こんにちは。
大阪から丹波篠山へ向かうルートの途中。
能勢町から国道173号線へ向かう道中に名月峠があります。
ここ、なんか好きなんです。車道の上に伝説の足跡。

「摂津御園荘浜村(現、尼崎市)の三松刑部尉国春が大日如来様に願掛けして、とても美しい名月姫を授かり、姫はやがて能勢家包(いえかね)の妻となり幸せに過ごしておりました。
ところが、平清盛に見初められてしまい。
人妻なのに。
権力には逆らえず、清盛のいる福原(現、神戸市)に向かう途中、名月姫は夫への貞節を守り、この峠で自害。
姫の亡骸は峠に葬られ、以来、誰からともなくここを名月峠、と呼ぶようになりました。
清盛~ (ノ`△´)ノ !!
だから貴方には、〇盛、□盛、☆盛、と、子供がモリモリ… o(`^´*)
姫だけでなく、家族もかわいそう (;_q)
(現地案内板、能勢町教育委員会 より抜粋)



中央が名月姫の宝篋印塔で、両側に、父(国春)と夫(家包)の五輪塔。
姫の側に今も寄り添って守ってるように見えます (ノ_<。)

月姫の宝篋印塔。屋蓋の隅飾りの散蓮は、能勢特有の近江式装飾文。
鎌倉時代後期の作。
今も名月姫を憚って、嫁入りの時は前を通らない風習が残っている名月峠。

きーよーもーりー (*`Д´)ノ!!!
いつも応援いただきありがとうございます。北向に走るときはいつも通る名月峠。いつお参りしてもとてもきれいに手入れされています。お気に入りの所なので、再掲でごめんなさい。峠道は桜並木。開花宣言は来週です。


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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ここは行ったことありません。
鬱蒼とした森の中に名月姫が眠っておられるのですね。
一人歩きは怖そうなところですね。
お墓だから当然か・・・(^_^;)
なんとも!
惨い話ですね・・・
名月姫も両脇をガッチリと固めてお父様と夫様が
寄り添っているので安堵?している事と思いますが・・・
嫁入り前は通らないとか、峠やらって
何かしらそうやって名前が残って行くんですね。
こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
ここは、ローカルな道なので、えへへ。
ただ、地理的には、あながち伝説だけではないなぁと思える場所にあります。
高速を使わずにドライブするのがモットーなので、えっちらおっちら走っていると、時々こういう史跡に巡り会います。
お墓が賑やかしいのは、高野山奥の院ぐらいかと。
もはやあそこは観光地で、団体さんが、どーんっ(ノ_<。)
こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
集落をまたいだり、国を越えたりする場所には、なにかの伝説が残っていますね。
今は車道が通って明るめになったのですが、峠の端は少しひやーんっとしますよー。
お墓で守るなら、生前に守ってあげてっと思ってしまいます。
まぁ、当時の男女関係を考えれば、清盛のしたことはとんでもなく非道な事ともいえないかしれないですが。
嫌ったら、イヤ!って女心は感じてやれーっと思うのでした。ほほ。
こんばんは。
この道は車が通れる道なんですね。
橘右には無理です、こんな狹い道・・・。
平清盛は「こら!」つて感じですね。名月姫以外にも祇王と仏御前の悲哀話もありますし。
どこかの漫画のやうですが「天に代つてお仕置き」と言ひたくなりますね。
ご紹介ありがたうございます。機會があれば、ぜひ行つて見たいと思ひました。
こんにちは。いつもお世話になっております。
ああぁぁ、ごめんなさいっ。わかりにくいですよね。ってか、はしょってますよねっ。
名月峠の細い道の麓にはご立派な車道があります。
えーっと。能勢町中央スポーツ公園の道です。竜王山北側を東西に真横に走っている、「大阪府道4号線」いわゆる茨木能勢線。名月峠を切り通しのように走ってます。
だいじょぶ。片側一車線ですからっ。
標識のあるところに車を停めて、てーくてーくです。
「月にかわってお仕置き」ですっ。だって名月峠だもんっ。
とても静かで落ち着きそうなところですね。
写真で見る限り、とても素敵な場所のように見えました。
名月姫のお話、とても切ないですね。
自ら命を断ってでも夫との貞節を守りぬいた女性。
なんと言えばいいのでしょうか、こう、心か震えました。
夫を大切に想っていたのだな、と深く感じました。
今生の時ではなくても、
天国でお父様と旦那様と寄り添って、幸せになっていてほしいと心からそう思います。
切なく悲しくも、美しい歴史が眠る名月峠。
ぜひ、一度行ってみたいです。
こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
京都府寄りの大阪から兵庫寄りの大阪へ向かう峠です。
当時は一夫多妻、通い婚の残る時代です。
名月姫の行いは当時としてはなかなか共感を得られないながらも、同情する人はいたであろうと思います。
父と旦那はいざとなったらてんで役に立たず。
今さら寄り添うなら、なんとかならなかったんか、こらーっと思ってしまいます。
しかし。
当時の情勢や風俗を差し引いても、やはり、名月姫のお話は切ないですね。
数百年を経ても大切にされているのは、名月姫に共感する人は普遍的に存在するという証なのかもしれませんね。
つねまるさん、こんばんわー♪
悲しい話です。
当時の権力者は人妻にも手をだしたのですね。
きれいな姫がいると諫言した奴が憎いですねー。
夫と寄り添った墓標が嬉しいです。
関西では結構有名なスポットのようですね!
こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
当時は人妻でも今ほどのタブーではなかったのでしょうねぇ。権力者ですもんねぇ、清盛。
なので余計に名月姫のお話が残ったのかしら、と。
チクった人はごほうびに何をもらえたんでしょう。
牛かしら。馬かしら。おぜぜかしら。
名月姫のお話は数ヵ所に伝わっているので、それぞれの土地で趣が異なっています。
能勢では名月姫の墓所ですが、このお話には後日談があり、それは尼崎と淡路島とに残ります。またいつか。