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《姫路》英賀御堂はとても重要な土地なのだ

浄土真宗の中興の人で本願寺第8世の蓮如ですが。


1515年に本願寺直営の英賀本徳寺(英賀御堂)が落慶された時は、蓮如の子「実如」の時代。

実如は、布教の根回しに播磨国守護の赤松氏へのプレゼントも忘れません(名馬を贈った)。

西の拠点として重要視。
英賀本徳寺には、実如の子、実円が下向してきます。



当時の地形は、こう。

(亀山本徳寺パンフより)


現在の地形と比較。

(亀山本徳寺パンフに加工)

囲んでいるのは、堀と土塁。


一方、英賀には鎌倉時代より砦が置かれ、播磨の守護職赤松氏一族、後、三木氏(門徒)の英賀城が既存。


当時の地形の通り、そのまんまでも要塞です。
ここにさらに自然の地形を利用した堀と土塁を築造。

播磨灘に面した絶好の港湾機能に加え、河川を利用した物流も容易。


英賀城と英賀本徳寺のもと、英賀の町は、城下町と寺内町の共存した堅固な場所として発展していきました。


英賀城の名残

土塁。

遺構。

太鼓楼。


信長は、石山本願寺との攻防に四苦八苦しながらも三河・越前・近江・伊勢長島の一向一揆を壊滅させます。

東からの陸路による援軍と補給路を断たれた石山本願寺は、西からの海路に頼ることになりました。

英賀はますます重要な地となったのです。


瀬戸内海は一向勢力が支配中。


毛利は村上水軍を中心に、石山本願寺への輸送路である木津川へ上る大阪湾で信長軍を撃破。



そのころ信長は…

しかし、九鬼水軍に鋼板武装させた信長軍が、木津川口で圧倒的勝利をおさめると、瀬戸内海の制海権は信長側に移ります。

こんな背景があって、秀吉の播磨侵攻が可能になったのです。


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