長宗我部元親より「向後猶以御指南所仰候」心機一転

こんにちは。


丈六寺・徳雲院には血天井。

丈六寺において新開氏を謀殺した長宗我部元親。


土佐より四国平定を目指し、細川氏と三好氏の攻防等で混乱する阿波へ侵攻。



1585(天正13)年。
四国をほぼ手中にしていた長宗我部元親に対して、秀吉は弟の秀長を総大将とする征伐軍を四国へ。四国平定戦です。

このとき、蜂須賀正勝は。

軍目付として参戦。讃岐屋島に上陸し、讃岐・阿波の諸城攻略にあたります。


同年7月25日。元親は敗北を認め、休戦。

蜂須賀正勝は、講和の交渉役を務めました。


長宗我部元親から講和成立直後に出された蜂須賀正勝宛の書状があります。

「長宗我部元親書状」

御状令祝着候、進退
儀、今度 殿下(※秀吉)御
寛宥儀、併貴所(※正勝)御取
合故存候、仍證人進
置上者勿論無二之覚
悟候、向後猶以御指南
所仰候、就中孫七郎(※秀次)殿
御預御使御懇慮次第、尤
過分存候、次為御自分御
太刀一腰・馬一疋贈給候、
怡悦之至候、委曲白郷殿
申述候、恐々謹言

  壬(※天正13年)八月五日 元親(花押)

蜂須賀彦右衛門尉殿
          御返報



「長宗我部元親書状」(徳島市立徳島城博物館蔵)
1585(天正13)年。(17.1×49.2cm)

(改行は書状のまま、「※」4ヶ所加筆)


講和成立直後に出された書状で、斐紙系の料紙に丁寧な筆遣いで認められています。

内容は、この度の講和や助命は蜂須賀正勝のおかげです、ありがとう、と礼を述べ、併せて今後の御指南をよろしくね、とお願いしています。

もとちか、やればできる子です。




四国平定にあたり、軍目付として参戦し、講和の交渉役を務めた蜂須賀正勝。

四国の覇者である長宗我部元親が「向後猶以御指南所仰候」とまで気を遣っている様子が伝わる書状です。


長宗我部元親との講和後。秀吉は四国の国分けを行います。

土佐一国は長宗我部元親に安堵。
讃岐は仙石秀久。伊予は小早川隆景。

阿波は蜂須賀正勝に与えようとしたところ、老齢を理由に辞退。

嫡子家政が拝領。



明治時代に至るまでの蜂須賀家のスタートです。



ところでこの「長宗我部元親書状」。
使用している紙は「斐紙系」(徳島市立徳島城博物館説明文より)。

「斐紙」は、正倉院文書の中に多く用いられている古代紙。「鳥の子紙」とも呼ばれるこの紙は、かな文字を書くのに最適だとか。

最澄が唐に渡航する時、お土産として筑紫の斐紙(雁皮紙)を大量に持参する程の上質の紙。
斐紙の主原料は植物の「雁皮(がんぴ)」。雁皮は中国・韓国では未使用の「日本オリジナルの原料」。斐紙(雁皮紙)は純国産の優等生。

「正倉院」という世界でも類い希な保存装置に守られているとはいえ、展覧会で目にする紙は、千数百年前に作られたとは思えない見事な状態です。

「和紙は千年を超える保存性が実証されている世界で唯一の紙」と賞賛される由縁です。



いつもお世話になっている時乃★栞様が読み下し文をコメントにつけてくださいました。
ぜひ、併せてご覧くださいまし。とんでもない気配りしてる元親がいます。

時乃★栞様ありがとうございます。


参考文献
「特別展『蜂須賀三代 正勝・家政・至鎮ー25万石の礎ー』」(2010年 徳島市立徳島城博物館発行)

いつも応援いただきありがとうございます。謀殺上等!の長宗我部元親ですが、改まる場面ではきっちり。古文書は読めずに眺めてうっとりするだけの私でも、「これからよろしくね(あとは行間からおくみとりあそばして♪)」という元親の書状は面白いです。
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No title

おはやうございます。
蜂須賀正勝は、矢作川の一件があり野盗の類と勘違ひされゐる向きも多いですが、ほんたうはもつと評価されるべきだと常々思つてをります。

金ヶ崎の退き口は正勝が居なければ成し得なかつたと思ひます。伊木清兵衛、樋口直房を始め数々の武人を調略したもの、正勝の才覚ぢやないかと思つてをります。
ほんたうは、秀吉が調略に長けてゐたのではなく、正勝が長けてゐたのではなんて思ふこの頃です。
本件の書状もその片鱗のやうに感じました。

常に秀吉の傍にあり黒子のやうに仕へ、秀吉が天下人となると急に距離をとつたやうに見えます。
その平衡感覚が子孫にも伝へられ、江戸期を通して取り潰しや配置換へもなく続いた秘訣なんでせうね。

ただいま修行中につき

未熟ながら読み下しさせて下さい。
御目汚しかとは思いますが、とくにかく少しでも沢山の古文書を読み下さないと上達しないので~)(-人-;)☆彡オネガイ!!
なるべく雰囲気を壊さないように頑張ります(`・ω・´)

