野間大坊(1)源義朝の最期。お風呂たいむは要注意です

お風呂たいむは要注意のお話。

源義朝は、関東を拠点に成長し、やがて都へ。
正室は、由良御前。
由良御前の父は、藤原季範(すえのり)。

熱田大宮司の位を外祖父「尾張員職」から「霊夢の託宣」により譲られた人。
つまり義朝の「妻の実家」は熱田大宮司ですが、長く努めた「尾張氏」ではなく「藤原氏」。
保元の乱では後白河天皇方。
生まれ育った東国の武士団を率いて参陣、勝利。
後ろ楯に、妻の実家「藤原氏の熱田大宮司家」。
平治の乱では、義朝軍は壊滅状態となり、東国を目指し敗走。
当初の同行者は、息子の義平・朝長・頼朝、一族の源義隆(陸奥六郎義隆)・平賀義信・源重成(佐渡重成)、家臣で乳兄弟の鎌田政清・斎藤実盛・渋谷金王丸達。
道中、朝長・義隆・重成は落武者狩りで落命、頼朝ははぐれ、残ったのは、乳兄弟の鎌田政清等。

父の手で最期をむかえたけなげな朝長は能「朝長」に描かれます。
子供達と離ればなれになった義朝は、

東海道を東へ進み、途中から海路で、尾張国野間へ。
野間にいたのは、
乳兄弟の鎌田政清の妻の父であり、義朝の家人でもある長田(おさだ)忠致・景致親子。

一息ついた義朝のお風呂たいむを狙った犯人です。

『尾張名所図会』前編巻6「義朝最後の図」
義朝、裸で応戦するも、落命。
享年38。

義朝の危機を知った手勢と長田親子側が乱戦になったと伝わる乱橋。

義朝の首を洗ったと伝わる血の池。

そして、木刀の山に埋もれる義朝の墓。
最期に「僕に木刀の1本でもあったならー!!」と言ったことにちなみます。

源義朝の墓があるのは、野間大坊(大御堂寺)。
つづく
◆お久しぶりの斎藤実盛◆
義朝に仕えた者の中には、斎藤実盛。

義朝の異母弟で義朝の子の義平に討たれた主・義賢の遺児である後の木曽義仲を信濃国へ送り届け
改めて仕えた主の義朝死後は、平氏に仕え年を経て

木曽義仲との戦い前には白髪を黒く染め、最後まで名乗らず義仲の手勢に討たれ、義仲を号泣させた実盛です。
よろしければ渾身の作をご笑納くださいませ♪
⇒お話上手な斎藤実盛、維盛をびびらせる
⇒平家物語「実盛最期」
⇒故郷に錦を着て帰る。実盛のお洒落決意
⇒能「実盛」老武者の決意と執心
いつも応援いただきありがとうございます。
享年38て、(今なら)若いなぁ。野間でご褒美欲しさに義朝を討った長田(おさだ)親子は、まぁ当時としたら当たり前のことをしたにすぎないかもしれませんが、愛知県民としてはちょっと恥ずかしい。義朝の孫になる頼家も修善寺でお風呂たいむに討たれたとか。こっちは男性にしかわからないえらく痛いことをされたそうで。お気の毒に。


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
野間大坊(8)ぷりてぃお狐様と幻の五重塔
-
野間大坊(7)織田信孝墓所。昔より主をうつみの野間なれば
-
野間大坊(6)池禅尼経塚。頼朝レスキューと熱田大宮司家
-
野間大坊(5)源義朝を討った長田忠致親子の、みのおわり
-
野間大坊(4)伝・頼朝建立の大門と鎌倉様式の本堂
-
野間大坊(3)家康の保護。代々の住職は水野氏
-
野間大坊(2)頼朝、上洛途中で義朝墓所へ。平康頼に感謝
-
野間大坊(1)源義朝の最期。お風呂たいむは要注意です
-
恋人の聖地・野間灯台。子猫ちゃん達、美浜幕府で待ってるぜ
-
熱田神宮と尾張国と尾張氏。やがて藤原氏が絡みとり
-
熱田神宮(4)尾張名所図会に見る熱田神宮寺と、神仏分離
-
高牟神社(4)由緒。尾張国愛智郡物部郷と尾張物部氏
-
高牟神社(3)元古井と恋。常世の草香島って何
-
高牟神社(2)尾張名所図会と透垣。おや、力石くん?
-
高牟神社(1)狛犬と牡丹。賑やか狛犬日和
-