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信長の「敦盛」。幸若舞と能。軍師官兵衛第28話本能寺の変

こんにちは。
「軍師官兵衛」第28話『本能寺の変』

おおおー!謡わず舞わず、語ってくれました信長様!ぐっじょぶ!

はい、あれは皆様ご存じ、幸若舞「敦盛」の詞章です。

『思へばこの世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生をうけ、滅せぬもののあるべきか

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ』


【敦盛って?】
平清盛の弟、経盛の子。兄に琵琶の名手、経正。
敦盛は笛の名手。祖父平忠盛が鳥羽院より賜った笛『小枝(or青葉)』を譲り受け、一ノ谷合戦場まで持参して毎夜笛の音で皆を慰めました。


そして、熊谷次郎直実により一ノ谷で討死。まだ16才でした。



【幸若舞「敦盛」】
わずか16才で討死した敦盛が「人間五十年」と謡うわけはなく。
これは、敦盛を討った熊谷次郎直実の言葉なのです。

幸若舞「敦盛」はほとんど熊谷直実の視点から描かれています。
一度は敦盛を助けようとした直実も、味方の手前、無残にも若き首を落とさなければならず、世の無常を感じ、その後は出家して敦盛の菩提を弔います。

そんな熊谷直実が言った言葉が冒頭の詞章です。


「人間五十年 下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり
 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」


「人の世の50年の歳月は、下天(仏世界のひとつ化楽天)の一日。下天に比べると、夢幻のようにあまりにも儚いものだ。一度生を授かっても、この短い命、誰もがやがては消滅してしまうものだ」

若き命を奪ったその償い、いずれは自分も滅びてゆく人生のはかない摂理、そんな思いを含んだ一節。

信長とはまったく異なった見解ですねー。


ちょっとここで、幸若舞のご紹介を。


【幸若舞】
幸若舞の演じ方は能とはまったく異なり、大夫、シテ、ワキの三人の立ち方が一列に並び、後ろに鼓が一人のみ。
舞は歩き回る程度で、たまに足拍子を踏むだけ。
立ち方3人もきっちり役分担するのではなく、適当に詞章を分担。
装束は3人とも上下直垂に烏帽子を付け、帯刀。

語って聞かせることに重点が置かれて、舞はごく形式的なもので、この簡潔さが戦国武将に人気を得た要因かもしれません。

幸若舞は戦国武将に大変好まれ、彼らのたしなみであったといわれています。
いざ出陣する時に幸若舞を舞い軍の気勢を昂揚させたそうです。

徳川家康も幸若舞を能と同じく幕府の式楽として取り入れ、年賀拝賀の順位は能楽者よりも上席だったようです。

残念ながら、諸々の事情が重なり衰退。今では唯一九州の福岡県・大江に地元に人たちによって伝承されています。



【能楽「敦盛」】
信長の「人間五十年」が「敦盛」だよー、とかじって能「敦盛」を見ると、五十年どころか十代半ばで一ノ谷合戦においてご他界。
わっくわくしてたのに、えええー!?っと泣くのは、誰もが通る悲劇。

シテ・・(前)草刈男 (後)平敦盛
ワキ・・蓮生法師(出家した熊谷次郎直実)

源平の合戦で平敦盛を討ち取った後、世の無常を感じ、出家して蓮生法師となっていた熊谷次郎直実が、敦盛を弔うため合戦が行われた須磨の一の谷に赴くと、風雅な笛を吹く草刈男(実は敦盛の霊)が現れます。その夜弔いを行うと、蓮生の夢に平敦盛の霊が現れます。


敦盛は負けた側の武将ですから、こちらの負修羅扇を用います。


後シテの敦盛の霊が物語る合戦の有り様も見所ですが、「敦盛」の切なさは平家の盛衰を謡う詞章。

「クセ」という箇所。

「然るに平家。世を取って二十余年。
 まことに一昔の。過ぐるは夢の中なれや。」



「籠鳥の雲を恋ひ。帰雁列を乱るなる。
 空定めなき旅衣。日も重なりて年月の。
 立ち帰る春の頃この一ノ谷に籠りてしばしはここに須磨の浦。」



「シテ『後ろの山風吹き落ちて』

 野も冴え返る海際に。船の夜となく昼となき。
 千鳥の声も我が袖も。波に萎るる磯枕。
 海士の苫屋に共寝して。須磨人にのみ磯馴松の。
 立つるや夕煙 柴と云ふもの折り敷きて。」



