能楽「水無月祓」での茅の輪の由来と室津の遊女
こんにちは。今日は能の「水無月祓」をご紹介。
都に住む男(ワキ)には、契った室の津の遊女がおりました。

娘っこよ、信じたらあかんのよ…。(from おばはん)
男が久々に人を遣わしたところ、彼女は今や行方不明。あちゃー。

途方に暮れつつ、男は下鴨神社へ夏越の祓に参詣。
そこへ、一人の狂女(シテ)が茅の輪を手にふらふらと姿を見せます。

聞けば下鴨神社に流れる御手洗川に現れ、夏越の祓や茅の輪の謂れを面白く語る狂女だというので、男はそれを所望します。狂女は語ります。
「忝なくも天照大神 皇孫を。葦原の中つ国の御主と定め給はんとありしに。
荒ぶる神は飛び満ちて。蛍火の如くなりしを。
事代主の神 和め(なごめ)祓ひ給ひしこそ。
今日の夏越の祓の始めなれ。されば古き歌に。
『五月蝿(さばえ)なす あらぶる神もおし並(な)めて。
今日は夏越の祓なるらん』
さて五月蝿なすとは夏の蝿の。飛び騒ぐが如くに障りをなす神を云へり。
かかる畏き(かしこき)祓とも。思ひ給はで世の人の」
「祓をもせず輪をも越えず」
「越ゆればやがて輪廻を免る(のがる)」
「すはや五障の雲霧も」
「今みなつきぬ」
「時を得て」
「水無月の。夏越の祓する人は。千年の命延ぶとこそ聞け」
夏越の祓の由来。
昔、天照大神が日本の地の主となった折、荒ぶる神々が夏の蝿の飛び騒ぐように障りをなした。
そこで事代主神が荒ぶる神々を宥め、お祓いになった。
それで古歌にも「五月蝿なす荒ぶる神もおしなべて今日は夏越の祓なるらん」と言うのだ。
このように有難いお祓いなので、茅の輪を越えれば輪廻を離れ、迷いの雲も消えるのですわよ。
今日は夏越の日、清らかなこの御祓川で、身を清め正直な心で、神様にお参りしようねーっと、狂女は、面白く狂い舞います。
烏帽子を被って舞え、と観衆から望まれて狂女は言われるがまま、さらに狂い舞います。

「さるにても。外には何と御祓川。水もみどりの山かげの」
神の御心のように清く澄んだ御祓川。今この水に影を映す、神への手向けの舞の袖。

御手洗川に映る我が姿は、お歯黒も眉も髪も乱れ、なんと恥ずかしい姿か。
「呉織(くれはとり)くれくれと。倒れ伏してぞ。泣き居たる。」
水に映ったわが身の浅ましさを見て泣き伏す狂女。実はこの狂女こそ昔契った女だと気づいた男。
「不思議やさては別れにし。その妻琴の引きかへて。衰ふる身ぞ傷はしき」

「声はその。人と思へど我ながら。現(うつつ)なき身の心ゆえ。ただ夢としも思ひかね。胸うち騒ぐばかりなり」
はじめは幻聴?と思っていた狂女でしたが、よーくよーく見れば、それは確かに昔契った男ではありませんか。あらびっくり。
「糺の御神の御恵みなりと、同じく。二度伏し拝みて妹背うち連れ。帰りけり。妹背うち連れ帰りけり。」
こうして夫婦が巡り逢えたのも、賀茂の神様のお恵み。神前に感謝の祈りを捧げて二人連れ立って帰って行ったのでございました。

はっぴいえんど。
おしまい。
さて、ここに出てくる室津の遊女。
清盛以来、室津の港はとても栄え、遊女もいる宿場でした。
時代を下って江戸時代でも西国大名は室津で海路から陸路をとり、参勤交代。

高倉天皇の厳島参拝の折には室津から海路。
能楽「水無月祓」の舞台は京都の下鴨神社とそこに流れる御手洗川ですが、室津にも賀茂神社があります。


雷の神をまつる上賀茂神社と、その親神をまつる下鴨神社からなる京都の賀茂神社。
農耕民族である日本人にとって、夏の雷雨は豊作をもたらす恵みの雨であり、夏の風物詩でした。
下鴨神社前を流れる御手洗川の清らかで涼しげな流れは、様々な作品で描かれています。
「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」(小倉百人一首)
室津の大河のお話と八朔のひな祭り記事はこちら→→→
室津では八朔にひな祭り
いつも応援ありがとうございます。
はかない約束をしちゃだめだよ、って教訓。狂いながらも、水面に映った自分の姿を恥ずかしいと思うところが、能楽の狂女です。ぱらっぱらっぱーになりきれない切なさです。



