スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

姫路藩主ころころ。高野山と書写山圓教寺と随願寺と。

こんにちは。



静かなたたずまいの高野山奥の院。


かんべえくん。もうすぐ賞味期限。


【姫路藩主ころころ】

藩主がコロコロ変わった姫路藩。

池田家(外様 52万石)輝政・利隆・光政

本多家(譜代 15万石)忠政・政朝・政勝

松平(奥平)家(親藩 18万石)忠明・忠弘

松平(越前)家(親藩 15万石)直基・直矩

榊原(松平)家(譜代 15万石)忠次・政房・政倫

松平(越前)家(親藩 15万石)直矩

本多家(譜代 15万石)忠国・忠孝

榊原家(譜代 15万石)政邦・政祐・政岑・政永

松平(越前)家(親藩 15万石)明矩・朝矩

酒井家(譜代 15万石)10代続き明治維新。


【本多家】
第1期 忠政・政朝・政勝
第2期 忠国・忠孝

書写山圓教寺に本多家廟所あり。


【榊原家】
第1期 忠次・政房・政倫
第2期 政邦・政祐・政岑・政永

忠次・政邦は増井山随願寺、他は書写山圓教寺に廟所。


では、時系列でみてみましょー。


【池田家】
外様 52万石。輝政・利隆・光政。

関ヶ原の戦いの戦功により池田輝政の播磨一国52万石姫路藩が成立。
孫の光政が第3代藩主となると「子供に要所は任せられん!(外様やしっ)」っと鳥取へ引越。


因幡鳥取・池田家墓所。外様32万5千石。

さらに岡山藩主となった従兄弟の池田光仲が3歳で。
「子供に山陽道の要所の岡山は任せられん!」(どっかで聞いた)ということで。

光政は鳥取→岡山藩31万5000石
光仲は岡山→鳥取藩32万5000石


岡山藩池田家墓所。外様。31万5000石。

岡山藩は「西国将軍」池田輝政の嫡孫の光政の家系が明治まで治めます。


★姫路のポイント★

池田家の後は親藩・譜代がおよそ15万石でころころ交替。
合言葉は「子供に要所は任せられん!」
幼い藩主になると、転勤です。

姫路は古代から田畑の開発が進み比較的豊かな土地でした。

しかし、池田家52万石時代に築城された姫路城が15万石の身代にはとてもお荷物。

不釣り合いな格式の高さ、譜代の名門としての幕政への参与から出費が嵩み、財政は常にきゅーきゅーでした。
藩の出費の多さは高い年貢に直結。

領民の不満が募っていきます。


【本多家(第1期)】
譜代 15万石。忠政・政朝・政勝。

池田光政の後、徳川四天王・本多忠勝の子忠政が15万石で入封。


本多忠勝墓所(高野山奥の院)

姫路藩主本多家は2度。

第1期 忠政・政朝・政勝
第2期 忠国・忠孝


秀吉に怯える書写山圓教寺。


大河のロケ地になっていたこの大講堂横に本多家廟所があります。


書写山圓教寺。本多家廟所。


姫路藩主時代の本多家廟所。


本多忠勝廟所(書写山圓教寺)


姫路藩初代藩主本多忠政・2代政朝廟所(書写山圓教寺)


戦乱で荒れていた圓教寺を修復した忠政。

忠政の次男政勝は龍野藩主。5万石。

妻は松平信康(家康長男)の娘、熊姫。つまり、家康の孫娘。


本多忠刻と息子幸千代(書写山圓教寺)