「思ひを須磨の山里の。かかる所に住まひして。
 須磨人になり果つる一門の果てぞ悲しき。」


やがて合戦が始まり一門の武将が相次いで討死する中、敦盛は、沖へ逃げる平家一門の船に乗り遅れ、馬で追いかけます。


一ノ谷合戦の有り様を敦盛は舞います。「キリ」の部分です。

シテ『せん方波に駒を控へ。呆れ果てたる。有様なり。』




「シテ『かかりける處に。』
 後ろより。熊谷の次郎直実。のがさじと。追っかけたり敦盛も。
 馬引き返し。波の打物抜いて。
 二打三打(ふたうちみうち)は打つぞと見えしが馬の上にて。
 引っ組んで。波打ち際に。落ち重なって。」



「終いに(ついに)。討たれて失せし身の。
 因果は廻り逢ひたり敵はこれぞと討たんとするに。」



「仇をば恩にて。法事の念仏して弔はるれば。
 終には共に。生まるべき同じ蓮(はちす)の蓮生法師。
 敵にてはなかりけり跡弔ひて。賜び給へ跡弔ひて賜び給へ。」
 
仇の熊谷次郎直実を討とうと迫りますが、あ、そうだ、今は僕の為に念仏を唱えてくれてるんだった…と気づき、跡を弔って下さいなと言い残して姿を消します。

おしまい。

参考文献
謡詞章「観世流独吟集『敦盛クセ』『敦盛キリ』」檜書店刊
幸若舞詞章「wikipedia『幸若舞』」

いつも応援ありがとうございます。
長々と読んでいただきありがとうございました。ふぅー。疲れたのでお風呂入って寝ます。

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No title

仕舞「敦盛」は二打ち三打ちが難し~いと思っていた矢先、師匠:「鞍馬天狗を稽古します。」 で中断です"^_^"  公達より大天狗のほうがお似合いは確かです。

chorusan様

こんばんは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

「敦盛」は、いつか舞囃子でさせていただきたい曲です。中之舞でも、位どりが難しいよ、っと言われて機会を逃しました。

「ふーたうぅちぃー、みうぅちは、うつぞっとみえっしがー」(マニアックでもいい…chorusan様に伝わればっ)は、足と手があたふたしますよねー。これぞ、考えるより、動けー!ですねー。難し楽しいなー。

鞍馬天狗、ご苦労されてましたね。でも、大天狗ならではの型が面白くて勉強になった思い出の曲です。サシ分けで、左手を大きなパーにするとか、「これまでなりや」と頭を下げるときの解釈が先生によって異なり、改めて頭をさげるのか、流れのまま頭をさげるのか、とか、扇の取り扱い方とか。

経正キリができれば、清経キリも、屋島キリも、できなあかん!っと叱る先生に今度は何の曲をいただけるのかな。

次のお稽古は、来月です。

chorusan様のコメントには、ついついマニアックにノリノリになってしまってごめんなさい。とても嬉しくて。

徳平先生

こんばんは。こちらこそご無沙汰いたしております。
ご多忙の中にもかかわらずご丁寧なコメントありがとうございます。

記事をおほめいただき、恐縮です。ついつい熱くなってしまいました。
だって、「敦盛」なんですもーん。

扇舞にもあるだろうとは思っておりましたが、実際の舞台を拝見したいです。。。
滅び行くものの哀れさは、古典の基本ですねぇ。平家物語、ラブです。敦盛、経正、清経、忠度、好き好きー。

記事を読んで…どのような情景が先生に浮かんだのでしょうか。
ほんとは、熊谷次郎直実に襲われる敦盛に「おっちゃん、お口くちゃい!」っと言わせるとこでした。

え。それがよかと?いっくらでも描きますわよー!

