浦嶋子と月讀命と小野篁。西の左甚五郎中井権治が飾ります。

祭神・うらしまこ様の浦嶋神社。
相殿神・月讀命と祓戸大神。

延喜式神名帳には「宇良神社」と記載される古いお社。

浦嶋子は、日下部首等の祖先にあたり、開化天皇の後胤氏族でした。
さらに遡れば、月讀命の子孫だとか。
ただの鼻の下のびたろうさんではなかったのですねー。ははー。

イザナミにさよならして、黄泉の国のケガレを清めたイザナギ。
その右目を洗って、おぎゃん、っと生まれた月讀命。
なるほど、だから相殿に月讀命が鎮座してるのかな。

浦嶋子が美人に誘われ常世の国に行ったのは、487年、雄略天皇の時。

帰ってきたのは、825(天長2)年、淳和天皇の時。
その間実に347年間。
淳和天皇はこの話を聞いて、同年、小野篁(たかむら)を勅使に遣わし、浦嶋子を筒川大明神と名付け、宮殿を造営。
それをもって、浦嶋神社の創祀年としています。
丹波国風土記の逸書に残る浦嶋子の物語が最古の浦島太郎のお話。
万葉集や日本書紀にも記述が残っています。

浦嶋神社拝殿。

亀の館。

みので編んだかめかめ。

奉納絵馬。弁慶と牛若の運命の出会い。
ぶつくさ言ってるのは、能楽「橋弁慶」の一節。

日本最古の浦島太郎物語が残る浦嶋神社。

開放的というか、あっけらかーんというか、風がよく通る社殿です。
拝殿に戻り、じーっくり見ます。

うふふふ。彫刻らぶ。
丹波・丹後・播磨の寺社をうろちょろすると、社殿の華麗な彫刻に「丹波柏原町住人中井権治」の彫名板を発見することが度々あります。

それこそ、江戸時代から昭和にかけて活躍した兵庫県丹波市柏原(かいばら)の彫刻師、「中井権次(ごんじ)」一党。
初代中井正清は宮大工の棟梁として中井一党を率いて柏原八幡社の造営等に携わり、徳川家康に仕え、江戸幕府の京都大工頭の地位にあった名工です。
法隆寺の修理 ・江戸城・日光東照宮・大坂城の築城等にも関わりました。

初代から3代目までは大工職でしたが、4代目からは彫刻師を名乗ります。

彫刻師として活動したのは1700年代中頃から昭和初めの4~9代目。
主に中井権次(言次)を名乗り、丹波・但馬・丹後などの寺社の山門や本殿の破風に、迫力ある龍など霊獣の飾り彫刻を残しました。
「西の左甚五郎」と賞賛される見事な彫刻。
6代目中井喜一郎のとき丹後宮津に移転しますが、丹波柏原の彫刻師「中井権次(言次)」の作品は数々の寺社を飾り続けました。
柏原(かいばら)といえば、美形狛犬(だけじゃないけど)の石工、丹波佐吉が居たところでもあります。

浦嶋神社の拝殿は四方ぐるりと中井権次の彫刻が施されていて、見ていて飽きません。おすすめです。
丹後半島は遠いわー、という方には京都府福知山市の大原神社。

産屋で知られる「おはらざし」の神社。
過去記事はこちら→→→
絵馬が豊かな大原神社。京都府福知山市。
神秘の蛇のヒゲがある大原神社は彫刻ぶらぼー。京都府福知山市。
命を生み出す「産屋」の残る大原神社。京都府福知山市。

拝殿の彫刻が、中井権次一党の作。素晴らしい龍が・・・

これじゃない。

退治されかけて逃亡中におひげを落っことした龍。(大原神社)

盛り盛りです。(大原神社)
福知山市なら、近いでしょー?
え。関ヶ原後に水軍なのに海なし領地へ引越しさせられた九鬼くんが再建した大原神社だよーっと言っても、ダメかしら。
さぁて。そろそろ移動しよっかなー。

まだ丹後半島の先っぽだもん。先を急ぐの。ごめんね。

いらん!!ばいばい!!

危ないとこでした。
参考資料
浦嶋神社社境内案内板
いつも応援いただきありがとうございます。うらしまこを大明神にする淳和天皇の発想が楽しいです。くすくす。毎晩井戸を通って地獄に降りて、閻魔大王の裁判の補佐をしてたという小野篁が勅使ってのもツボりました。裁判もおつかいもこなす篁。できる男です。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
舞鶴港。母は待つ、引き揚げ船のお話。
-
田辺藩主のお好みwater。宮谷神社の吐月水。
-
狛犬7組集合。舞鶴市の朝代神社でうはうはー。
-
舞鶴市の朝代神社。不審犬発見。おまわりさーん。
-
賢い狛犬と新日本海フェリーin舞鶴
-
ぷりっけつ狛犬ちゃんラブ。舞鶴市でうっとり
-
岸壁の母は待つ。待ち続けた舞鶴引揚港。
-
ぷりっちり狛犬在住の大丹生。舞鶴の夜はフェリーと乾杯。
-
浦嶋子と月讀命と小野篁。西の左甚五郎中井権治が飾ります。
-
祭神うらしまこ。浦嶋神社で丹波風土記の浦島太郎小咄。
-
浦嶋神社の穏やかわんこ。やはり狛犬はニコイチね!
-
テンキテンキ祭の竹野神社。丹後の名神大社。狛犬前で落涙。
-
王者の棺。丹後半島は交易でがっぽり。まいどおおきに。
-
厩戸皇子母の疎開の地。丹後の間人で日本海ざぼん。
-