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丈六寺。蜂須賀家重臣団の墓所と海部騒動

こんにちは。花粉飛散で悲惨です。


丈六寺。一の門。


山門。


観音堂。

1567(永禄10)年。細川真之(さねゆき)が父の持隆(もちたか)の17回忌に寄進した、丈六寺山門と共に室町末期の姿を残す徳島県下最古の建築物。


本堂。

1629(寛永6)年。阿波徳島藩藩祖・蜂須賀家政が四女・辰姫(戸田忠光の正室。実相院)供養のために方丈を再建し寄進。


実相院墓所。


正徳院墓所。

実相院の兄弟である、阿波徳島藩初代藩主・蜂須賀至鎮の娘。

13歳で水野成貞(直参旗本3,000石)に嫁ぎます。

幡随院長兵衛と対立した水野十郎左衛門の母で、十郎左衛門切腹後、お家は改易、阿波へ帰って69歳で没します。



観音堂周囲は蜂須賀家重臣団の墓所。

各家ごとに墓所群を形成しています。高野山奥の院の大名墓所と同様に江戸時代の五輪塔が大半なのですが、興味深いのは石に刻まれた文字。


【五輪塔てなんだー?】

仏教では宇宙は、「空・風・火・水・地」の五つの要素から構成されているといいます。

五輪塔はこの五つの要素を表す高野山から始まったといわれる死者の供養塔で、平安後期以降に建立されるようになりました。


高野山奥の院の五輪塔。
「空・風・火・水・地」は、梵字で記されています。


丈六寺の五輪塔。梵字ではなく、漢字です。

ちょっとしたことですが、ふと気になりましたので。



これは何かしら。


【蜂須賀家重臣の墓所群】




阿波九城のひとつ、海部城代・益田豊後長行の墓所。(横から失礼)

海部郡内7,500石を領する江戸家老の益田長行。

益田豊後長行は、蜂須賀家政とは従兄弟(蜂須賀正勝《小六》の正室の縁者)。

家臣団の中では、首席家老稲田家、次席家老賀島家に次ぐ家格を持ち、軍事支配体制の中で強大な権限を持った有力な家老でした。


【海部騒動】

《騒動の経緯》

1633(寛永10)年。阿波徳島藩第2代藩主忠英の時代。

海部郡内7,500石を領する江戸家老の益田長行は、江戸詰が多く、幕閣の酒井忠世等の人脈を利用し、海部郡の藩主となって独立しようと画策。

だって蜂須賀家政の従兄弟だもん。

長行は、禁制を破って山林の木を伐採し江戸に運び資金調達を図り、領内の年貢を割増。結果、領民が100人以上隣国土佐藩へ逃亡。

長行は藩主忠英により領地を召し上げられ、その後13年間幽閉されます。


これを恨んだ長行は逆ギレ。

なんと、藩主忠英が幕府禁制を破り大船を建造し、さらに切支丹への宗門改めを怠っていると幕府へ訴えます。

1646(正保3)年。長行の訴えは虚偽だと幕府の裁定が下ります。

長行の身柄は忠英に預けられ、阿波への移送中に病死したとも江戸屋敷にて斬刑されたとも。


《影響》

益田豊後事件が集結した後の蜂須賀家の政治体制は、大きく変化。

幕府による一国一城令の施行によって、阿波九城が廃棄され、軍事支配体制が崩壊。

益田豊後事件も大きく影響し、阿波徳島藩は官僚支配体制へと移行します。
多くの軍事に秀でた家老が淘汰され、権力の集中を回避するため、家老5~6名による仕置体制が確立しました。

藩主が直接政治を行う直仕置の体制から、仕置家老が直接政治を行う家老の仕置体制に移行します。


江戸の忠英から国許の家老達に出した1645(正保2)年のものと推定される書状が徳島県博物館に所蔵されています。
幕府側もこの件を重視。『徳川実紀』に裁決のようすを記録しています。



観音堂横の重臣達の墓所。


初代家老・稲田植元供養塔。

蜂須賀正勝と「義兄弟の契り」を結び、家政の阿波入国の際は筆頭家老。

脇城城番14000石。正勝との関係から、稲田氏は単なる家老ではなく客分であったといわれます。

稲田家2代示植(しげたね)は、淡路島の洲本城代となりました。

以降、稲田家墓所は淡路島の洲本となります。



林能勝(道感)(1534-1616)

家老。川島城城番。

先祖は木曽義仲と言われ、織田信長に仕えていましたが、本能寺の変後は蜂須賀正勝に仕え、四国征伐などに従軍。
大坂冬の陣には81歳の高齢で従軍して戦功があり黄金百両を賜りました。



山田家墓所群

山田家は徳島藩では稲田家、賀島家に次ぎ5千石を給される家老でした。


山田織部宗重墓所。

第11代藩主蜂須賀重喜の藩政改革に反対し閉門となりますが、後に重喜が失脚。山田家は藩政に復帰。(阿波騒動)



里見家9代・東根源右衛門墓所。

東根家は東根を本拠とする山形最上家の一門。

1622(元和8)年、最上家改易。
幕命によって東根源右衛門親宜は徳島藩預かりとなります。

当初は客分として優遇されますが、1626(寛永3)年、藩主蜂須賀家政の請いを受け1,000石をもって家臣の列に加わり、以後、中老格となって藩主に仕えました。

(本姓の里見氏に改めたのは明治初年)


