丹鶴城の丹鶴姫。熊野別当物語。

こんにちは。


新宮城第2代城主・水野重良により1631(寛永8)年に寄進された阿須賀神社の手水鉢。

ということで。

熊野川河口に位置する新宮城。


城跡訪問の毎度の儀式。仁王立ち。

別名「丹鶴城(たんかくじょう)」

古くは丹鶴姫(たんかくひめ)の住まいがあったことから「丹鶴城」と。

丹鶴姫?

源為義(頼朝の祖父)が院の熊野御幸に警護のため同行したとき、新宮の熊野別当家の娘と仲良しになって出来た姫。

こらー。

同母弟に、源新宮行家(諸国の源氏に以仁王の令旨を伝え平家打倒の決起を促した人)。


熊野別当?







熊野三山。各々が熊野三所権現を互いに祀りのんびり過ごしていたところ。


白河上皇の1090(寛治4)年の熊野御幸後、事態は一変。

白河上皇は、先達を務めた園城寺の僧侶・増誉を熊野三山検校に補任すると同時に、熊野別当を務めていた社僧の長快を法橋に叙任。

これにより、熊野三山の社僧達は中央の僧綱制に組み込まれたのです。


熊野三山検校は熊野に常駐せず都にあり、実務は熊野別当が取り仕切ります。


その熊野別当は世襲で、後に新宮に本拠を置く「新宮別当家」と本宮と田辺を拠点とする「田辺別当家」に分裂しつつ、交互に別当職を務めました。

源為義(頼朝の祖父)と新宮の熊野別当家の娘の間に生まれた丹鶴姫は、19代熊野別当行範(在任1年で死去)の妻となります。

二人は子だくさん。
男子は権別当や熊野別当等になり、娘の一人は湛増(21代熊野別当)の妻となるなど熊野地域において確固たる地位を築きました。

夫・行範の死後、丹鶴姫は「鳥居禅尼」と名乗り、源平の争いの中、終始源氏側として一族を采配します。


弁慶も新宮別当家一族の鈴木氏なりよー。


そして鳥居禅尼は治承・寿永の乱後、乱中の数々の功績によって、甥に当たる将軍源頼朝から紀伊国佐野庄および湯橋、但馬国多々良岐庄などの地頭に任命され、鎌倉幕府の御家人になったのです。(『吾妻鏡』)


新宮別当家は、こうした鳥居禅尼の働きにより鎌倉将軍家の一族として手厚く遇され、熊野三山内外にその勢力を伸ばしました。


一方、田辺の熊野別当家は、当初は院との関わりが深いことから以仁王の動向を平家にチクるなど、平家側についておりました。

平家と源氏のどちらにつくか内紛が起こったりしたあげく、鳥居禅尼の娘婿の湛増が源氏につくことを選択し、熊野水軍を率いて壇之浦の戦いに参加。

頼朝の上洛時に面会し、ようやく積年の罪を赦されます。
熊野別当、ほっと一息。


伊勢海老食べて一服。


次の修羅場は1221(承久3)年に起こった承久の乱。

別当家は鎌倉幕府派と上皇派と中立派に分裂します。

しかし結果は周知の如く幕府の一方的な勝利に終り、源氏方の新宮の別当家こそ被害は少なかったものの、熊野別当家は多くの荘園・所領・所職を失いました。

隆盛期には配下に置いていた熊野水軍に対する統制力もやがて失い、1308(徳治3)年、「西国および熊野浦々海賊」が蜂起。

太平洋航路の権益を巡り鎌倉幕府と7年近くにわたる争いを繰り広げてしまい、以降、もともと熊野水軍を構成していた熊野地方の武士勢力は、もはや熊野別当の統制に服することなく独自の行動をとりはじめます。


