赤穂城開城と高野山の浅野内匠頭墓所。今日は赤穂浪士討ち入り。

こんにちは。



今日は赤穂浪士の討ち入りの日。

【事件は廊下で】

1701(元禄14)年3月14日。江戸城松の廊下。

播磨赤穂藩主の浅野長矩(内匠頭)が、高家旗本・吉良義央(上野介)に対して斬りつけるが失敗。

浅野長矩は即日切腹と赤穂浅野家の改易。
吉良義央は、咎め無し。

即日切腹となった浅野長矩は、お預けとなった陸奥一関藩主田村建顕の屋敷の庭先で、六つ半(午後7時40分頃)に切腹。

浅野家家臣は田村邸より浅野長矩の遺体を引き取り、そのまま泉岳寺にて葬儀。


【赤穂浅野家と安芸浅野家】

赤穂浅野家は安芸国一国と備後国の半分を領有する安芸藩(広島藩)42万6000石の浅野家の分家。

安芸・浅野家墓所(高野山奥の院)

ねね様の義弟浅野長政の長男・浅野幸長が関ヶ原の功により紀伊国へ加増転封。
幸長の他界後に家督を継いだ次弟長晟(ながあきら)が福島正則の改易により安芸藩に転封。


安芸・浅野家は第4代藩主・綱長時代。

浅野本家にまで波及し、一族連座の憂き目の回避が急務。

まずは改易に伴う赤穂城の開城。赤穂の家中が籠城なんてしたら、大変。
親族の大名家や赤穂藩重臣達の親族は赤穂城開城の説得のために奔走。


【赤穂城開城】

大石良雄は、籠城しても勝ち目が無く、御親類への迷惑が大きすぎる為、「藩士一同の殉死をもってお家再興嘆願」に意見集約。開城へ。

「恨みを述べて切腹する覚悟」という誓紙血判状が作成されたのはこの前後とか。


「熊野寶(宝)璽(印)」カラス文字88羽。

熊野牛王神符の裏面を料紙に用いて誓約の内容を書き記し、それを熊野権現に対して誓います。

熊野権現への誓約を破ると、熊野大神のお使いのカラスが1羽亡くなり、

本人は、血を吐き、地獄におちると古くから信じられてきたのです。


●赤穂城開城の事務手続き●

赤穂浅野家改易後、しばらくは天領となるため、幕府より赤穂代官が派遣されます。

《赤穂代官》4月17日赤穂到着
石原正氏・岡田俊陳
両名とも旗本。幕府代官として天領に派遣され各地を転々。

《収城目付》4月15日赤穂到着
荒木政羽・榊原政殊

荒木政羽は旗本1500石。荒木村重の一族。1699(元禄12)年より御使番。
将軍徳川綱吉や老中若年寄らに収城の報告を行った際、大石の浅野家再興の嘆願を伝えたものの、かなわず。

8月に幕府目付に就任。
何の因果か、1703(元禄16)年2月4日。細川綱利邸(大石の預かり先)へ派遣され、大石良雄達の検死役を勤めることとなりました。


榊原政殊は姫路藩主榊原家の分家。1300石。
1712(正徳2)年の日向国延岡城の引渡しにも赴任。

姫路藩主・榊原家墓所(書写山園教寺)


《収城使》4月18日赤穂到着
播磨龍野藩弟2代藩主・脇坂安照
4,500余りの龍野藩兵を率いて赤穂に入ります。

脇坂安照の到着後、収城目付(荒木政羽・榊原政殊)・赤穂代官(石原正氏・岡田俊陳)の4名が赤穂城を検分。

この時大石良雄は4名に対し、三回、浅野家再興を願い出ました。
《一回目》金の間で休息中。お茶とお菓子と共に。玉砕。
《二回目》大書院検分中。さらっと言ってみる。玉砕。
《三回目》玄関で再びお茶を出して。最後のちゃんす。

必死です。
見かねた石原が荒木に対して幕閣への取りなしを打診。荒木や榊原も了承。この言葉通り、荒木は将軍徳川綱吉や老中若年寄らに伝えました。

かくして。



4月19日。赤穂城開城。

赤穂藩領はしばらくは天領。
幕府より赤穂代官として派遣された石原正氏・岡田俊陳が伊藤五右衛門の屋敷を代官屋敷として統治。

1702(元禄15)年9月に永井直敬の赤穂藩への移封が決定、翌月まで赤穂に滞在しました。


さて、赤穂城は。
収城使の龍野藩主・脇坂安照が在番を務めます。


収城使・脇坂安照の龍野藩は赤穂藩のお隣。

播磨龍野・脇坂家墓所(高野山奥の院)


