大賣神社。おでき治す稲荷と義経の道案内の鷲尾三郎
こんにちは。

丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」。

付近はこんな感じ。

越後村上藩主村上忠勝の墓所。
背後に見える笛吹山(384m)に、笛吹山城(大熊城)。麓に大賣神社。

のどかな道端に社標。
さてここで、いきなり源義経の登場。
平家追討のため都から須磨浦方面へ向かう源氏御一行様。
平家物語では、平家10万(実勢は7千~3万程度)、対する源氏は範頼軍5万義経軍1万(実勢3千程度)。
兄の範頼の進軍は西国街道(70~80km)。
これに対し、義経は亀岡から丹波篠山を大迂回する丹波街道(120~140km)を進軍し、「鵯越」から須磨浦へ。

内陸部ざっくり地図。下の国道372号がデカンショ街道。
京都府亀岡から播磨姫路へ。
(※阪神淡路大震災の時に海辺の道路が壊滅の中、大活躍した迂回ルートです)
さて、笛吹山。
京都から「三草山~鵯越~須磨浦」ルートで、篠山を通り合戦に向かった源義経がこの辺りで少し休憩。
このとき。
松に掛けていた義経愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し、笛の音に合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言うことから、笛吹山となったという伝説。

本殿に向かって左側に、

笠鷺稲荷神社。
【祭神】大己貴命、宇賀魂命
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全のほか”おでき”の神様として”おでき解除”のご利益があることで良く知られているお稲荷さん。
「おでき」、つまり、瘡蓋の瘡(かさ)→「笠」鷺稲荷神社。
天然痘の別名「疱瘡」、また梅毒も「瘡」と呼ばれており、単なる「吹き出物ちゃん」ではなく、命にかかわるものを退けてくれるありがたいお稲荷さん。
篠山藩主松平若狭守康信の祈願所として崇敬が厚かったとか。
笠、今は麦わら帽子がいくつか奉納されていました。
さて。もう一度お参り。祭神のお名前に注意。

【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命
【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎
神様が並ぶ中、「鷲尾十郎」。
誰。画像リピート。

のどかな道端に社標。
実はここから背後(北東)へ進むと、鷲尾集落。
この「鷲尾」さんは、西摂津から播磨にかけて勢力を張り、要路の要所を押さえていた「鷲尾党」の一族。
ここには、「(鷲尾)十郎屋敷跡」と「鷲尾三郎供養の宝筐印塔」があります。
鷲尾三郎。
「源平盛衰記」では鷲尾三郎経春、「平家物語」では鷲尾三郎義久として登場。
西国不案内の義経一行を道案内した人物です。
弁慶が道案内を猟師(鷲尾良久)に頼みますが、年をとっているからと三男を差し出します。
義経一行は彼を家臣に加え、鷲尾三郎は鵯越への案内役を勤めました。結果、義経は鵯越にて須磨浦へたどり着き、大活躍。
鷲尾三郎は、奥州衣川館で藤原泰衡等に襲われ、義経が自害するまで従い、衣川で討死。義経に殉じます。
残念ながら、鵯越ルートは諸説あり、また、鷲尾三郎の出身地も神戸市東下、白川と多井畑など、諸説。
※鷲尾三郎出身地と鵯越ルートを楽しく検証されているサイトあります。(http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm)

じーちゃま、こんにちは。




とても楽しい大賣(おおひるめ)神社でした。おしまい。
大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356
参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」
いつも応援いただきありがとうございます。義経の大迂回。本人さんと御一行様は大変でしょうが、あちこちに残る足跡を追うのも楽しいです。狛犬さん達のかわいい「大賣(おおひるめ)神社」、桜の篠山城など見所史跡がてんこもり。丹波篠山へぜひお越しくださいませ。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。