さらに、熊野制圧のために鎌倉幕府が派遣したとみられる小山氏・安宅氏などの武士団が土着化して勢力を拡大。

熊野別当の力は著しく衰退。

しかし、熊野三山の統轄体制だけは、南北朝時代中頃(14世紀中頃)に熊野別当の呼称が消えるまで細々と続きました。


ちなみに、那智山。
こちらは熊野別当家勢力が衰え始めた13世紀末期になると、那智執行、滝本執行、宿老、在庁との合議制によって一山運営を行うようになり、熊野三山の中で半ば独立した存在になっていったのでした。


熊の弁当じゃありません。熊野別当です。


すみません。私、源平時代が心底好きなんでちゅ。


いつも応援いただきありがとうございます。新宮に初めて泊まった夜。居心地のいいお店で「明日たんつるじょうに行くの!」と叫びました。「つねまるさん、明日どこ行くんやった?」「たんつるじょう!」「たんかくじょうやー!」って掛け合いが一夜限りの合言葉になりました。皆様、「たんかくじょう」ですのでお間違いなきよう。
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No title

ふむ。
天岩戸がここにも。

鬼の大将「金平鹿」に石の扉を閉められて、
武の坂上田村麻呂さんも攻め倦んだ・・・。

でも、鬼は頭が弱かった
文の菅原道真さんに学べば良かったのなぁ~


だんしんぐ弁慶はカッコよすぎです☆

No title

こんにちは。丹鶴姫さま(頼朝さまの叔母さま?) 字だけ見たら絶対「たんつる」と読んじゃいます~色々とスッゴイ方だったみたいですね。
伊勢海老ど~んの画像眺めて次回楽しみにしております!! 個人的には熊の(鮭)弁当も好みですが。。

piglet01様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
お返事が遅れまして申し訳ございません。秋の夜長は酒酒酒でございます。

>ふむ。
>天岩戸がここにも。

>鬼の大将「金平鹿」に石の扉を閉められて、
>武の坂上田村麻呂さんも攻め倦んだ・・・。

うおーっと。こんへいか、いただきましたー!!さすがpiglet01様です。すごいなすごいな。
悩んだんですがね、多娥丸とどっちなのかなーって。天岩戸ならやはり、こんへいかだったかなぁ。

前に松本峠をてくてくしたときは、まだ山城の楽しさに無知だったので、堀切も何も無視してひたすら鎌倉階段に四苦八苦してました。

よっし。また行こう、熊野。へへへ。


>でも、鬼は頭が弱かった
>文の菅原道真さんに学べば良かったのなぁ~

頭が弱いから憎めないですよね、鬼さん。
道真の賢さを身につけたら、にくったらしい奴になりそうです。


>だんしんぐ弁慶はカッコよすぎです☆

熊野速玉大社の神宝館、神様の生活道具が献上されてるので、豪華だけど身近な国宝がざっくざくです。
だんしんぐ弁慶ににんまりしながら中へ、どぞー。

おきまちあき様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。
お返事が遅れまして申し訳ございません。

先程貴記事を拝見しまして、冷蔵庫から丹波篠山の原酒を汲み上げて参ったところでございます。つまみは…わかめにぽん酢。


>こんにちは。丹鶴姫さま(頼朝さまの叔母さま?) 字だけ見たら絶対「たんつる」と読んじゃいます~色々とスッゴイ方だったみたいですね。

たんつる姫、もとい、たんかく姫、頼朝の叔母にあたる方なのですが、それはもう重要な役割を果たした方のようです。鳥居禅尼の呼称の方が通じやすいかもしれないですね。

男なら間違いなく熊野別当になっていたかと。弁当じゃなくて。


>伊勢海老ど~んの画像眺めて次回楽しみにしております!! 個人的には熊の(鮭)弁当も好みですが。。

伊勢海老どーん、のために台風直前の串本へ走った馬鹿野郎です。あははー。
熊野鮭弁当、いいですね。鮭って万能ですよねー。塩辛い昔ながらの鮭が大好物です。ご飯と給料日前の友です。

つたない記事ではございますが、現場の雰囲気をお感じいただければ幸いです。
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