津の さくやこの花冬ごもり 今は春辺と さくやこの花」

と、詠んだ人物です。


能「竹生島」の後ツレ「天女舞」

能楽の「難波」では、ワキ・シテ・ツレ・天女が出ますが、阿須須岐神社の祭礼では、シテ以外は全て地謡が分担。

舞い手はシテ(裃姿)のみ。面もつけません。(「直面」ひためん、といいます)

演じるときは、翁面と女面を面箱にのせ、正面に置きます。


神事舎の尉の面の写真。

桃山以前(南北朝の頃とする史料もあり)と思われる古式の面が今も数点、坊口町に残されているとのこと。


能楽において、「切顎(顎が分かれている)」が特徴の「翁(おきな)」の面は、「尉(じょう=おじいちゃん)」の中でも特別なものです。

白式尉・肉式尉(「翁」に使用)、黒式尉(「三番叟(そう)」で狂言方が使用)、父尉と延命冠者がこの「翁」に分類される面です。

※現在は、父尉と延命冠者は用いません。


切顎になっている「翁」の面は、能楽成立以前の「猿楽」の名残とされる古式の面で、現行は神事の扱いの特別な曲である「翁(おきな)」においてのみ用います。

出演者は舞台裏の「鏡の間」でお神酒を口にし、火打ち石で身を清めてから、舞台へ進みます。


篠山市の春日神社の翁像。「翁」の面を付けた状態。

「能であって能にあらず」と言われる「翁」。

「どうどうたらりたらりら」と謡い出したり、面箱に入れてきた面を舞台上で付けたり、とても不思議な神々しい曲です。


なぜ丹波の綾部市の阿須須岐神社の祭礼に能楽が伝わり残っているのか。


まず、能楽の元祖は猿楽であり、丹波地方は「猿楽発祥の地」ともいわれ、平安末期から鎌倉時代初期に職業的猿楽師の団体が、大きな神社や仏閣に属して猿楽座を称していました。


能「竹生島」の後ツレ「天女舞」


観世流の名門に梅若家があります。

当主の梅若玄祥先生は当代きっての名手ですが、漫画「ガラスの仮面」の劇中劇「紅天女」を能にしてしまうなど、素敵な活動もされています。

元々は京都太秦の梅津にいたという梅若家祖先。

934(承永4)年。丹波国何鹿郡大志麻荘(綾部市大志麻)に本拠を移し、梅若家一門は、綾部市から和知・周山・美山・殿田等の丹波地域に居住。

丹波猿楽の梅若座を構えます。

丹波猿楽には、この梅若のほか、日吉・矢田・榎並等に猿楽座がありました。

梅若家氏神様の福田神社は綾部市大島に鎮座、菩提寺の曹源寺は南丹市日吉町殿田。

やがて、時の権力者と結び付き優勢になる大和猿楽に呑み込まれていく丹波猿楽ですが、綾部市はじめ丹波の神社には今もこの猿楽や梅若家の能楽が伝承されているのです。


(クリックで拡大します)

では、最後に能楽「難波」より、仕舞の部分の言葉を。
シ=シテ、地=地謡
シテと地謡の掛け合いと、踏み鳴らす足拍子が面白い曲です。

青字は「附祝言(つけしゅうげん)」として、お祝いの席のシメなどに謡うおめでたい部分です。


シ あら面白の音楽や。
地 時の調子にかたどりて。春鴬囀(しゅんおうでん)の楽をば。
シ 春風ともろともに。花を散らしてどうど打つ。
地 秋風楽(しゅうふうらく)はいかにや。
シ 秋の風もろともに。波を響かしどうと打つ。
地 万歳楽は。
シ よろず打つ。
地 青海波(せいがいは)とは青海の。
シ 波立て打つは。採桑老(さいそうろう)。
地 抜頭(ばとう)の曲は。
シ 返り打つ。
(以下、地謡)
入り日を招き返す手に。入り日を招き返す手に。
今の太鼓は波なれば。寄りては打ち、返りては打ち。
この音楽に引かれつつ。聖人御代にまた出で。
天下を守り治むる。天下を守り治むる。
万歳楽ぞめでたき。万歳楽ぞめでたき。



阿須須岐神社
《住所》京都府綾部市金河内町東谷1




参考文献
「綾部市史(上巻)」(発行・綾部市役所)


