丈六寺「血天井」。長宗我部元親の謀殺

こんにちは。


一宮城から見る阿波の景色。

さて。丈六寺。


徳島県下最古の木造建築物。丈六寺の山門。

丈六寺は、室町幕府相伴衆、阿波国・三河国・讃岐国の守護の細川成之(しげゆき)が、中興開基。

阿波細川家は、成之以降は若年の当主が続き、家宰の三好氏が台頭。


丈六寺・徳雲院。

細川持隆が瑠璃殿として寄進し、1563(永禄6)年に細川真之が改築し自身の法名である徳雲院に改称した建物。


経蔵は、1568年、細川真之(さねゆき)の寄進。

細川真之は阿波守護・細川持隆の子。
真之の時代になると、細川家は三好実休とその子の長治が実権を握ります。

真之は新たに台頭してきた土佐の長宗我部元親と手を結び、長治を滅ぼしますが、1582(天正10)年に長治の実弟の十河存保(そごうまさやす)に攻められて自刃。


丈六寺本堂の背後の山に、細川成之、持隆、真之の墓所があります。


さて。丈六寺から南東に牛岐城があります。


丈六寺の裏山より南方面遠景。


牛岐城は、阿波守護細川氏の家臣・新開氏の居城。

三好義賢が守護細川持隆を倒した後は、義賢との間に主従関係を結び、三好氏の南方における軍事及び政治上の重要な領国支配の一端を担っていました。


四国ざっくり図。

阿波国では三好長治が、重臣の篠原長房を攻め滅ぼすなど失策なう。

阿波屋形の細川真之は長治の態度に激怒。


1577(天正5)年。三好長治は細川真之を討つ為に出陣。

この状勢に際して一宮・伊沢・吉井の諸氏に加え、阿波を虎視眈々と狙う長宗我部元親が真之側につきます。


元親の阿波侵攻開始です。


結果、長治は敗れて自殺。長治の後は弟の十河存保が三好家を相続。


丈六寺・本堂

長宗我部元親の侵攻に対し、牛岐城周辺の諸城はすべて落城。
しかし、牛岐城の新開遠江守道善だけは最後まで抗戦。

元親の阿波侵攻の最大の障害はこの新開道善。



1579(天正7)年。中内兵庫を大将とした元親軍が新開氏を攻撃。

道善は手痛い敗北を喫し、翌年、ついに新開道善は元親の軍門に降り、牛岐城は香曽我部親泰の支配下に入りました。


阿波・一宮城の小倉丸。

道善の降伏を聞き知った一宮城主の一宮成助も、その直後に降伏。


1582(天正10)年。
長宗我部元親と敵対する十河氏を支援し、四国侵攻を画策していた織田信長が本能寺の変で死去。


長宗我部元親は、23000の軍勢で阿波に侵攻。

一宮城主の一宮成助と新開道善は長宗我部の軍の先鋒として奮戦。
十河軍に潰滅的打撃を与えました。

中富川の勝利によって長宗我部元親は四国をほぼ制圧。

元親は次に、阿波諸将のうち謀叛の疑いのあるものを排除し、後顧の憂いを断とうとします。



丈六寺・徳雲院。

元親に降伏したとはいえ、道善の牛岐城は難攻不落の城であり、道善自身がいつ裏切るかもわからない。三好康長に通じている気配もある。

元親は、新開道善に今後の政略についてお話しましょ(若しくは「四国平定の際には阿波のうち勝浦郡を与え、富岡城を安堵する」と提示。寺伝による)と、丈六寺に誘い出します。

元親の招きに新開主従はお呼ばれ。


生まぐろが出たかは不明。

宴会の席で、新開主従は土佐側のもてなしを受けてすっかり油断。

気持ちよく酔って城へ戻ろうとしたところ。

床下に隠れていた元親の刺客が主従を襲います。

きゃー!謀られた!と新開道善主従。

数に勝る敵兵相手に勇戦するも、たちまち全員斬り殺されてしまいました。



この時、床板に、新開道善主従の血痕が飛び散り、拭っても拭っても落ちない。

そこで、供養のため床から外し天井板にしました。これが、



丈六寺の徳雲院の「血天井」




【閲覧注意】

手の跡、足の跡。
















閲覧注意、以上。
(クリックで拡大あり)