丹波の式内社「大賣(おおひるめ)神社」。

付近はこんな感じ。

越後村上藩主村上忠勝の墓所。
背後に見える笛吹山(384m)に、笛吹山城(大熊城)。麓に大賣神社。

のどかな道端に社標。
さてここで、いきなり源義経の登場。
平家追討のため都から須磨浦方面へ向かう源氏御一行様。
平家物語では、平家10万(実勢は7千~3万程度)、対する源氏は範頼軍5万義経軍1万(実勢3千程度)。
兄の範頼の進軍は西国街道(70~80km)。
これに対し、義経は亀岡から丹波篠山を大迂回する丹波街道(120~140km)を進軍し、「鵯越」から須磨浦へ。

内陸部ざっくり地図。下の国道372号がデカンショ街道。
京都府亀岡から播磨姫路へ。
(※阪神淡路大震災の時に海辺の道路が壊滅の中、大活躍した迂回ルートです)
さて、笛吹山。
京都から「三草山~鵯越~須磨浦」ルートで、篠山を通り合戦に向かった源義経がこの辺りで少し休憩。
このとき。
松に掛けていた義経愛用の笛が、風を受けてか不意に鳴り出し、笛の音に合わせて裏山から太鼓の音が響いてきたと言うことから、笛吹山となったという伝説。

本殿に向かって左側に、

笠鷺稲荷神社。
【祭神】大己貴命、宇賀魂命
五穀豊穣・商売繁盛・家内安全のほか”おでき”の神様として”おでき解除”のご利益があることで良く知られているお稲荷さん。
「おでき」、つまり、瘡蓋の瘡(かさ)→「笠」鷺稲荷神社。
天然痘の別名「疱瘡」、また梅毒も「瘡」と呼ばれており、単なる「吹き出物ちゃん」ではなく、命にかかわるものを退けてくれるありがたいお稲荷さん。
篠山藩主松平若狭守康信の祈願所として崇敬が厚かったとか。
笠、今は麦わら帽子がいくつか奉納されていました。
さて。もう一度お参り。祭神のお名前に注意。

【主祭神】大宮売(おおみやひめ)命
【配祀神】素盞嗚命、大歳命、応神天皇、菅原道真公、武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、姫大神、大山主命、鷲尾十郎
神様が並ぶ中、「鷲尾十郎」。
誰。画像リピート。

のどかな道端に社標。
実はここから背後(北東)へ進むと、鷲尾集落。
この「鷲尾」さんは、西摂津から播磨にかけて勢力を張り、要路の要所を押さえていた「鷲尾党」の一族。
ここには、「(鷲尾)十郎屋敷跡」と「鷲尾三郎供養の宝筐印塔」があります。
鷲尾三郎。
「源平盛衰記」では鷲尾三郎経春、「平家物語」では鷲尾三郎義久として登場。
西国不案内の義経一行を道案内した人物です。
弁慶が道案内を猟師(鷲尾良久)に頼みますが、年をとっているからと三男を差し出します。
義経一行は彼を家臣に加え、鷲尾三郎は鵯越への案内役を勤めました。結果、義経は鵯越にて須磨浦へたどり着き、大活躍。
鷲尾三郎は、奥州衣川館で藤原泰衡等に襲われ、義経が自害するまで従い、衣川で討死。義経に殉じます。
残念ながら、鵯越ルートは諸説あり、また、鷲尾三郎の出身地も神戸市東下、白川と多井畑など、諸説。
※鷲尾三郎出身地と鵯越ルートを楽しく検証されているサイトあります。(http://www14.plala.or.jp/niu_yamada/yoshitsu.htm)

じーちゃま、こんにちは。




とても楽しい大賣(おおひるめ)神社でした。おしまい。
大賣(おおひるめ)神社
《住所》兵庫県篠山市寺内356
参考文献・サイト
兵庫県篠山市ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→篠山市HP「大賣神社」
兵庫県神社庁ホームページ「大賣(おおひるめ)神社」→→→兵庫県神社庁「大賣神社」
いつも応援いただきありがとうございます。義経の大迂回。本人さんと御一行様は大変でしょうが、あちこちに残る足跡を追うのも楽しいです。狛犬さん達のかわいい「大賣(おおひるめ)神社」、桜の篠山城など見所史跡がてんこもり。丹波篠山へぜひお越しくださいませ。



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