いつも応援いただきありがとうございます。ついつい熱くなってしまう能楽のお話。昔々丹波に興味を持ったきっかけは、梅若先生のルーツが丹波にあると知ったこと。学生時代に能楽堂の虫干しでへろへろに疲れていたときの、梅若六郎先生の差し入れのケーキが美味しくて。以来、せんせを追っかけてました。うふふふ。じまん。
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No title

おはやうございます。
能・狂言のお話、大変興味深く、勉強になりました。

難波津の歌ですね。百人一首の歌留多取りを始める前に詠まれる歌です。古今集の仮名序にも載つてゐます。この歌の花は「梅」と言はれてゐます。甘い香りが咲き誇る穏やかな春の日が浮かんでくるやうな歌だと思ひます。

さて、和歌はさておき、江戸時代の農村部は娯楽もはなやかで穏やかな日々だつたやうな気がします。こちら丹波もさうですね。

このやうな文化は大切に残してゐきたい貴重なものですね。

No title

いいな、いいな、楽しそう!!
能でも狂言でも現代の演劇でも、とにかく本当の面白さって直接舞台を見ないと判らないんですよね^^

テレビだと何故か眠くなってくる(==;)ウーム
楽しい記事をありがとうございました^^

ぽちぽちぽちーーー

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

能と狂言がセットで残っているところがとても面白くて、長々と書いてしまいました。よかったー。

難波津の歌、ありがとうございます。
なるほど、百人一首の歌留多取り開始の前に詠まれるのですか。
25年ほど前になりますが、花博の「咲くやこの花」館の名称に地味ににやついておりました。

梅。

和歌には梅が多いような気がしますが、桜は最近なのかな。

謡には、古今集等の歌がものすごい数登場しておりまして。
各曲の解説を読んでも、検索して、こんなんわからん、っとドツボにはまってます。

関西のお祭りというと、布団だんじりとか、山車とか、使われる機材(?)に目がいきますが、祭礼も楽しいですね。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

楽しそうですよねっ(≧∇≦)♪♪

ライブが一番。景色は現地が一番。

そんなことしてるから、右往左往するわけですが。

丹波猿楽を追いかけていくと、あちこちで面白いものに出会う事ができます。
梅若座の一人には、明智光秀について山崎の合戦で討死した人もいます。光秀の丹波攻めの際に下ったのだと思いますが。
景色もいいし、食べ物はうまいし、地場野菜は新鮮で安いし。日帰り距離やし。ネックはもうすぐ出没する虫さん達です。

再び失礼します

おはやうございます。すみません、二回目のコメントを投稿してしまひました。

難波津の歌は、平安の頃には誰もが知つてゐる和歌の代表作みたいになつてゐたさうです。さう言ふこともあつてか、「咲くやこの花館」とか「浪速区、此花区」の由来にもなつてゐるさうです。

昔は中国の影響が色濃くて花と言へば「梅」だつたさうです。

人はいさ心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之:古今41)
百人一首にも選ばれてゐるこの歌の花は長谷寺付近に咲く梅ださうです。

梅から櫻にかはつたのは、遣唐使を止めた頃から徐々にと言はれてゐます。
それまでは和歌ではなく漢詩がもつぱら詠まれてゐたさうです。遣唐使を止めて、唐の影響が薄まつて来たので、日本独自の感性が研ぎ澄まされるやうになつたのでせうか。

和歌の世界は奥深くて難しいですね。僕も註釈附きの勅撰和歌集と古語辞典と歌枕・歌ことば辞典を睨めつこして、まだ、む~ん、と唸るぐらゐ万年初心者です。

橘右近大夫様

こんにちは。おお、ご丁寧な解説をありがとうございます♪
とても面白いです。

難波津の歌、なるほど誰もが知っている歌だったのですね。
恥ずかしながら、大阪に来てから知りました。

梅。

なるほど。梅から桜に変わっていくとは春が少しずれ込んでしまうことにもなりますね。
微妙な季節感を詠んだ和歌。当時の日本人の感性には驚きます。

能楽「胡蝶」。

満開の梅の花の中を蝶々が飛ぶのですが、これは梅の季節には蝶々はいない、という前提を知らないと面白味がありません。
観音様の功徳で、ずーっと夢見ていた「咲き誇る梅の花」を飛び交う事ができて、ちょうちょ、嬉しい♪ってお話。

応援ポチです。

こんばんわ いつも有難うございます。

ちごゆり嘉子様

ありがとうございます。
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Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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