新宮城と安政の村替騒動の木本神社。欲深さんは大嫌い
紀州徳川家の治める親藩の紀州藩。

(高野山奥の院)
徳川家康の十男・徳川頼宣が紀伊国一国に南伊勢を加えた55万5千石で入部し、成立。お住まいは、和歌山城。
和歌山市から南伊勢(熊野一帯含む)を治めるのは広すぎる。

そこで、徳川頼宣の付家老・水野重仲(家康の母方の従兄弟)が新宮城城主となります。

紀州徳川家の重要な拠点。

1633年(寛永10年)第二代城主・重良の時に一応完成し、以降水野氏の居城として明治維新を迎えます。

小さいながらも、地元の熊野酸性火成岩を積み上げた優美な城との評判。

新宮城は熊野川河口に建ち、専用の港を持ちます。

「水の手郭」には港があり、軍港と共に経済的物流港の役割も果たしました。

港の横には炭納屋群の跡が19棟。江戸へ送る紀州備長炭の倉庫です。
新宮の紀州備長炭と鯨油を江戸へ販売。
紀州徳川藩の名を利用し、関税無料。

紀州藩新宮領は35000石でも、炭と鯨油の販売により、実質は数十万石もの力があったと評されたのでした。

桝形の虎口。
しかし、新宮領主水野家には、とても悔しいことがあります。
初代水野重仲が家康の母方の従兄弟であろうとも、新宮領がどんなに大富豪であろうとも、紀州藩付家老はあくまでも陪臣。
直参は1万石。水野家は35000石。決して少ない石高でもない。
9代城主の水野忠央は何とかして直参になりたくて、幕府内部へ身内を総動員する勢いで婚姻、養子縁組により入り込むも、失敗。強制隠居。
覚えておいてね「9代城主の水野忠央」

さて、熊野。ここも紀州徳川家が治める土地。

名勝鬼ヶ城の上には鬼ヶ城本城。
室町時代(1523年頃)に熊野有馬氏の有馬忠親が甥の忠吉に家督を譲り隠居城として山頂に築城したお城。

「おしおきだべぇー」・・・わかるあなたが大好きです(≧∇≦)

くるっと回れる遊歩道なんですが、太平洋の荒波の力は物凄い。
鬼ヶ城の西の端に鎮座するお社。

木本神社。

木本神社が鎮座する木本町は、江戸時代に紀州徳川家の本藩公領地として『奥熊野代官所』が置かれ、熊野川以東の熊野地方の中心地として栄えた町です。

小学校みたいでかわいいお社。
木本神社は、元は「若一王子権現」(「若一王子」=天照大神)といい、新田地区にあったものを現在地に遷座したと言われています。
熊野市歴史資料館に1608(慶長13)年の遷宮棟札(写し)があり、このお社のお話をお伺いして興味津々。
木本神社のポイントは。
新宮城城主水野さん、嫌だもんっ
・・・私の熊野うきうき旅を全否定するが如き衝撃。

覚えていますか「9代城主の水野忠央」
水野忠央(ただなか)は政治的権力と金力をもって、本藩の紀州藩を抑え、実権を握ります。35000石の水野家。石高充分、ひゃっはー。
初代水野重仲が家康の母方の従兄弟だろうが、新宮領がどんなに大富豪だろうが、紀州藩付家老はあくまでも陪臣でー。
これは我慢の限界!
何とかして直参になりたくて、幕府内部へ身内を総動員する勢いで婚姻、養子縁組により入り込み、幕府をも動かし、まずは多年の夢である村替を実施しようとしました。

交換にせよ、こんな魂胆見え見え。
安政2年。
木本方面の紀州藩領二十七ヶ村と有田方面の新宮藩領五ヶ村の知行替えが発表されると、税が重くなることを恐れた木本側による領地替え反対騒動が発生(安政の村替騒動)しました。
つまり、和歌山に近い有田の新宮藩領五ヶ村と、和歌山から遠い木本方面の紀州藩領二十七ヶ村を交換しましょ、と。
木本、紀州藩直轄から、新宮城主の配下となってしまう、ということで。

反対の理由
【表向】
「歴代藩主の御恩忘れ難く、村替されるのは母から裂かれる子のようなもの」と終始一貫して共同目標をかかげ嘆願し、ひたすら基本姿勢を崩さず続けました。
【本心包み隠さず】
「新宮側の財、税政に対する不信や猜疑心(年貢の引上げ等)」であり「木本方面の27ヶ村は本藩に属していた自尊心」があったことでしょう。
そこで登場するのが、江戸詰御勘定奉行の吉田庄太夫。
一揆を防ぐため、吉田自身が木本に来て説得にあたりますが、木本側は納得しません。
庄太夫は侍と百姓という身分を越え、人間と人間として命をかけて向き合い必死に説得。
しかし民意を動かす事が出来ないことを察し、庄太夫は藩命にそむき独断で「村替中止のことは身をもって引き受ける」と宣言し、有名な「村替据置」の誓紙を手交し、一揆を中止させます。
藩命にそむいた侍の責任の取り方は、死をもって償う「自決」。
5月15日早朝。
庄太夫の木本出立にあたり、「一期一会」になることを察し人々は、交代で庄太夫を担ぎ、前後に大明神幟をなびかせ、泊峠(松本峠)を越え大泊まで見送りました。

松本峠は鬼ヶ城の上を通る。

そして、大泊から尾鷲へ。
庄太夫は江戸に戻り、自身の言葉通り村替を中止させ、のちに江戸藩邸において自決。

吉田庄太夫を祀る吉田大明神石祠。
9代城主の水野忠央は幕府内部へ身内を総動員する勢いで婚姻、養子縁組により入り込むも、失敗。新宮へ強制隠居。

こんな歴史を見つめた木本神社なのでした。
いつも応援いただきありがとうございます。神々のおわす熊野の地といえども、ここに生きる生身の人々には幾度も豪族の戦いに巻き込まれたり、圧政に耐えかねることもあったわけで。その微妙な歴史の積み重ねがとても面白い熊野なのです。



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