御着城址と黒田家廟所

御着城跡は、公園に整備されてます。
しかし、埋文センターの人が「あのう…ほんとにちっちゃい公園ですから…」と、みょーに恐縮されてた御着城跡公園。
…どんぐり広場!?

(現地案内図より)
御着城は、自然の川を何重にも堀に利用したお城でした。

(同)
中では町内会の人がお揃いの服着て、小学生さんが説明してくれます。
途中で話しかけたら「…あれ?」っとなっちゃいます。
ご、ごめん(^o^;)



黒田家の家紋(黒田藤巴紋)は、官兵衛が有岡城に幽閉されてた時に心の慰めになった、藤の形だそうで。
下がり藤とかもあるのに、なぜクルクル回したのか。
官兵衛、すてき。

「朱漆塗合子形兜 黒糸威五枚胴具足 小具足付」
兵庫のゆるキャラ、はばタン風にしてみた。
本物は福岡市博物館にあります。具足は中身の人と異動したのですな。
ただし、兜は、官兵衛臨終時に栗山利安(善助くん♪)に贈られ、黒田騒動で息子の利章(栗山大膳)が盛岡に追放になった後、盛岡城主に献上されたので、もりおか歴史文化館にあります。
すぐそばに、黒田家廟所。

向かって左がじいさま(黒田重隆)
向かって右が母上様(明石氏)
何故にじいさまと母上だけが並んで…?
いけない恋ですか…?
実は、この近くに家老屋敷があったので、じいさまはそこで亡くなったそうです。(すっきりした~!)
一時は廃れていたのを、1801年に福岡藩藩主の黒田斉清により福岡から運んだ石で再建されました。
廟所の門には、黒田家家紋の藤がくるんくるん、が二つ。その、真ん中に、なーんにも模様のないただの、丸、が、ひとつ。
これは、竹中半兵衛の家紋「黒餅」です。

とある戦で弓に貫かれた半兵衛。しかーし、懐に持っていた餅のおかげで無事でした!!な、とこから、半兵衛んちの家紋がこの餅…「黒餅」になったとさ、なのです。
ネタバレるので詳細は省きますが、半兵衛に恩義と友情いっぱいな官兵衛は、黒田のくるんくるん藤紋とこの黒餅紋を使うように定めました。
廟所の門は、紋が立体になっていたのでまさにこんな感じ。



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