熱田神宮と尾張国と尾張氏。やがて藤原氏が絡みとり
今日はものすごくたくさん、尾張尾張といいます。ふふ。

尾張に熱田神宮は不可欠です。
それは、草薙剣があるからというよりは、これ。

尾張氏の存在。
尾張宿禰(おわりのすくね)、尾張連(おわりのむらじ)、尾治連(おわりのむらじ)などと称し、主に近畿から濃尾地方にかけて勢力を持っていた豪族・尾張さんちです。

日本武尊が草薙剣を預けたのは、尾張で娶った宮簀媛(ミヤズヒメ)。
父は、尾張氏始祖「天火明命(あめのほあかりのみこと)」より11代目、初代「尾張国造」の「乎止与命(おとよのみこと)」
母は、眞敷刀婢命(マシキトベ/「尾張大印岐」の女)
兄は、建稲種命(たけいなだねのみこと)。
日本武尊の東征に自ら副将軍として従軍。
妃は玉姫(一宮の全域と中島郡北部を支配する丹羽氏の祖・大荒田命(オオアラタノミコト)の女)。
建稲種命と玉姫との間には、
子①《尻綱根命(シリツナネノミコト)》は、応神天皇の大臣。
娘①《志理都紀斗売(シリツキトメ)》
五百城入彦命(イオキイリヒコノミコト)の皇紀となり、品陀真若王(ホンダマワカノミコト)を生む
娘②《金田屋野姫命(カネタヤネノヒメノミコト)》
甥の品陀真若王の妃となり、応神天皇の后妃となる3人の娘を生む。
この娘の一人が産んだのが、後の仁徳天皇。

そーです。
建稲種命は、応神天皇の3人の后妃の「外祖父」で(『旧事本紀』『古事記』)
尾張氏は大和朝廷と結びつきがあったと。
そゆこと。

草薙剣を熱田で祀ったのは、こんな時期。
さらに。
継体天皇の正妃は尾張連草香の娘、目子媛(大和国入りするまで)。
安閑天皇、宣化天皇の母となります。
また、大海人皇子の乳母は尾張郡海部郷の首長である海部氏の娘。
海部氏は通説では尾張氏から分かれており、壬申の乱での尾張氏は、大海人皇子へ私邸や資金を提供するなど全面的に支援。
つまり、天武天皇の誕生に功績あり。

かほどさように朝廷と密接な結びつきがあった尾張氏。
さぞかしこの後も繁栄していくことでし・・・

あれ?
尾張氏は、熱田大宮司職を世襲。
時は流れ平安時代後期、熱田大宮司・尾張員職のとき。

やって来たのは、藤原南家の藤原季範(すえのり)。
父・季兼は尾張国目代(もくだい/国司の現地代理人)、母は尾張員職女。
熱田大宮司・尾張員職は永久2年(1114)外孫の季範に、霊夢によって、大宮司職を譲ります。
・・・どんな夢だ。
以降、熱田大宮司職は藤原氏世襲。

尾張氏はその部下・権宮司職を世襲。
世俗は大宮司が行い、神様に仕えることに専念。

藤原季範自身は、主に都暮らし。
ありをりはべりいまそかり~な日々を送っていたら、

娘の由良御前が、こやつと結婚。

そう、君の娘は源義朝の嫁となったのだ。
由良御前と義朝との間に生まれた子達が、頼朝・希義・坊門姫(一条能保室)。
季範の養女(孫娘/実父は長男・範忠)は足利義康との間に義兼を生み、後の足利将軍家へと繋がります。

次回は、こちらへ参ります。
参考文献
『尾張氏の系譜と天照御魂神』(『松前健著作集第9巻』第11章/松前健・著/株式会社おうふう/1998)
「社家の姓氏・尾張氏」
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/middle/s_owari.html
いつも応援いただきありがとうございます。
で、尾張氏はどうなったんや?な疑問がわきますが、答えは「はて?」。天皇家と密接な繋がりを持った尾張氏ながら史料が乏しく、これは秘されたのかと勘ぐるほどだそうです。何はともあれ、やっと源義朝までたどり着きましたよー。やーれやれ。


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