「敦盛」

こんばんは。
無知な私は、「敦盛」=信長が舞うヤツ という程度の知識しかありませんでした。
「敦盛」ってどんな意味なのかなぁ…と思っていた始末(^^;)ゞ
人名だったんですねぇ。
大変良い勉強になりました。ありがとうございました。m(_ _)m

No title

また須磨寺に行きたいなぁと思わせる記事でしたー。
さかした、敦盛さんに関してはマジ泣きするんですわ。
高校の国語の授業からのお付き合い(?)だけど、読む度に泣くのです。

能の方はやはり信長さんを思い出しますが、そういう内容だったのですね。
なるほどなぁ。

みすず。様

こんばんは。こちらこそご無沙汰いたしております。
あれやこれやとご多忙でしょうに、ありがとうございます。

「敦盛」君は、平家の中でもイチオシのかわいいお子ちゃまです。よろしくー。
あ、名古屋の万松寺のからくり時計が、敦盛を舞う信長でしたが、今はどうなのかしら。

「敦盛」なんですが、私、小学校か中学校の国語かなんかの教科書で読んだ記憶があるんです。
馬から引きずり降ろした相手が、「自分の息子と同年代じゃん!ぎゃー!なんてこったー!」っと、あわてふためく熊谷次郎直実のお話として。

なので、私は反対になんで信長が敦盛を舞うのかわからなかったです。早死にしたいのか?って。

これからもお仕事大変かとは存じますが、拝見している限り、みすず。様にはとても理解あるお仲間がいらっしゃるから、きっと大丈夫。

ぼちぼち、いこう。ですよー。ねー。

さかした様

こんばんは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

須磨寺ときましたか!ツウだねぇ、姐さん!さすが神戸を熟知されてますなぁ。あ、敦盛君好きですか。うんうん、わかりますよー。

そうそう、あの須磨寺。青葉の笛もご覧になりまして?
あのお寺は能楽お稽古する人々には聖地。いたいけな少年に迫る熊さんの像を見に誰もが一度は行くんです。

あ、敦盛の一ノ谷合戦のお話、やっぱり教科書にありましたよね?(年代の差は無視。おばはんは私ですから。ごめんなさい)
私もすごく衝撃的で、古文の平家物語の時にかぶりついてました。

能楽の詞章、原文で載せましたが、いかがでしょうか?
謡うと、「くまがっえのじっろ↑お↓なおざねーえ」となってしまうのですが、文字だけ並べたらしんみりするわぁーと、改めて思いました。

さかした様は、やはり懐深くていらっしゃる♪

No title

青葉の笛、見ましたよー(・∀・)
グッときました。
馬に乗った直実さんの絵がすごく気に入っていてまた見たいなぁ。

国語は教科書半分プリント半分で授業を受けてました。
なんでプリントなのかは謎ですけどね、おねえちゃん先生の趣味かもしれない。
で、平家物語はプリントで敦盛さんと義仲さんをやりました。
最初は悲しい話だなぁくらいで終わってたんだけど後々じわじわ来まして。
今では直実さんの心情が痛いくらい汲み取れるお年頃になりました…。

能楽、おもしろいですねー。
ちゃんと聞いてみよう。つねまるさんのおかげで色々興味持ててありがたや。

ちなみに敦盛さんというと大沢樹生くんを思い出す刷り込み(大昔のドラマっす)。

さかした様

こんばんは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

大沢樹生君の敦盛、Wikiってみました。あ、これ、見ましたー!うわ、懐かしいな。よく覚えておられましたねー。

国語や社会って、先生によっていろんな教え方がありますね。敦盛と義仲ってのは、おねえちゃま先生の趣味のかほりがします。くんくん。
でもそういう授業の方がよく覚えてますよね。

能楽に興味を持っていただけて嬉しいな。これからも折々に挟んでいきますので、よろしくー。

とっかかりにYouTubeなどで動画を見ることもできますし、夏は薪能のオンシーズンです。ライブが一番なんです。音楽と一緒ですねー。

贅沢を言えば、初めは名手といわれる先生の舞台を。残念な舞台は、どんなに面白い曲でもつらいです。
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つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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