賤ヶ岳七本槍の脇坂安治を祀る龍野脇坂家の廟社(兵庫県たつの市)



安照は開城後、浅野長矩の次の赤穂藩主として永井直敬が赴任するまで、1年半の間、赤穂城の在番を務めました。

在番とは、そこに在って番をすること。

お留守番は龍野藩の家老など200名がおつとめ。


【高野山奥の院】

赤穂城開城後、大石良雄や吉田兼亮ら藩士の一部は遠林寺に入って、5月21日まで藩政残務処理。

5月5日。大石良雄は早水満尭と近松行重の2名を高野山に派遣し、奥の院御廟橋の近くに浅野長矩の墓を建立させます。


御廟橋から奥は聖地。


浅野内匠頭の墓所(高野山奥の院)


2年の月日が流れ。

1703(元禄15)年12月14日深夜。
大石良雄(内蔵助)以下、赤穂浪士47名(四十七士)は吉良屋敷に討ち入り、主君が討ち漏らした吉良義央を討ったのでした。

1704(元禄16)年2月4日、赤穂浪士47名(四十七士)は切腹。
同日、吉良家改易と義周の信濃諏訪藩高島への配流の処分が下ります。


赤穂四十七士の菩提碑(高野山奥の院)


その後。

将軍綱吉の死去後新将軍就任の恩赦により、内匠頭の実弟である浅野長広も赦免され、500石の旗本に。

また、赤穂浪士を英雄の如く称える世間の風潮が強まるにつれ、本家の安芸藩主・浅野家は態度を一変。

大石良雄の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召抱えました。


安芸・浅野家墓所

生き残るって大変です。


いつも応援いただきありがとうございます。大石内蔵助というと、中村勘三郎のドラマを思い出します。古くは緒形拳かなぁ。高野山奥の院の墓所の画像がようやく日の目を見ました。ほっ。
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わたしは

断然仲代達矢さまのです!

昔よく歌右衛門さまと知恵蔵さまの忠臣蔵のマネしてたなぁ(何故?

さかした様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

仲代達矢さんの忠臣蔵、あー、そうそう!思い出したー!これ、すごかったんやぁー!あああ、ビデオテープの中なんだなぁ。くそぉ。

>昔よく歌右衛門さまと知恵蔵さまの忠臣蔵のマネしてたなぁ(何故?

なぜ?

渋すぎる。すごいわ、素敵だわ。
うちの年末の楽しみは京都テレビで放映される昔の東映時代劇ですが、さかした様はリアルタイムでしたのね。
吉良さんは、月形龍之介様でしたっけ?ふふ。

さすがに

リアルタイムじゃないですよ、オール東映はw
テレビで見たのをかなり大人になってからマネするのが数人居ましてね(わし含む)。
萬屋錦之介さまの普段の話し方っていうのをマネする子も居ましてね。

おかしいんだわ、きっとw

さかした様、そうかそうか

あははー。そっかー。いやぁ、幼少期にされたのかと。
桃太郎侍とか、長七郎とか、これはリアルタイムで真似しましたわ。

>萬屋錦之介さまの普段の話し方っていうのをマネする子も居ましてね。

マニアックな素敵なお友達ですねー。
普段の話し方って、あなた、そんじょそこらのスキーでは出来ませんことよー。
おかしくないですって。かわいいじゃないか。

こんばんは

同じ忠臣蔵テーマでも、私のポンコツブログと比べたらえらく詳しいですね。
恐れ入りましたー。

No title

おばんですばーい♪

そうかー、今日は12月14日ですね。
雪が降っていたとか・・・。だから、今日東京は雪が降りました><

47士、いや46? のことあまり知らないないですけど、
港区高輪の泉岳寺というお寺に墓がありますよ!
一度、行ったことあるのでブログでとり上げた記憶もあります^^

赤穂城も百名城ですから行きましたが、記憶が薄かったので、
今、確認したら失礼な記事になっていました><

興味を持たなくちゃダメですね!

