稲田神社。クシナダヒメを祀るお社と姫のそば

里へおりてきました。おほほほほ。
本日は、稲田神社。
祭神は稲田姫。
クシナダヒメを稲田姫と稲田神社では称しています。
『日本書紀』では奇稲田姫、『古事記』では櫛名田比売。
『出雲国風土記』(飯石郡の項)では久志伊奈太美等与麻奴良比売命(くしいなだみとよまぬらひめ)。
ヤマタノオロチから須佐之男命に助けられた人です。
【ヤマタノオロチのお話】

8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物。(画像/たたらと刀剣館)
その名は、ヤマタノオロチ。
『日本書紀』では八岐大蛇、『古事記』では八俣遠呂智。
こいつが狙うのは

クシナダヒメ。お腹がふくれそうなお姿である。
てーってて~ててーてて~てってって~ててぇ~♪(@暴れん坊将軍)
スサノオ登場。

助けてください。続かないでしょ。
スサノオは稲田姫を櫛に変えて髪に差し、ヤマタノオロチ退治へ。

頭それぞれに酒を与え、酔いつぶれたところを、
成敗っ。

ヤマタノオロチのしっぽからは、ひとふりの剣。

これが、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」(『古事記』)「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」(『日本書紀』)
人の姿に戻ったクシナダヒメとスサノオは
「八雲たつ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣を」と詠み宮を建て一緒に暮らしましたとさ。
そのクシナダヒメを祭神とする稲田神社。

創建不詳。神社の棟札に記された最古の棟札は、元禄15年(1702)。

(稲田神社HPより借用)
近くには、稲田姫の「産湯の池」、そのそばの稲田姫を祀った旧社、姫のへその緒を切った竹ヘラを逆さまに挿したら生えた「笹宮」があり、この地には稲田姫信仰があったと稲田神社は伝えています。(稲田神社HPより)
が。
お社としての歴史は浅く、江戸時代後期の文政年間に創建された祠(産湯の池ほとりの旧社)を、昭和7年に小林徳一郎が神殿を新築、勧請。(横田町資料※図書館閲覧※による)

幣殿、ぴーんち。

石段最下部の、えーっと何?
現在の社殿は昭和13年、小林徳一郎(明治3年~昭和31年)の寄進。
小林徳一郎はここ、奥出雲町横田の出身で、九州小倉の石炭王。
故郷に錦。
稲田神社の拝殿、社殿、社務所を一寄進で建立。
昭和27年の資産評価は2千5百万円だというので、
消費者物価(日銀)昭和27年と比較したら物価ベースで、約6.692907653倍。
今なら1億1670万円ほどかな?(資産評価だとどうかなー)
また、小林徳一郎は出雲大社の大鳥居も寄進。
それ以降、稲田神社の宮司は出雲大社の千家宮司が代々勤めています。
(以上由緒書、稲田神社HPより)

大きな注連縄=島根だなーっと感じる素人。

幣殿向かって左の建物。

本殿。

振り反って、拝殿背後。

姫の宮。

拝殿の扁額。
の、両側に

これはなんだ?

なんなのだー?
この稲田神社は社務所に併設の

「姫のそば ゆかり庵」が大人気。ランチタイムは行列でした。
参考サイト
「稲田神社応援サイト『稲田姫を照らす会』」
http://www.inatahime.jp/
稲田神社/姫のそばゆかり庵
《住所》 島根県仁多郡奥出雲町稲原2128ー1
いつも応援いただきありがとうございます。
稲田神社は由緒の通り新しいですが、笹宮の笹は、香淳皇后(今上天皇生母)が懐妊された際、安産のお守りとして皇室に献納されたそうです。小林徳一郎は成功した後も故郷を忘れず、社殿を構え勧請、一式を寄進。何とも豪気な人です。ただ、このために氏子というものの存在が微妙で、お蕎麦屋さんが繁盛しないと社殿の修理もままならないのではないかと余計な心配してしまいました。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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