ぽちぽちぽっち、ありがとうございます。
都に住む男(ワキ)には、契った室の津の遊女がおりました。

娘っこよ、信じたらあかんのよ…。(from おばはん)
男が久々に人を遣わしたところ、彼女は今や行方不明。あちゃー。

途方に暮れつつ、男は下鴨神社へ夏越の祓に参詣。
そこへ、一人の狂女(シテ)が茅の輪を手にふらふらと姿を見せます。

聞けば下鴨神社に流れる御手洗川に現れ、夏越の祓や茅の輪の謂れを面白く語る狂女だというので、男はそれを所望します。狂女は語ります。
「忝なくも天照大神 皇孫を。葦原の中つ国の御主と定め給はんとありしに。
荒ぶる神は飛び満ちて。蛍火の如くなりしを。
事代主の神 和め(なごめ)祓ひ給ひしこそ。
今日の夏越の祓の始めなれ。されば古き歌に。
『五月蝿(さばえ)なす あらぶる神もおし並(な)めて。
今日は夏越の祓なるらん』
さて五月蝿なすとは夏の蝿の。飛び騒ぐが如くに障りをなす神を云へり。
かかる畏き(かしこき)祓とも。思ひ給はで世の人の」
「祓をもせず輪をも越えず」
「越ゆればやがて輪廻を免る(のがる)」
「すはや五障の雲霧も」
「今みなつきぬ」
「時を得て」
「水無月の。夏越の祓する人は。千年の命延ぶとこそ聞け」
夏越の祓の由来。
昔、天照大神が日本の地の主となった折、荒ぶる神々が夏の蝿の飛び騒ぐように障りをなした。
そこで事代主神が荒ぶる神々を宥め、お祓いになった。
それで古歌にも「五月蝿なす荒ぶる神もおしなべて今日は夏越の祓なるらん」と言うのだ。
このように有難いお祓いなので、茅の輪を越えれば輪廻を離れ、迷いの雲も消えるのですわよ。
今日は夏越の日、清らかなこの御祓川で、身を清め正直な心で、神様にお参りしようねーっと、狂女は、面白く狂い舞います。
烏帽子を被って舞え、と観衆から望まれて狂女は言われるがまま、さらに狂い舞います。

「さるにても。外には何と御祓川。水もみどりの山かげの」
神の御心のように清く澄んだ御祓川。今この水に影を映す、神への手向けの舞の袖。

御手洗川に映る我が姿は、お歯黒も眉も髪も乱れ、なんと恥ずかしい姿か。
「呉織(くれはとり)くれくれと。倒れ伏してぞ。泣き居たる。」
水に映ったわが身の浅ましさを見て泣き伏す狂女。実はこの狂女こそ昔契った女だと気づいた男。
「不思議やさては別れにし。その妻琴の引きかへて。衰ふる身ぞ傷はしき」

「声はその。人と思へど我ながら。現(うつつ)なき身の心ゆえ。ただ夢としも思ひかね。胸うち騒ぐばかりなり」
はじめは幻聴?と思っていた狂女でしたが、よーくよーく見れば、それは確かに昔契った男ではありませんか。あらびっくり。
「糺の御神の御恵みなりと、同じく。二度伏し拝みて妹背うち連れ。帰りけり。妹背うち連れ帰りけり。」
こうして夫婦が巡り逢えたのも、賀茂の神様のお恵み。神前に感謝の祈りを捧げて二人連れ立って帰って行ったのでございました。

はっぴいえんど。
おしまい。
さて、ここに出てくる室津の遊女。
清盛以来、室津の港はとても栄え、遊女もいる宿場でした。
時代を下って江戸時代でも西国大名は室津で海路から陸路をとり、参勤交代。

高倉天皇の厳島参拝の折には室津から海路。
能楽「水無月祓」の舞台は京都の下鴨神社とそこに流れる御手洗川ですが、室津にも賀茂神社があります。


雷の神をまつる上賀茂神社と、その親神をまつる下鴨神社からなる京都の賀茂神社。
農耕民族である日本人にとって、夏の雷雨は豊作をもたらす恵みの雨であり、夏の風物詩でした。
下鴨神社前を流れる御手洗川の清らかで涼しげな流れは、様々な作品で描かれています。
「風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける」(小倉百人一首)
室津の大河のお話と八朔のひな祭り記事はこちら→→→
室津では八朔にひな祭り
いつも応援ありがとうございます。
はかない約束をしちゃだめだよ、って教訓。狂いながらも、水面に映った自分の姿を恥ずかしいと思うところが、能楽の狂女です。ぱらっぱらっぱーになりきれない切なさです。



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