忠政嫡男で妻は千姫(豊臣秀頼未亡人。家康の孫娘)。
父とは別に播磨国内10万石。

要衝播磨は譜代の名門本多氏の総計30万石となります。

姫路藩は藩主となる前に忠刻が他界したので、弟の政朝が第2代藩主。

第3代藩主は政勝。父は上総大多喜藩主、本多忠朝。
本家の家督を継いだ政勝は、翌年には松平忠明と入れ替わりで大和郡山に15万石に移封。

詳細はこちら
→→→《書写山》本多家廟所② 四天王 本多忠勝!
→→→《書写山》本多家廟所③ 忠政は父が四天王で嫁が熊で息子の嫁があの人で…
→→→《書写山》本多家廟所④ 自由な次男坊、忠朝。忌むべきは酒なり
→→→《書写山》本多家廟所⑤ 嫁は千姫、母は熊姫…忠刻
→→→《書写山》本多家廟所⑥ この世は夢の中…政朝の流転人生
→→→《書写山》本多家廟所⑦ 本多さんちが大騒動で松平様の登場!さあ、書写山へ行こう!


【松平(奥平)家(親藩 18万石)忠明・忠弘】

【松平(越前)家(親藩 15万石)直基・直矩】

松平直基廟所(書写山圓教寺)

誰か直してあげてー。

直基は結城秀康の五男。

結城秀康墓所(高野山奥の院)。
家康次男ながら秀吉の養子(人質)となり、さらに結城家へ養子に。

よって血筋では直基は家康の孫になります。

直基は松平を称しても家紋は結城家のものを使用。


松平直基廟所(書写山圓教寺)

1648(慶安元)年に姫路に国替えを命じられ、封地に赴く途上で死去。

詳細はこちら
→→→《書写山》松平直基廟所…誰か直してあげてっ


【榊原(松平)家(第1期)】
譜代15万石。忠次・政房・政倫。

姫路藩主榊原家は2度。

第1期 忠次・政房・政倫
第2期 政邦・政祐・政岑・政永

忠次・政邦は増井山随願寺、他は書写山圓教寺に廟所。


徳川四天王の榊原康政墓所(高野山奥の院)

康政の孫、榊原忠次。
母が徳川家康の姪なので、忠次1代に限り終身松平姓を許されました。
従ってこの時の榊原家は榊原カッコ松平カッコトジル家。

加古川市東神吉町から米田町の加古川右岸に「升田堤」という堤防を構築。それまで2つだった川の流れを1つにする流路改変工事を実施。


榊原忠次廟所(増位山随願寺)

増位山随願寺は、黒田官兵衛の叔父の休無がいたところ。



榊原家墓所(書写山圓教寺)


第1期2代藩主政房と第2期2代藩主政房墓所。

詳細はこちら
→→→《書写山》榊原家廟所


【松平(越前)家(親藩 15万石)直矩】

【本多家(第2期)】
譜代 15万石。
忠国・忠孝。


第2期初代藩主忠国廟所(書写山圓教寺)

忠国は忠勝系本多家宗家6代。

家臣の伊藤治興は赤穂浪士吉田兼亮の娘婿。
討ち入り後、連座により吉田兼亮の遺児兼直が伊豆大島へ遠島となった時には金19両米19俵を贈り支援。(幕府許可の持ち込み上限は金20両・米20俵)

本多忠国の三男忠孝が後を継ぎますが、幼少を理由に越後村上藩に移封。


【榊原家(第2期)】
譜代 15万石。
政邦・政祐・政岑・政永。


第2期初代藩主政邦墓所(増位山随願寺)

政邦は榊原家6代当主。

第8代当主政岑のとき、8代将軍・吉宗の倹約令を無視。
派手だったり、吉原遊廓の花魁を身請けしたり。
当然、幕府の怒りを買い、藩主隠居。

榊原氏は姫路から実収の乏しい北国の越後高田15万石に懲罰的転封。しょぼん。


【松平(越前)家(親藩 15万石)明矩・朝矩】

明矩は直基系越前松平家4代。
1741(寛保元)年(1741年)姫路に入封。

1745(延享2)年。朝鮮通信使の接待役を務めるも費用がない。
姫路藩領に臨時の御用金を課した結果、大一揆が発生。きゃー。
その最中の寛延元年(1748年)に36歳の壮年で死去。

