賤ヶ岳の戦いと羽衣伝説の余呉湖でのんびり

琵琶湖にいたクサガメくんです。こんばんは。
さて。琵琶湖の北東角っこにある余呉湖。

琵琶湖との間にあるのが、賤ヶ岳。

ええとこです。
ここらといえば、「賤ヶ岳の戦い」ですね。

余呉湖案内板が賤ヶ岳の戦いの配置図になってます。(拡大)
この辺りを中心とした広範囲の丘陵に各武将が陣をすえました。
秀吉が本陣を移した場所は「猿ヶ馬場」…うわー。
岩崎山に高山右近、大岩山に中川清秀。
特に中川清秀は、この戦いで討死。お墓が大岩山にあります。

賤ヶ岳の戦い、といってもお山で「ふぁいっ!」っとしたわけはなく。

余呉湖を背にした風景。
さて。もともとの柴田勝家さんちは東名高速名古屋インター近く、名東郵便局辺りだよ、っというぷちぷちネタを最後に賤ヶ岳の戦い話は終わり。
余呉湖。

あー、こっちのが右近陣地かしら?と、思いながら。

風が左右から吹いている不思議な像。これは…

全国各地に伝わる羽衣伝説。有名なのは三保の松原。(画像は淡路島に加工…)
この天人の羽衣伝説の最古のものが1200年以上前に『近江国風土記』に記されたお話なのです。
次回からこの羽衣伝説についてご紹介します。
いつも応援いただきありがとうございます。余呉湖は鏡湖とも呼ばれた静かなところ。冬はワカサギ釣りで賑わいます。寒いってことですね…。



ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。
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