つねまるさんみたいに、幅広い人間をめざしますばい!!

みゅー様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。また、貴記事へのトラックバックありがとうございます。緊張しております。

赤穂浪士の討ち入りに向けてちまちまと溜め込んでいた画像を放出しただけで、彼等の苦悩などをかっ飛ばしておりますのでお恥ずかしい。

物語ではなく「元禄赤穂事件」に興味を持ったきっかけは、みゅー様が記事にお書きになっている萱野三平くんのおうちに行ったことなんですよー。

赤穂浪士、大好き!!

昔は四十七士氏名を、AKBメンバーを覚えるよりも楽勝でそらんじてたんです。
でも肥前史を研究し始めたら47人分の記憶が零れ落ちました(爆笑

数年前までは、討ち入り前後になるとテレビで関連番組が放映されたものですが、最近はめっきり減って、今年は選挙で完全に吹き飛び寂しい~ (゜-Å) ホロリ

緒形拳の「峠の群像」(・∀・)イイ!
一年間、赤穂浪士オンリーで幸せでした(*´pq`)
ひろみ郷や多岐川裕美が可愛い♪

特番でやった里見浩太郎さんのも濃密でよかった^^
裏バージョンの会談・お岩と絡めた映画も・・・
史実は、どーでも良くって、あの「様式美」「お約束の展開」が激しく好きです(吉良さまゴメンナサイ)

それにしても・・・高野山墓所で忠臣蔵が完結した記事は生まれて初めて~~~
さすが、つねまる様です~ぽちぽちぽち
(また長文のコメントになってしまい申し訳ありません・汗)

piglet01様

おばんばーい♪いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございますばーい。

雪を踏み締める音だけが聞こえる討ち入り場面。
そうですか、東京では雪。ひいいいい。大阪で雪が降ったら、大ニュースです。

泉岳寺、ドラマや映画でしか見たことないのです。
赤穂の花岳寺では、「47士、いや46?」が並ぶお墓を見て、え、47ってこんなに多いんだなぁと少し驚き。

赤穂城を百名城の「建築物」として見たら、ちょいとアレですねぇ。
私も建物自体にはあまり興味がなくて、潮まんじゅう食べてました。

元禄赤穂事件の山場は、赤穂城開城に至るまでの赤穂藩士達の葛藤と攻防、そして何より完璧な事務手続きやと思うんです。

石田三成や長束正家のような算盤勘定も諸手続きもこなす人材がいなければ、清算処理って困難ですもの。赤穂藩は人材豊富やったんではなかろか?と考えてみたり。

そして、赤穂城開城に関わる幕府側の現場担当者が赤穂藩への温情を匂わせるドラマ部分もちゃんとありますし。

改易となっても高野山に墓所をたてるんですよねぇ。費用はどこから?清算前に予算取り?契約宿坊に積立金?来年にこのネタは繰り越し。
高野山も徳川幕府への手前、びっくり迷惑だったかと。

ちまちまと溜め込んでいた画像が年末大放出出来て、ひと安心。
幅広いのは、わたくしの体でございますが、なにか?

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
長文短文何でもどんとこーい!好きなもんは好きと言えばよいのよー!


へ?ちょっとお待ちになって。

四十七士氏名を楽勝でそらんじてたとー!?
何ですか、覚えるための歌があるとか?いーん、しゅう、しゅんじゅーう♪(中国王朝を、線路は続くよどこまでも、で覚えた人)

すごいですねぇ。ほんとにお好きなんですねぇ。たとえ現在は棚からこぼれていても、覚えてたって事実はほんとにすごいです。

討ち入り前後っていろいろな番組してましたよねぇ。雪を踏み締め、皆で行進、のあの場面。忠臣蔵を見ると、あ、師走。って思いましたが。
頼みの綱の京都テレビも今夜は選挙。毎年古い古い忠臣蔵の放送があって楽しみだったのになー。

>緒形拳の「峠の群像」(・∀・)イイ!
>一年間、赤穂浪士オンリーで幸せでした(*´pq`)
>ひろみ郷や多岐川裕美が可愛い♪

そうでしょー?面白かったですよねー。マツケンサンバ♪が塩、塩、塩っと連呼していて、「赤穂は塩」を一年かけて刷り込まれました。
伊丹十三の吉良さんが、みょーに色っぽくてねぇ、じーさんなのに。
総集編で見たら、あと、浅野内匠頭が隆大介さんだったり、堀部安兵衛が磯部勉さんだったり。いぶし銀過ぎる。