御状令祝着候
御状 令(りょう)し祝着に候

進退儀、
進退の儀、

今度殿下(※秀吉)御寛宥儀、
今度(こたび)殿下が御寛宥(かんゆう=寛(ひろ)い心で赦す)の儀、

併貴所(※正勝)御取合故存候、
併せて貴所の御取合(とりあい=仲介)故と存じ候

仍證人進置上者勿論無二之覚悟候、
仍(よっ)て證人(しょうにん=人質)を進じ置く上(うえ)者(は)勿論 無二の覚悟に候、

向後猶以御指南所仰候、
向後(こうご=これからも)猶(なお)以(もっ)て御指南所を仰ぎ候、

就中孫七郎(※秀次)殿御預御使御懇慮次第、尤過分存候、
中でも孫七郎殿に就(つ)いて御預かり御使い御懇慮の次第、尤も過分に存じ候、

次為御自分御太刀一腰・馬一疋贈給候、怡悦之至候、
次に御自分の為、太刀一振、馬一疋 贈り給わり候、怡悦(いえつ=喜び楽しむ)の至りに候

委曲白郷殿申述候、恐々謹言
委曲(いきょく=詳しい事)は白郷殿へ申し述べ候、恐々謹言

超意訳は細かい解釈に自信ないから自粛^^;

No title

返報だから蜂須賀正勝からの貰った書状(秀吉からの令(お達し)含む)への返事みたいですね。
書状だから慣例通りの年欠ですが、干支が書いてたのと諸情勢から年度が絞れたんだと思います。

(17.1×49.2cm)だと、堅紙(かたがみ)よりサイズが小さいなぁ。
縦が短いから書ききれず、段落が文節とは無関係になってます。
雁皮紙は超上質和紙だから、このサイズなのか~その辺りは自分の知識不足で判りません^^;

とにかく物凄く気遣いしてるのが伝わってきます^^;
起請じゃないけど、人質を出す、無二の覚悟です、とまで約してる。
元親から人質を出すのは、取合(仲介)である蜂須賀正勝のメンツも立てることになりますから。

秀次の下りは、四国が専門外なので、どう解釈して良いか判らなかった^^;
四国征伐では副将でしたが、近江を拝領して四国から離れるから「大丈夫だと思うよ~」的な事を正勝が伝えたかな?って印象を受けました

元親へ正勝が太刀と馬を自腹?で贈ってるみたいで、
講和直後で先々の不安でピリピリしてたであろう元親の緊張を解そうと細々と配慮したらしい事が窺えます。
それらに対し、取合(仲介)が正勝で良かった~ってホントに感謝してたんでしょう。
何しろ信長存命時代の仲介は明智光秀で、元親の正室も明智氏所縁ですから、すごい不安だったと思います。

あぁ、元親さんの書状から蜂須賀さんの配慮が仄かに見えるのが、蜂須賀ファンとしては激萌えです。
原文掲載、リサーチお疲れ様でした。
調べだすとキリがないから、何処で纏めるか決めるまで大変だったんじゃないですか?

完全意訳は力不足で無理でしたが、読み下しが出来て自分も幸せ・・・(人´∀`).☆.。.:*・
ぽちぽちぽちーーーー

橘右近大夫@酒呑童子様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

矢作川のあれは、全くの創作なのに有名になってしまって。
まったくもう。うちのはっちーに何て噂を。ぶぅ。

創作話のおかげで、大河をはじめ、武力一辺倒のぱらっぱーな人に描かれていますが、おっしゃる通り、知略に長けた人だと思います。
残っている文書を見ても、細やかな気配りをしていますし、交わした相手も領主だったり重鎮だったり。正勝さん、よろしくね~のお手紙が多いですね。

関ヶ原の駆け引きも上等。自身は身を引き、秀吉の17回忌供養も徳島で盛大に行いつつも、東軍に嫡男が参加。

大変やっただろうなと思いますよね。

数ある文書の中でも長宗我部元親の書状は正勝のバランスの良さを象徴しているように感じましたので、掲載してみました。

時乃★栞様

こんにちは。この度はご協力賜り、心より御礼申し上げます。

えーん、ほんまに嬉しいです(T▽T)
大変な作業でしょうに、解説まで加えていただいて。ありがとうありがとう。

元親、最上級で気を遣っているのですねぇ。面白いなぁ。

でも、その前に正勝が何かしてあげているんですよね。
おんまさんと太刀をあげたのは自腹っぽいですね。

蜂須賀正勝がいたから秀吉の天下になったのでしょうに、どうもやんちゃ野郎な人のイメージが残ってて悔しいな。

あま市蜂須賀の辺りをうろつけば、蜂須賀家はそんなおうちじゃないとわかるのになぁ。

親ばか正勝のお話もあるので、はっちー物語は少しずつ更新出来たらと思ってます。
この度はほんとにありがとうございました。

No title

つねまるさーん、こんばんわー♪

蜂須賀正勝さんは四国平定でのキーマンですね!
長宗我部の押さえとして、阿波一国を与えられたとか、
秀吉からの信頼も厚かったのでしょうね。

つねまるさんのお陰で、ハッチーの勉強ができました♪

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

うぇーん。ドツボにはまりましたぁー(ノ_<。)
はっちー家、楽しすぎます~。明治まで続く安心感と、出身が同じ愛知県という点だけでお気楽に追いかけたのに。

piglet01様のように、全国の武将さんを知るにはいったいどれくらいの月日がかかることか。うぇーん。

人たらしの秀吉、すごいなぁーって思っていたのですが、ほじくりかえしたら蜂須賀正勝や官兵衛に頼っていただけなんじゃないかと。
いや、有能な部下を使いこなしてこそ優れた経営者なのかしら。

はっちー、面白いですね。マムシより誠実で安心感みちみちです。
もっともっと知りたいです。一日が40時間あったらいいのにな。あ、勤務時間はそのままで。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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