徳雲院前の回廊。白い三角の垂れ壁間の天井板です。


説明板。(クリックで拡大)


阿波の伝承として有名なお話。

しかし、「元親記」では新開道善は切腹させたと記述があり、真相は謎。

道善の嫡子実成は桑野付近で自害したといわれ、新開氏は長宗我部元親の阿波侵攻によって滅亡。

長宗我部元親。してやったり、の巻。

元親はその後、弟の長宗我部(香宗我部)親泰を牛岐城に配置し、阿波南方の守備をさせましたとさ。



中富川の戦いで土佐勢の先鋒として活躍した一宮成助もまた、三好康長に通じたとの理由で夷山城にて長宗我部元親の家臣により謀殺されてしまいました。

元親は旧三好方の阿波の諸将を次々に排除(「元親記・中」)。
この事が阿波における伝承において、元親の非情さを語る一因となっているとのこと。

攻めてくる人間を素晴らしい人だと誉めるなんてこと、しませんものねぇ。



この上の道沿いに新開道善の廟所があります。

現在では「禁酒の神さん」として親しまれ、御神酒徳利を供えて願かけをする人もいるそうです。

そうです。ソウデス。デス・・・お参りするのをすっかり忘れて帰ってきました。

いいんだ。禁酒、してないから。



いつも応援いただきありがとうございます。阿波からしてみれば、長宗我部元親は攻めてきた人。謀殺された新開道善を「知勇兼備」と称え、「禁酒の神さん」と親しみを込めて呼ぶのもわかる気がします。
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つねまるさま、こんにちは!

おぉ~~、赤天井とは
拭けども、洗えども取れないのですね。
あわわ、あわわ.....がくブル。

禁酒の神様とは、初めて聞きました。

生まぐろドーン、新鮮そうです!!
いいですね~

No title

血天井って色々な所に残っているんですね~
京都にもあったような・・・

手の跡・・・うう、なんだか怖い(T_T)
しかも拭いても拭いても落ちない床板なんて・・・ホラーです。

ゆず様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。柚香ちゃん達は今日も仲良くしてるのでしょうか。うふふ。

拭けども拭けどもとれない、血天井です。
あわわあわわ、阿波の伝承。

禁酒の神ですわよ、奥さん。
断酒じゃないとこが、微妙な感じです。きっと、血天井と併せて、後々までも伝えたかったのでしょうね。

生まぐろドーン!は、お馴染み那智勝浦のごはーんです。
黒門市場に行けば食べることが出来るものの、やはり那智勝浦で食べたいなー。じゅるる。今年も行こうかなー。

最近、山城にはまっておりまして。ゆず様のご近所にたくさんあるようで。うふふのふ。

にゃんこ様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。政宗くん、無事でよかったですね~。

血天井、伏見城で自刃した鳥居元忠達の血痕が付着した床板を供養のためお寺の天井にしたものが、京都は多いですね。

養源院(京都市) 、宝泉院(京都市)、 正伝寺(京都市) 、源光庵(京都市)、 興聖寺 (宇治市)、 天球院 (京都市)(妙心寺の塔頭)、 神応寺 (八幡市)、 栄春寺 (京都市)(wikipediaより)

近畿には他にも何ヵ所か。

真偽のほどはともかく、現地でくっきりと残っている手形を見ると、やはり、怖いです。

木材の染みって、削らないと取れないですものね。ぞくぞく。

No title

つねまるさん、こんばんわー♪

新開道善さんは、ジモティとして活躍したのですね!
えらい、エライ!!

