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母への想い。結城秀康と徳川忠長。高野山奥の院。

こんにちは。


高野山奥の院編。


巨大手水鉢。


木立の中へ向かいます。


屋久島のような巨大な杉達。

奥まった山側の一角に静かに佇むひとつの墓所。

崇源院墓所。
浅井三姉妹の末っ子、お江。徳川秀忠正室。

遠くからでも人目をひく巨大な五輪塔。

奥の院墓碑群の中で一番大きい(高さ6.6m)ので「一番石」と呼ばれます。


1627(寛永4)年。
駿河大納言忠長が母の追善供養の為に建立。

駿河大納言とは、徳川(松平)忠長。
幼名・国松(国千代)。二代将軍徳川秀忠の三男。

あらゆる面で兄の家光(秀忠次男。幼名竹千代)より優れていたとされ、両親の寵愛も一身に受けておりました。そこで勃発したのが。

竹千代擁立派(with乳母・春日局) VS 国松擁立派(withお江)。

ふぁいっ。

結果は周知の如く。三代将軍は、兄の竹千代(家光)に決定。


ちなみに、春日局の墓所はこの、御廟橋を渡ったお大師様の御廟所の近く。
「崇源院様より、もっとお大師様に近くてよー!」って聞こえそう。
例えこれは秀忠が建てたのだとしても、だから春日局ってなんか好かん。


さて。失意の忠長(国松)。

徳川ではなく松平姓を称させられ、将軍後継候補から脱落。

駿河国・遠江国・甲斐国55万石を領し、従二位権大納言となるも、幕府により改易されてしまいます。
理由は忠長自身の問題よりも大名数削減の為に冤罪をかけた「幕府の意向」説が主流とか。

1633年。配流先の高崎で自害。享年28。


母の追善供養にこの五輪塔を建立したのは、従二位権大納言となった翌年。
そのわずか6年後に自害となろうとは。


忠長、大好きなかーちゃんの側で眠りたかったろうな。


(T_T)


さて。かーちゃんの横にはもう一人、お子さんが。

天樹院(千姫)墓所。

豊臣秀頼に嫁ぎ、豊臣滅亡後は姫路藩本多忠刻に再嫁。ラブラブ夫婦に。
しかし、忠刻も千姫に先立ち他界。

千姫墓所の斜め横には

播磨姫路・本多家墓所。(すごくぼけ倒してごめんなさい)

千姫、よかったね。

(T_T)


さて。次は。


結城秀康石廟。

家康次男。母は正室築山殿の侍女、於万の方。
人質として秀吉の元へ。秀吉に鶴松が生まれて、結城家へ婿養子に。
よく出来た人物であったようですね。

家康の次は秀康を本多正信・正純等は推挙したとか逸話は数々。(秀忠推挙は大久保忠隣のみ推挙)


でも、豊臣家へ養子(人質)に出した上に、結城家へ婿養子に入った秀康を後継者には出来ず。

1607年。結城秀康は家康に先立ち他界。長男・松平(松平へ復姓。越前松平)忠直により石廟建立。

亡くなっても徳川家の廟所へ入れるわけはなく。

(T_T)


結城秀康と母の石廟。

この二つの石廟は、木をほとんど使用せず、瓦や壁、柱や棟木、扉まで全て石造。外壁には、仏様のレリーフが刻まれています。(近寄れないのでズームで見てね)


母の石廟は1601年、秀康自身が母・於万の方を祀るため建立。

しかし、その秀康の方が先に急死してしまいました。
親に先立つ不幸だよ、秀康。

母・於万の方は秀康死後、出家して長勝院。1619年72歳で他界。


秀康長男・忠直は、せめて、かーちゃんを祀る石廟のお隣でゆっくり休んでね、と思ったのでしょうか。

(T_T)



いつも応援いただきありがとうございます。お江の墓所は、奥の院20万基の墓所の中で一番巨大。忠長のおかーちゃんへの愛の大きさでしょうか。結城秀康母子の石廟は、木造かと見間違えるほど精巧に造られています。忠長も秀康も、父親とはビジネスライクなお付き合いだったのかな。かーちゃんだけが生涯の味方だったのかな。母親ってのは、いつまでたってもありがたいものだと思います。
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No title

つねまるさん、こーやくん、おばんです!

高野山の陣取り合戦が気になってきましたよ。

大師の近くに徳川家が陣取っているのだろうか、
銀座4丁目を・・・。

お江さんの墓所は立派ですね。

芝・増上寺では、現在は夫婦仲良く同じ墓石になっています。
増上寺も小さくなっていますしね。

宿坊に泊まられたのかな(・∀・)

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
この度は書籍に貴記事から掲載とのこと、お祝い申し上げます。さすがですねー。

高野山ネタは苦心惨憺の日々でございます。

高野山奥の院の陣取り合戦、場所と五輪塔の大きさにご注目くださ・・・って、わからへんやん。
ほんとは人を入れたら比較出来るのですが、画像は無人がモットー。モザイクめんどー。次は傘でも立て掛けようかしら。


>大師の近くに徳川家が陣取っているのだろうか、
>銀座4丁目を・・・。

徳川家は別の場所に、徳川家廟所を建てております。
ぎんぎんぎらぎらー。
なので、そこへ入れてもらえない悲しい人がいるわけでございまして。

銀座4丁目って、なんですかぁー?
北新地みたいなとこなのかしら。


>お江さんの墓所は立派ですね。
>芝・増上寺では、現在は夫婦仲良く同じ墓石になっています。
>増上寺も小さくなっていますしね。

あ。画像検索してたら、ぴょんぴょんが映ってる写真が出てきましたー。まさに旅するうさぴょん。かわいいなー。


>宿坊に泊まられたのかな(・∀・)

おほほほほほほほ。
夜明け前に出発して、奥の院到着が朝7時。

どわーっと奥の院を散策して、だーっと高野・龍神スカイラインを南下して、どぷーんっと龍神温泉に浸かって、この時はそのままライダー御用達の龍神温泉のお宿に泊まってきました。

宿坊に泊まるのは、贅沢過ぎまするー。宿坊の若い衆(修行中)のおもてなしは、恥ずかしいですー。

遠方の方には宿坊に泊まって、朝のおつとめ参加や早朝の奥の院散策を激しくおすすめします。

大阪人には高野山と龍神温泉は日帰り範囲です。

いま、高野山は紅葉がピークのようです。明朝は0度らしいです。さぶー。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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