宇志比古神社(3)元は石清水八幡宮荘園堀江荘の大谷八幡神社
こんにちは。

うしひこじんじゃ、第3回。
宇志比古神社は、「式内社/阿波國板野郡・宇志比古神社」論社です。
ずーっと宇志比古神社であったかというと、よくある「今日からここは式内社」らしい。
「この神社は明治3年まで八幡神社であったが、同年9月3日突如として民政局より『大谷八幡神社は向後宇志比古神社として奉祀候事』との御奉書を賜はり社名を改稱した、と神職は傳へてゐる。」
(略)氏子の半数は今日なほ「八幡様」と呼んで崇敬してゐる。
(『式内社調査報告』)
※ここでいう「民政局」は明治政府が臨時に設けた部局

「大谷八幡神社」が明治3年9月3日、「式内社宇志比古神社」に変身。
土地の履歴を見ると、「八幡神社」がなぜここに鎮座したかがわかります。
【大谷八幡神社と石清水八幡宮の荘園】

ここは、徳島県鳴門市大麻町大谷。
平安時代、石清水八幡宮の荘園「堀江荘」であった土地です。
阿波国に荘園は約60あったといわれ、一例をあげると、
《春日神社》富田荘・津田別納
《東大寺領》新島荘
《高野山領》勝浦荘
《仁和寺領》観音寺荘
《石清水八幡領》は下記の通り。
「板野郡」萱島荘(かやしま)・萱島西荘(かやしまにし)・堀江荘
「三好郡」三野田保(みのた)
「勝浦郡」生夷荘(いくな)
「那賀郡」櫛淵荘(くしぶち)
【石清水八幡宮の荘園「堀江荘」】
讃岐山脈東端近く、北は山地、南は吉野川下流の沖積平野(鳴門市大麻町と推定)。(『治承2年院庁下文』、『石清水別当慶清領掌/保延4成』)
堀江荘の存在は、石清水八幡宮に伝わる「『石清水文書』治承二年(1178)」の記述が初見。
【領家・本家】 石清水八幡宮領・八幡宮寺別当領・小塔長日勤行供料所
【初見年】治承二年(1178)
【出 典】石清水文書・石清水宮寺録事鈔・石清水八幡宮末社記(続群書類従)
弘安元年(1278)「石清水八幡宮小塔長日勤行供料」に宛てられる。
南北朝から室町期に成立した『石清水八幡宮末社記』にも「堀江荘」の名があり。
国立歴史民俗博物館/データベースれきはく「日本荘園データベース」より引用(荘園コード5909020)
https://www.rekihaku.ac.jp/doc/t-db-index.html

あ、滑り台だったんだ。
石清水八幡宮の荘園「堀江荘」にその末社「大谷八幡神社」があり、別当寺として、

「八葉山東林院神宮寺」がありました。
石清水八幡宮『石清水文書』治承2年(1178)の記述にその存在が記されているお寺です。
「神宮寺を中心に東林院・福重院・弥勒院など塔頭があり、その中でも東林院は戦国大名三好氏の祈願寺として12貫を領し、江戸初期には東林院が神宮寺や福重院などを吸収したものと考えられています。」
(「東林院HP」より引用)https://torinin.jp/history/

さあ、やって来ます。明治の神仏分離が。
【神仏分離と八幡宮】
八幡宮が祀るのは「八幡大菩薩」。

源氏の氏神として全国各地に鎮座。(画像/鷲峯神社)
氏神だけど、菩薩の名前。神仏ミックス。
このため、明治の神仏分離及びそれに伴う廃仏毀釈運動の影響を強く受けます。
荘園の主であった石清水八幡宮は「石清水八幡宮寺」、最高責任者は「別当」という僧侶でしたが、かつて仁和寺の法師が間違えるほど山の麓まで繁栄した石清水八幡宮の姿もこの時失われました。
【大谷八幡神社の神仏分離】

主神である「八幡大菩薩」は、社殿から追い出され、

「大般若経典六百巻」と共にどこへ行くのか。

狛犬さんにお別れして、

神仏分離令に伴う廃仏毀釈運動により経営基盤に大きな痛手を受け、山門などを失いながらもかろうじて残った「八葉山東林院神宮寺」へ。

狛ちゃん、だいじょーぶ。

八幡大菩薩様は、社殿を出て石段を下りて、右折しただけだから。

こらこらこら。
でもやはり、ずーっとそこにいた神様が追い出され、いきなり上から「今日から宇志比古神社!」と押し付けられてもねぇ。

「氏子の半数は今日なほ『八幡様』と呼んで崇敬してゐる。」(『式内社調査報告』)って、そりゃそうでしょう。
宇志比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66
いつも応援いただきありがとうございます。
いきなりパンダで失礼しました。東林院にあったパンダ君は実は滑り台。うふふ。今は宇志比古神社、昔は大谷八幡神社。由緒を追うときにいつも思うのですが、「式内社」の称号ってのもなんとまあ不確定で不安定で怪しげなものかと。狛犬さんも大混乱しますよねぇ。