長男の朝矩が後を継ぎます。が。

「子供に要所は任せられん!」と、前橋15万石へお引越。


【酒井家(雅楽頭)】
譜代 15万石。10代続き明治維新。


播州姫路・酒井家墓所(高野山奥の院)

徳川家康譜代家臣。
大老酒井忠世等を出した雅楽頭系酒井家宗家。

1749(寛延2)年。老中首座の酒井忠恭が前橋から入封。

前橋藩は利根川の氾濫が相次ぐ土地で、財政基盤が脆弱。
「酒井家」の格式を維持する費用、幕閣での勤めにかかる費用、放漫な財政運用で、藩の運営がピンチ。

そこで、同じ15万石でも畿内にあり、財政は豊かと言われていた姫路に目をつけておりました。
そこへ「子供に要所は任せられん!」と言われた松平朝矩との領地替の命令。にんまり。

しかし。

★姫路のポイント★に記した通り、姫路藩の身代には不釣り合いな出費の多さが高い年貢に直結し、領民の不満が募っておりました。
前藩主松平家の借金踏み倒しを恐れた領民が「寛延の百姓一揆」を起こし、姫路全体に波及。その混乱に加え襲来した台風により甚大な被害が。

そんな時に来たので期待が外れ、酒井家はますます財政が悪化したというオチ。

しかし酒井家の入封以来、姫路藩はようやく頻繁な転封がなくなり、藩政が安定したのでした。貧乏だけど。

いつも応援いただきありがとうございます。長々とお付き合いいただきまして、御礼申し上げます。おかしいなー。高野山奥の院と雅楽頭のお話だけのはずだったのになー。姫路の書写山圓教寺と増位山随願寺。どちらも味わい深いお寺です。
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

No title

こんにちは。お邪魔します。
胃カメラお疲れ様でしたー! 後のこと考えるとやはりバリウムより楽?でしたか~
姫路城 天守閣にまつわる妖怪話やいわく話くらいしか知らず いつもながら大変勉強になりました。そんなに殿様変わってたんですね。

おきまちあき様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

姫路城はのんきに立ってただけですが、領民には威圧的に見えたかもしれませんねぇ。
姫路は東西南北の街道の要所なので、ここでにらみの効かない藩主なんて、ぽいっ、だったのも頷けます。

鼻から胃カメラは、口から入れるよりも遥かに楽でしたー。
ちびっこ時代から耳鼻咽喉科に通ってると、鼻から何かを入れられるのは慣れっこなのです。ふふんっ。

でも、胃カメラで中を見て、組織をとって調べるだけでなく、胃壁の膨らみも調べないとわからない腫瘍もあるので、併用することが必要だと思います。

ただ、バリウム、ダメなんですわ。飲んだ途端にかぽーっと出(自主規制)。後も下る薬がなかなか効かなくて、追加したら(自主規制)。

脳みそのキャパが・・ヽ(。▽゜)ノ アヒャヒャ

熊姫ーーー忠刻*千姫あたりまでなら何とか^^;

九州以外はサッパリで、まともなコメントできず面目ない(´・д・`)

せめて、お茶どぞ~(*´∀`)ノ旦~~~

ぽちぽちぽち

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

ドカンっと出してすみません。池田さんから酒井さんまで、長かったです。途中で寝てしまって着地点を見失い。
姫路に忠勝と康政直系子孫が二回ずつ来て、シメが雅楽頭ってのが、ツボってて。
しかも、休無おじさまのいた増位山随願寺にも墓所があるなんてー。