色々な元禄赤穂事件の映像化があって、中にはなんじゃこれ?であっても、水戸黄門の如きお約束があるから面白いですね。

吉良さんの領地、愛知県幡豆郡吉良町(旧地名)では毎年忠臣蔵の時期は憂鬱なんです、とは毎年のローカルニュース。領地ではいい人、吉良さん。
ここはうなぎの産地でとても美味しいうなぎになんで、産地偽装に使われてしまったんですよー。


>それにしても・・・高野山墓所で忠臣蔵が完結した記事は生まれて初めて~~~

は、はは、あはははー。
高野山奥の院の画像のお披露目のため、四苦八苦でございます。

元禄赤穂事件の山場は赤穂城開城と思っておりまして。
地味に働く事務方にもっと注目して欲しいなーと。


>(また長文のコメントになってしまい申し訳ありません・汗)

お待ちしてます・うきっ♪

No title

年末になると必ず目にする忠臣蔵♪
赤穂浪士、好きやったな~特番なんかでよく観てました。
久しぶりに見たくなっちゃいました(´▽`)

No title

こんばんは〜♪
久しぶりに可愛い高野君の登場ですね(^○^)
見ていても楽しくなります(笑)

にゃんこ様

こんにちは。
年末のご多忙の中、ご訪問とコメントありがとうございます。
お仕事に差し支えておられませんでしょうか。

はい!合言葉!寒いですね?寒いです!

赤穂浪士の物語、昔は必ずテレビで放送してましたよね。
今年は選挙と重なって残念。
毎年見ていたけれど、細かいところは全く覚えていない、というお馬鹿っぷりです。数十人もいるんですものー。むり。

まり姫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
選挙に燃える極寒の週末でしたが、おかわりないご様子。何よりでございます。

こうやくんが働き者で助かりますわ~♪♪♪ららら~♪♪
まだまだたまっている奥の院の画像を前に悩んでおります。
名前をお伝えするので、物語にしていただけませんか・・・?ううう。

No title

吉良義周が哀れで。
諏訪大社に行った時、近くに「吉良義周の墓」 という標識がありました。
たった21歳で亡くなったなんてね。
本人に罪は無いのに。
吉良氏は地元では慕われていたというし、やっぱり内匠頭に問題ありじゃなかったんだろうか。
そうそう、大昔「赤穂浪士」という大河ドラマがあって、そのテーマソングが素晴らしかったの。
芥川也寸志作曲で、機会があったらお聴きになって見て下さい。
芥川龍之介の息子さんです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

>吉良義周が哀れで。

そうなんですよねぇ。後から罰するくらいなら、はじめから喧嘩両成敗にすればよかったのに。

>諏訪大社に行った時、近くに「吉良義周の墓」 という標識がありました。
>たった21歳で亡くなったなんてね。
>本人に罪は無いのに。

21歳ですか。
赤穂浪士礼賛の風潮の中では、諏訪でも肩身が狭かったでしょうに。

愛知県幡豆郡吉良町(旧住所)では、本人が領地に来た回数は少なくても、やはり慕っています。
討ち入りの日は憂鬱です、って毎年ニュース記事になっております。

昔の大河で記録が残っているものは総集編でなく全編を見たいです。いいものがいっぱいあったのですよねー。
テーマ曲も聞きたいなぁ。なんかこう、わくわくします。

「赤穂浪士」、探してみます。ありがとうございます!

芥川也寸志さん、音楽番組で拝見してました!とても優しくてお上品なおじさまだったと記憶しております。
芥川龍之介の息子さんとは存じませんでした。

討ち入りの日に

合わせて行けなかったのが残念ですが、一日遅れて、今日大石神社と岩屋寺にお参りしてきました。昨日は盛り上がっただろうな~と思いつつ(^_^;)

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

おおお。さすがでございます。全国津々浦々。
いつもすごいなー、羨ましいなーっと思っております。

岩屋寺と大石神社、ということは山科ですね。
渋すぎます、しずか様。渋いついでに、大石神社のおかっぱ頭のブロンズ狛犬もご覧になったのかしらー。

大河もいよいよ最終回。寂しいなぁ。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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