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

うしひこじんじゃ、第3回。
宇志比古神社は、「式内社/阿波國板野郡・宇志比古神社」論社です。
ずーっと宇志比古神社であったかというと、よくある「今日からここは式内社」らしい。
「この神社は明治3年まで八幡神社であったが、同年9月3日突如として民政局より『大谷八幡神社は向後宇志比古神社として奉祀候事』との御奉書を賜はり社名を改稱した、と神職は傳へてゐる。」
(略)氏子の半数は今日なほ「八幡様」と呼んで崇敬してゐる。
(『式内社調査報告』)
※ここでいう「民政局」は明治政府が臨時に設けた部局

「大谷八幡神社」が明治3年9月3日、「式内社宇志比古神社」に変身。
土地の履歴を見ると、「八幡神社」がなぜここに鎮座したかがわかります。
【大谷八幡神社と石清水八幡宮の荘園】

ここは、徳島県鳴門市大麻町大谷。
平安時代、石清水八幡宮の荘園「堀江荘」であった土地です。
阿波国に荘園は約60あったといわれ、一例をあげると、
《春日神社》富田荘・津田別納
《東大寺領》新島荘
《高野山領》勝浦荘
《仁和寺領》観音寺荘
《石清水八幡領》は下記の通り。
「板野郡」萱島荘(かやしま)・萱島西荘(かやしまにし)・堀江荘
「三好郡」三野田保(みのた)
「勝浦郡」生夷荘(いくな)
「那賀郡」櫛淵荘(くしぶち)
【石清水八幡宮の荘園「堀江荘」】
讃岐山脈東端近く、北は山地、南は吉野川下流の沖積平野(鳴門市大麻町と推定)。(『治承2年院庁下文』、『石清水別当慶清領掌/保延4成』)
堀江荘の存在は、石清水八幡宮に伝わる「『石清水文書』治承二年(1178)」の記述が初見。
【領家・本家】 石清水八幡宮領・八幡宮寺別当領・小塔長日勤行供料所
【初見年】治承二年(1178)
【出 典】石清水文書・石清水宮寺録事鈔・石清水八幡宮末社記(続群書類従)
弘安元年(1278)「石清水八幡宮小塔長日勤行供料」に宛てられる。
南北朝から室町期に成立した『石清水八幡宮末社記』にも「堀江荘」の名があり。
国立歴史民俗博物館/データベースれきはく「日本荘園データベース」より引用(荘園コード5909020)
https://www.rekihaku.ac.jp/doc/t-db-index.html

あ、滑り台だったんだ。
石清水八幡宮の荘園「堀江荘」にその末社「大谷八幡神社」があり、別当寺として、

「八葉山東林院神宮寺」がありました。
石清水八幡宮『石清水文書』治承2年(1178)の記述にその存在が記されているお寺です。
「神宮寺を中心に東林院・福重院・弥勒院など塔頭があり、その中でも東林院は戦国大名三好氏の祈願寺として12貫を領し、江戸初期には東林院が神宮寺や福重院などを吸収したものと考えられています。」
(「東林院HP」より引用)https://torinin.jp/history/

さあ、やって来ます。明治の神仏分離が。
【神仏分離と八幡宮】
八幡宮が祀るのは「八幡大菩薩」。

源氏の氏神として全国各地に鎮座。(画像/鷲峯神社)
氏神だけど、菩薩の名前。神仏ミックス。
このため、明治の神仏分離及びそれに伴う廃仏毀釈運動の影響を強く受けます。
荘園の主であった石清水八幡宮は「石清水八幡宮寺」、最高責任者は「別当」という僧侶でしたが、かつて仁和寺の法師が間違えるほど山の麓まで繁栄した石清水八幡宮の姿もこの時失われました。
【大谷八幡神社の神仏分離】

主神である「八幡大菩薩」は、社殿から追い出され、

「大般若経典六百巻」と共にどこへ行くのか。

狛犬さんにお別れして、

神仏分離令に伴う廃仏毀釈運動により経営基盤に大きな痛手を受け、山門などを失いながらもかろうじて残った「八葉山東林院神宮寺」へ。

狛ちゃん、だいじょーぶ。

八幡大菩薩様は、社殿を出て石段を下りて、右折しただけだから。

こらこらこら。
でもやはり、ずーっとそこにいた神様が追い出され、いきなり上から「今日から宇志比古神社!」と押し付けられてもねぇ。

「氏子の半数は今日なほ『八幡様』と呼んで崇敬してゐる。」(『式内社調査報告』)って、そりゃそうでしょう。
宇志比古神社
《住所》徳島県鳴門市大麻町大谷字山田66
いつも応援いただきありがとうございます。
いきなりパンダで失礼しました。東林院にあったパンダ君は実は滑り台。うふふ。今は宇志比古神社、昔は大谷八幡神社。由緒を追うときにいつも思うのですが、「式内社」の称号ってのもなんとまあ不確定で不安定で怪しげなものかと。狛犬さんも大混乱しますよねぇ。


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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