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金屋子神社(3)由緒と祭神。金屋子神伝承と神様のシェアハウス

こんにちは。


金屋子神社。


【「金屋子祭文雲州比田ノ伝」】

金屋子神社に伝わるお話。

「金屋子神は、村人が雨乞いをしていたところへ雨と共に、播磨国岩鍋(兵庫県千草町岩野辺)に天降る。

盤石をもって鍋を作る。故にこの地を岩鍋という。

しかしそこに住むべき山がなく、白鷺に乗って西国に赴き、出雲の国能義郡黒田奥比田の山林に着き、桂の木に羽を休める。

偶然、狩りに来た安部正重に出会う。

神託により、長田兵部朝日長者が宮居を建立、安部正重を神主に任じ、神は自ら村下(むらげ/たたら製鉄操業の総技術監督)となり、

朝日長者の集めた炭と粉鉄(砂鉄)を吹けば、鉄の涌くこと限りなし。」(要旨)


播磨国岩鍋(兵庫県千草町岩野辺)
たたら製鉄が行われた土地であり、鉄穴(かんな)流し、たたら炉跡等が現存。(兵庫県西播磨県民局発行『たたらのふるさと西播磨』)


桂の木

白鷺に乗った「金屋子神」が降りた桂の木はご神木とされ、たたらのそばに。


菅谷高殿の桂の巨木。樹齢200年。

高殿が出来た時代より後なので、伝承に基づき植樹したのかな?


【たたら製鉄と金屋子神社】

金屋子神社は、「全国1千2百社とされる金屋子神社の本社、総本山として信仰の対象となった」とか。(現地説明板他)

八幡神社は4万4千社、稲荷神社は3万2千社。
これに比べれば少ないですが、全国1千2百社というのは、「鉄」業界がいかに大きな勢力を占めているかを示し、面白いです。

金屋子神社は、いわゆる「鳥居が立ち、境内地に拝殿・本殿がある」構えを備えた神社よりも、各たたら炉や刀鍛冶、鉄器を作る鍛冶屋等にそれぞれ勧請された「祠」が多くを占め、金屋子神社の分布とたたら製鉄等の分布がリンク。

従って、金屋子神社はたたら製鉄操業が盛んであった西日本(特に中国地方)に多く分布。

(鉄の道文化圏推進協議会編『金屋子神信仰の基礎的研究』/「ヒストリア」195)


各たたらで祀られた金屋子神様へ込める願いは、よい鉄が吹けますように、操業が安全に出来ますように。


鉄師・櫻井家住宅の裏山に鎮座する金屋子神社。


菅谷たたら山内の金屋子神様の祠。


岡山県新見市の中世たたら製鉄再現操業の現場


【金屋子神社】

【由緒】

安政5年(1858)の火災で古文書の一切を焼失。

よってこれ以前の記録、創建年代等不詳。
また、宮司(阿部氏)間での口伝断絶(継承時に先代が故人)。


ちょっとー!

近年、現存する資料・学説を集めた書籍を刊行。研究待ち。

(『金屋子縁起と炎の伝承:玉鋼の杜』 金屋子神社/安部正哉著/1985)


現存するものの中で面白いのは、

『金屋子神社所蔵勧進帳』

金屋子神社本社の宮司安部正哉氏所蔵の三つの勧進帳です。年代は、

寛政3年(1791)、②文化4年(1807)、③文政2年(1819)

「たたら製鉄炉」「砂鉄精錬場」「鍛冶屋」の分布、「村下(むらげ)」「炭坂(すみさか)」「左下(さげ)」等のたたら製鉄操業従事者の役名等が判明する貴重な資料です。


金屋子神社は奈良時代から平安時代にかけて成立した『六国史』(奈良~平安時代/日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録の六書)『延喜式神名帳』には記載なし。

よって、平安時代後期以降に創建されたと推定することは出来ます。



安政5年(1858)の火災後、元治元年(1864)再建

元治元年。明治維新まであと4年。
日本の内外がガヤガヤとし始める頃です。

よって、鉄の需要は非常に高く、たたら製鉄は好景気。


社殿はいずれも総けやき造りで、拝殿の彫刻は名工・荒川亀斉。

山中に鎮座しながらとても豪華な社殿なのは、スポンサーである製鉄関係者の好景気を反映。




【祭神】金山彦命、金山姫命

【合祀】素盞嗚命、石凝姥命、譽田別命、市杵嶋姫命、息長帶姫命、玉依姫命、伊弉册尊、天照皇大神、天兒屋根命、倉稻魂命、天玉祖命、押武金日命、猿田毘古命、天鳥船命、建御名方命、大國主命、事代主命、迦具土神、武内神、上筒之男命、、底筒之男命

※明治7年に天田神社、同40年に八幡宮外十社を合祀(22柱)



で、祭神の中に、金屋子神様の名前が、ない。

ここはツッコミどころですが、


ボケ倒しておりますが、拝殿内部の掛け軸。金屋子大明神。

「金屋子大明神」を祀っていたものが、明治時に仏教色のある「大明神」を廃し、明治期に金山彦命、金山媛命を祭神へ変更したいつものパターンでしょうか。

かといって金屋子神様の姿が一切ないわけでもなく、


こちらに。


「金屋子神」と刻まれた石。文政10年。


たたら製鉄で出来たケラやノロ(不純物)が納められています。


いつも応援いただきありがとうございます。
ある意味マニアックな金屋子神様。各たたら炉や刀鍛冶さんの作業場に祀られている姿をよく目にしました。金屋子神様の由来や伝承が後世に作られたものであるかは今後の研究によりますが、現場の人々に深く広く信仰されていたことは紛れもない事実。従って、金屋子神社の祭神として「金山彦」があるのは、異質に感じます。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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こんばんは。

≪八幡神社は4万4千社、稲荷神社は3万2千社。
これに比べれば少ないですが、全国1千2百社というのは、「鉄」業界がいかに大きな勢力を占めているかを示し≫
これ、本当ですね。
1200も、鉄に関係した場所があったということでしょうか。
鉄って、ものすごく応用範囲の広い金属だし。

≪金屋子神社
安政5年(1858)の火災で古文書の一切を焼失。
よってこれ以前の記録、創建年代等不詳。
また、宮司(阿部氏)間での口伝断絶(継承時に先代が故人)≫
そうなんですか~
口伝断絶っていうのは、痛いですね。
やっぱり、何かに書いておいてくれないと、危険ですね。
今の研究、成果が上がることを祈るのみですね。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

鉄、鉄、と連呼しているばかりの記事で失礼しております。

金屋子神社という存在は、正直、奥出雲へ行くまでは疎遠でした。
鉄工所はあちこちにありますが、製鉄所とか、あまり親しくないですし、銀山にあったのは金山彦を祭神とする山神社でしたし。

鉄って、そういえば一番身近な固いもの(?)ですね。
今はアルミの方が多いかな。

口伝が途絶えたのは、公務員となり定年退職後に宮司職に付いた方がいらして、その時には既に先代がご他界後だったことがあり。

神社の宮司では食べていけない時代であり、不幸が重なったのかな。

とにかく、書いておけー!!と、思いました。

参考文献の他にも図書館で金屋子神社由緒の書物を見ましたが、うすらぼんやりとした内容で、たたら製鉄の事はわかるけど、神社は?な感想です。

金屋子神社は、民間信仰とか、民俗の分野になるのかなぁと思います。

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内緒様

おおお、よかった(いや、よくないですね)。

うんうん、ぼちぼち、体と相談しながら、ゆっくりゆっくり。

ほっとしました。コメントありがとうございます。
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