まけきらい稲荷。負けず嫌いな藩主をお助けどすこい

違います。花の粉です。
さて。
王地山稲荷社ですが

案内に「まけきらい」。

意地っ張りな水口ぴょん太。

ぴゃー。
なんなの、このアグレッシブな神社は。

末社、平左衛門稲荷。
扁額に「平左衛門稲荷大明神 まけきらい」と記載。
ここかー!

なんだなんだ?大阪場所か?
私の知ってるお狐様は

華奢だとか

にーちゃんと

反省する弟とか

マイペースな兄と狭い弟とか
(兄弟2組は徳島市諏訪神社境内社・稲荷神社の狐くん)

丹波篠山藩主は松平家が続いた後、青山氏。

青山家は家康時代から徳川に仕える譜代。
とある日。老中、篠山藩主青山忠裕は憂鬱でした。

毎年、江戸吹上御殿にて将軍上覧大相撲が行われます。

(三重県熊野市、産田神社の狛犬)
他藩ではお金で本物の力士を雇い、優勝を目指します。

(京都府亀岡市、穴太寺境内社の狛犬)
しかし、篠山藩5万石ではお金で強い力士を集めることもかなわず、負けず嫌いな藩主青山忠裕は、悔しくて悔しくて。
今年も力士体型にはほど遠い面々がご挨拶に来ました。
「殿、ご機嫌うるわしゅー。手前が頭取の高城市松、こっちは王地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、小田中清五郎、須知山道観、曽地山左近、頼尊又四郎、それに行司の金山源吾にございます。」
青山くん、憂鬱でも参加しないわけにもいかず。
ところがどすこい。

あらびっくり。

藩主青山忠裕が褒美の酒を与えようとしますが、力士達の姿はなく。
「探せー!」
早駕籠で追いかけさせるものの、見つけることあたわず。
丹波篠山に着いてしまいました。
事情を聞いた城代家老もびっくり。

(篠山城・大書院。再建)
力士達を送り出したのは国元ではなく。
「探せー!」のご命令があるので、篠山藩内の庄屋全員集合。

草の根分けても探さなあかん。
と、その時。
名主の一人が「王地山、波賀野山、みんな、お稲荷さんがおんで。きっと、そりゃお稲荷さんでは・・・。」と言い始めましたが。
城代家老「んな阿呆な~」
しかし。

(滋賀県日野町・馬見岡綿向神社境内社の狐)
言われてみれば確かに、力士のしこ名にはお稲荷さんが鎮座。

さらに、お相撲期間中にはお供え物がそのまま残っていたこと等、不思議な事が数々あったと皆が口々に言い始め。
従って。
王地山、飛山、頼尊、波賀野、小田中、曽地、須知、金山、高城、黒田等の各地の稲荷が、藩主青山忠裕の面目のため力士に化神したと判明。

細まっちょ、恐るべし。
城代家老から報告を受けた藩主青山忠裕は、それぞれの稲荷に幟や絵馬を奉納して感謝しました。
これが「まけきらい稲荷」の起こりだということで。

王地山稲荷社末社、平左衛門稲荷。

力士に化けて藩主さんの鬱憤を晴らしました。

頑張ったお稲荷さん。
情が深くその愛情はきめ細やかという狐。

こんな彼を見るに見かねたのかもしれません。

お江戸までえっちらおっちらと出張までするのは、大変だっただろうに。
ところで、この藩主青山家。
篠山の人々にとても愛され親しまれたおうちだったようです。
篠山城に鎮座する青山神社は、篠山城が1871(明治4)年に廃城となった後、藩主青山家の旧恩を追慕する人々が、青山家の御霊を祀る神社の創建を熱望。
青山家の遠祖・青山忠俊を御祭神として1882(明治15)年5月に創建されました。

まけきらい稲荷社の境内社、能勢妙見宮分社。

読めません。

境内の灯籠。
狐さんへの恩返し。ほっこり。

どこぞの狛犬さん、焼きもちもっちもち。
いつも応援いただきありがとうございます。昨日はあたたかいお言葉を賜りまして、ありがとうございました。嬉しくて心が踊っております。さて篠山のまけきらい稲荷のお助けお狐さんのお仲間達。今も篠山の各地に鎮座し、大切に守られています。どすこい。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
春日神社。子狛ちゃんが待つ八上城の登山口だぜぃ
-
閑話休題・篠山城のサクラサク
-
大賣神社。おでき治す稲荷と義経の道案内の鷲尾三郎
-
大賣神社。恐竜の子供ちゃん狛犬、こんにちは
-
大賣神社。三岳修験道の名残とちびっこ狛犬人面犬
-
大賣神社。室町時代の狛犬ちゃんがかくれんぼ
-
大賣神社。おおひるめ神社からこんにちは
-
まけきらい稲荷。負けず嫌いな藩主をお助けどすこい
-
まけきらい稲荷。茨城県土浦から丹波篠山へ
-
磯宮八幡神社ハダカガヤ。光秀丹波攻めと神仏習合四天王
-
磯宮八幡神社で子ども狂言発表会。賑やかっていいな
-
波々伯部神社。ほほかべ氏と丹波の祇園さんの受難
-
丹波篠山で酒を調達。田んぼ畦道に越後村上藩主の墓所
-
ゲリラ雷雨の豪雨の連休初日
-
櫛石窓神社(名神大社・篠山市)と明智光秀ファイヤー!
-