九州って関西より遥かに広いし、わっさわっさと国人がいてるし、しかも移動するし、すごいわぁといつも読み逃げしております。すみません。

金曜日って一番幸せだなぁ。あ、お茶、ありがとー(*´∀`)Ъ旦~~~

No title

つねまるさーん、おばんですば~い(´∀`)ノ

高野山って墓所ばかりだと思っていたら、廟所もあるのですか。
もう、行った気がしてきました☆
行かなくていいかも・・・^^


姫路って池田さん以降は小さな藩だったのですね・ε・

千姫の化粧室に行った気がするけど、忠刻さんは藩主
ではなかったのか。

熊姫とはすごいですねー、 ぜひ見てみたい♪

piglet01様

おばんですばぁい。ご多忙の中、いつもご訪問とコメントありがとうございます。

今日は高野山奥の院と書写山圓教寺と増位山随願寺が混在しておりますので、ご留意下さいませ。

高野山奥の院は廟所も墓所も供養塔も慰霊碑もあるので、何がなんやら・・・遭難寸前。上杉謙信は「廟墓」。ぱにっく。

高野山は、お寺も神社も喫茶店もファミマも本屋も、幼稚園も学校もあります。精進料理はお高いので、おばちゃん手作りのお弁当屋さんが重宝してます。
ファミマで立ち読みする老齢のお坊さんに会う、なんて貴重な体験できます。

行かなくていいとこなんて、ないっすよー。
どこでもとにかく行くのだー。現場第一なのだー。

姫路は、ほんまに譜代と親藩がちまちまっと。
でも、そのおかげで姫路で康政と忠勝の直系子孫に会える幸せ。

忠刻が長生きしてたら本多さんちでずーっと藩主だったでしょうねぇ。
不器用な男です。

熊姫様という織田&徳川ブランドが輝いても、やはり後が続かないとあかんのだなぁと思いました。

久しぶりのコメントです

つねまる様、こんばんは。
久しぶりのコメントです。
私の住まいである姫路のお話しなので、とても面白かったです。
書写山円教寺は、とても近いのですが、近すぎて「いつでも行ける」と思い、しばらく行ってませんが、暖かくなれば、行ってみたいです!
増位山随願寺も近いので、こちらにも行きたいです。
姫路城は、昔から厄介者扱いだったようですね(^^;
明治の頃には、廃城令で二束三文で売りに出されたくらいですから。
よく解体されずに残ったものです。
厳しい寒さが続いていますが、今年を無事健康に乗り切りましょう!

徳平先生

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

「一生精進」、忘年会で忘却の彼方にぽーいっとされてはおりませんか?ふふふ。

姫路はどどーんっと構える姫路城に惑わされがちですが、大藩だったのは池田氏のみで、以降は畿内を守る西の要所として徳川幕府の苦悩が垣間見える面白い土地です。

また、寺社においては現在でも古式豊かな神仏習合の日本古来の形が残る興味深いところです。
播磨地域は、英賀の本願寺門徒の集落等では「城ですか?」て程の構えをしておりますし、古くは聖徳太子の時代からの荘園もあり、姫路に数日間滞在して巡り巡ってみたいところです。

増位山随願寺では、ぜひ自然歩道をテクテクして、なぜに突然の古墳!とか、在原業平が「糸の細道」と称した有明山とかを巡っていただきたく存じます。
ここは現場に立ってこそわかるものが非常に多い、貴重な場所です。
増位山に寺院が集まり、官兵衛の叔父がここに寺を持ったのはどんな意味を持つのか、また、なぜそこに業平といった古の人が通ったのか、よくわかります。

とかく目の前にあるデカイモノに目が向きますが、今はただの山に静かに佇む寺社であっても、信仰心だけではなく何か訳があってそこに人がいたのではないかと考えさせられるものが、播磨にはあります。

加西地域も、なぜここにこれがあるのだ?と考えるものが多いです。

寒いので酒とつまみと共にこたつで冬ごもり。極めて不健康な日々でございますが、まぁ、いっかー♪の境地にて。
先生も、忘年会三昧でお体壊しませぬようお祈りしております。おほほほほ。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。