東根源右衛門の妻、最上義光娘墓所。

なんと。最上義光の娘が徳島まで来ていたのですね。



山門外の鐘楼のそばにも、五輪塔。


名町奉行、物頭の柏木原人友諒墓所。


「江戸の大岡、阿波の柏木」


■藩の米を扱う人夫が、米俵を盗んで家に持って帰り、見つかった。
「家に戻ってまで、米俵で力試しをするな。米俵は、すぐに倉に戻せ。」

■禁猟区で魚を獲っていた男がいて、捕まった。
「禁猟区で網を洗うな。人が見ていると、魚を獲っているように見えるぞ。」

■家人に「本の土用干しをしておいてくれ」と頼んだ。昼頃、急に夕立が来て、本はみんな濡れてしまった。
「夕立のことを、言い置いていかなかったものな。」

■藩主が壊れた時計を柏木に渡し、「修理してくれ。」と言った。柏木はすぐに時計をオノで砕いてしまった。
「私は、町奉行です。時計の修理工ではありません。」

※童門冬二「名将に学ぶ人間学」より



高野山奥の院のように、立派な五輪塔が立ち並ぶ丈六寺墓所でした。


ちなみにどれくらい大きいかというと


こんな感じ。


いつも応援いただきありがとうございます。蜂須賀家の重臣達の墓所から、阿波徳島藩の家老達がどれ程の力を持っていたのかが何となく伝わる気がします。藩主蜂須賀家の墓所は、この丈六寺ではなく、興源寺になります。
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ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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非公開コメント

No title

こんにちは。

花粉で苦しんでおられるようで、
お大事にして下さい。

五輪塔、大きいですね。
京都の南禅院へ行く参道に
「空・風・火・水・地」の五つの要素を
図で描かれていますね。
色々な描き方があって、面白いですね。

No title

こんばんは。

いつも本当に良く調べられていて、ただただ感心致します。
それに、痒い所に手が届きそうな写真の数々。
蜂須賀家と一言で言いますが、色々な歴史が秘められているんですね。
長宗我部氏といい、蜂須賀家といい、四国って興味深いです。
柏木さん、この表現は子育てにも使えそう。
もう遅いけど。

No title

つねまるさーん、こんばんわぁ~♪

丈六寺の山門は凄いですね!
四国の戦国時代を眺めてきた建物なんですね。

それにこの丈六寺は、文化財を多く保有しているので、
徳島の法隆寺と呼ばれているとか。

義光さんの娘が徳島に嫁いでいたとは、、
大名の娘は、わが身の振り方は全く予想できなかったでしょうね。
夫婦並んで墓所かあるということは、幸せに過ごせたと
いうことでしょうね。

宙海様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
お気遣いありがとうございます(T▽T)

南禅院への参道の「空・風・火・水・地」、ありがとうございます(≧∇≦)
早速探して・・・「ぐるぐる」様に到着(*^▽^)/★*☆♪

全く知らなかったので、勉強になりました。
教えていただかなかったら、なにこれ~?変な模様♪と素通りか、そもそも気付かないですね。ありがとうございました。

五輪塔の文字面、高野山奥の院は近寄り難いけれど、読める漢字だと親しみがわくというか何というか。

「仏教では宇宙は五つの要素から」を「体で覚えたぞ!」って、そんな感じです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ぽりぽりぽり・・・かゆいとこ、もうないですか~?
おほめいただき、お恥ずかしい限りです。

蜂須賀家は幕末まで阿波徳島藩を治め続けましたが、平和に過ぎたわけでもないようですね。
書物で名前を見ていた人の墓所に出会うと、あー、ほんとにいた人なんだわ、っと嬉しくなり(というのも失礼ですが)ます。

長宗我部氏や蜂須賀氏は既知の人々と絡むので分かりやすくて面白さが倍増。細川氏や三好氏もとても興味を引きますよー。

柏木さん、面白い人ですよねー。うふふ。
昔々、水戸黄門か何かの時代劇で柏木さんが登場しまして。

へんなひとー(≧∇≦)

と、ちびっこながら楽しくて。うふふ。ご紹介できてよかったです♪

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

「徳島の法隆寺」展をしてくれないかと思ってるんですよ~。
古墳時代の鏡や、細川真之画像、蜂須賀家文書、てんこ盛り。
面白いだろうなぁ。

最上義光娘の中ではこの人は幸せな方だったでしょうね。
故郷からは遠いけれど、夫婦並んでいる墓所はあまり見かけませんもの。

最上義光ブランド、徳島で生き残りました。

No title

こんばんは。お邪魔します。
つねまるさんも花粉症でいらっしゃいますか~
私は花粉症っというより万年鼻炎でございますが今年は花粉の飛散が通年以上とのこと・・どうぞお大事に。。
立派な墓所でございますね。
最上家の姫君が徳島に嫁ぎこちらにご夫婦並んで眠っていらっしゃる・・その時代の色々なストーリーがありそうですね。。  

おきまちあき様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

私も花粉症というより、小学生の頃からのアレルギー性鼻炎で。
花粉の季節は、季節の変わり目、で、お鼻がだーだーになるもんだと思って諦めてました。ずるずる。

丈六寺の墓所群は、重臣方も大きな五輪塔を建立しており、少々驚いております。殿より立派な人もいたりして。

最上義光娘は旦那さんと一緒に徳島へ来たのですが、薄幸な姉妹の中でこの方だけが幸せな生涯だったのかもしれません。
普通は正室といえども簡素だったり離れていたりしますもの。しかも、一家臣の妻に過ぎないのですから。

最上義光の威光は徳島まで来た娘に確実に届いていたのでしょうね。
旦那さんも、誠実な人だったのではと思います。蜂須賀家にとってみれば、預かった人ですから。
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Author:つねまる
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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