さざれ石。洲本城の石の百面相

ここは淡路島の洲本城。てへっ。

洲本城より見た洲本市。
1526年。安宅治興が構築し、後に脇坂安治が石積を設けた洲本城。
江戸期は、阿波蜂須賀藩から筆頭家老の稲田さんが城代としてやって来ましたが、その時は麓に政庁を行う「下の城」を作り、ここ「上の城」は棄却。

脇坂時代の様々な石積を観察出来ます。

にゅるん、としていたり、

ばしっとしていたり、

切り出したものの、残念ながら放置されていたり。

残念石、と言います。

大きさ比較。

防御に高さ不足と思ったのか、約4m拡張。
脇坂時代初期は、戦国の緊張感がばりばりです。

新築、増築、改築。

大手側(表玄関)の大石段。
この辺りは脇坂時代後期に改築しているのだとか。
誰か通らないかなーっと待っていたら、チェーンソーを手にした人が来て心底びっくり。
洲本城のお手入れをされてる方でした(;^_^A

大手側。石段を上った正面。玄関に魔除け。
搦手側(裏口)にもあります。

大手側。中に入ると

日本最古の模擬天守。必死に踏ん張ってます。
天守台の石積は

関ヶ原後の改築といわれ、角は「算木積」、面は穴太積。

東の丸では坂に合わせて斜めに上ってます。
東の丸は脇坂時代初期のもので、石積の高さも低く、本丸付近の石積とは様相が異なります。

一番古いと言われる部分。

ところで洲本城を歩いていると、真ん丸の石がころころ転がってるのですが。山の上なのに。

洲本城の石積に用いられている石の多くが「さざれ石」。

洲本城のある三熊山一帯の岩には、さざれ石が多く見られます。
石積は現場調達したようで。
さざれ石。
「学術的には『石灰質角礫岩』などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる。」(wikipediaより)

君が代のさざれ石は、この固まったものではなく、小石のこと。

帰りに洲本八幡神社にお参り。

ごめんよー。
いつも応援いただきありがとうございます。洲本城はいろいろな石のお顔が楽しめるところ。ここも、「淡路島にも天空の城があったのだ」と売り出し中。竹田城のように手遅れになる前に、対策をとっておいて欲しいなぁと思うのです。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
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