手の跡、足の跡は怨念がこもっていると消えないといいますが、
ここもそうなのでしょうかね。

長宗我部元親さんは何度か読んだけど、全体像が掴めないので、
記事に出来ないでいるなかのひとりです><
戦国無双のキャラが濃過ぎるからなのかも知れません˃⌂˂

まぐろドンが目に映り、他の写真がよく見えません!
美味しそう・・・。

まぐろど~ん

こんばんは。

人間の血と言ふのは凄いですね。戦國の世ですから大凡四百年から五百年くらゐ経つてゐるのでせうか、今もなほ、手形、足型が殘るのは、神秘的だと不謹慎に思つてしまひました。

生まぐろ丼、食べたい!旨さう。

生まぐろもさるとこながら、

酒~! 地ビーーーーーーーール!!

No title

夕べから気になってましたが、これですね!
ネットで探しても出てこなかったので・・・
ちょっとぐっと来ますね。

ですが『丈六寺の山門』がまたかっこいいんですよ~
なんでしょうか、大人かっこいいって感じです♪

No title

小心者なので拡大はパス^^;

阿波から見たら、土佐から来る武者は鬼にようなものでしょうね^^;

そういえば床の間の柱とか、人の手跡がついたら中々落ちないですものね。
血なら猶の事、拭いた程度じゃ綺麗にならないだろうなぁ^^;

ぽちぽちぽちーーー

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

阿波は細川さんと三好さんが攻防し、関西とも密接に絡んでいて、正直混乱してます。

長宗我部元親の登場でひとつの区切りとなり、ほっとして。

手の跡足の跡。怨念と「元親の酒の誘いは気を付けて!」の注意喚起。
せめて頑張った新開氏の存在を伝えたいのかもしれないですね。

長宗我部元親はゲームで憧れの兄貴ってのになったそうですね。
歴史ヒストリアで見てびっくりしました。
戦国無双のキャラはもっと濃いぃのですか。ほほー。

面白そう。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

木材は、人間の血に限らず、何気なく握って付着した脂分も削るまで残るものなので、尚更生々しくて。

南北朝から戦国の史跡には、このような人間の息遣いが感じられる生々しいものが多いですね。だから現地直行がやめられないです。へへ。

熊野古道ビール、これ、美味しくってですね。
地ビール、うめーーーーーー!って、海に向かって叫んでます。ふふ。

長宗我部元親の酒席暗殺物語の丈六寺。いろいろ諌められてる気がしないでもなく。おほ。

橘右近大夫様も、元親のお誘いにはお気をつけあそばせ。

ミント様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

はーい。これでーす(* ̄∇ ̄)ノ
丈六寺は、いろいろな時代の生々しいあれこれが詰まっていて、すごく面白いです♪

丈六寺の山門、おおお。大人かっこいい!きゃー(≧∇≦)
ミント様、好き~。

真冬のお寺なので寂寥としておりますが、新緑や紅葉の季節はきっとすごくきれい。
宝物庫等が文化の日前後に特別公開されるそうなので、好きなもの満載の丈六寺は再訪問リスト筆頭です。うふ。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

いや、ぜひ、拡大して。生々しい歴史の証拠品ですから。

阿波って、義経が通過して、細川氏と三好氏がのったりのられたりして、秀吉が攻め込んで、はっちーが治めた、とだけ考えてたんで、長宗我部元親が暴れてたのをすっかり忘れてました。

そりゃもう、びっくりして怖くて憎たらしくて、だっただろうなぁと。
龍馬の時代も、冷めてますもんね。蜂須賀家なのもあるけど。

あ、木材、そうそう。
人の脂って染み込んだら取れないから。

なので、能舞台のお稽古のときも、短いスカート厳禁。正座したら付着してしまうので。タイツ程度では防止できず。
立つときに手をつくときも、パーは駄目。接地面を少しにするため、グーです。

死ぬほど怒られるです。

No title

血天井・・・こりちらのもリアルですね(-_-;)

私は京都でいくつか見ましたが、養源院のがご住職の説明付きで最も印象に残っています。
当時は、天井板に使うことが供養と考えていたのですね。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

はい、こちらもリアルでございました。
丈六寺は現場そのものなので、ぞわーぞわーってしました。

養源院さんって、「元忠の頭、ここ」ってご説明されるところでしたっけ。

しずか様、ほんとによくご存知ですね。
忠臣蔵赤穂編も楽しく拝見してます。幕末編は難しいですね。
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