比内谷鉱山鉄穴流し本場跡。純度80パーセントの砂鉄作り
こんにちは。

風化した軟質花崗岩などが露出する山を崩して、山土を採取。
この山土から砂鉄だけを取り出す方法が、「鉄穴(かんな)流し」
工程は、山砂鉄の「採取」と「選鉱(洗鉱)」。
山砂鉄の山土に対する含有量は、0.5~10%程度。

切り崩した山土を、水路(走りまたは井出)に流し込みます。
土砂は破砕され、土砂と砂鉄は分離され
今日は、この先の「選鉱(洗鉱)」を見学。

山の中です・・・(T_T)

比内谷鉱山から1kmほど下流の、比内谷鉱山鉄穴流し本場跡。
分離された砂鉄の純度をさらに高める鉄穴流しの最終段階である、
「選鉱(洗鉱)」を行う場所で、これを「本場」といいます。
昭和47年の廃止まで1日に2~4トンの砂鉄を産出。

川沿いです。土砂と砂鉄の分離には水が不可欠。

上から、第一出切→第二出切→大池→中池
では、上流から見学。

鉱山で採取され流されてきた土砂を一旦ここに溜めて

流します。

第一・第二出切は、水を流しつつ土砂を緩やかに滞留させ、砂鉄を沈殿させます。
砂鉄は、花崗岩に含まれるほかの鉱物より重い(比重が大きい)。
重い砂鉄が流水の中で沈み、軽い土砂は流れていく。
重さの違いを利用して鉱物を選り分けることを「比重選鉱」といいます。
☆☆☆「比重選鉱」☆☆☆
金銀の採掘場で用いられた手法。
金銀山の採掘が盛んとなる文禄、慶長年間には各地の金銀山を中心に普及。
金山ではこれを「ねこた流し」といいました。

鉄穴流しの上には別の「足水水路」
きれいな水は「足水水路」から取り入れ、土砂混じりの水を川へ流し、砂鉄と土の混じった水はさらに下流へ。

排水部分。下流域の河川が濁るわけです。

今はちょっと埋もれてるのが残念ですが。

出切に残っていた花崗岩っぽい砂。

第二出切の一番下流。
流水の中で沈殿した砂鉄のみをすくいあげ、ここから再び流します。

大池からは、樋に流します。

砂鉄をすくいあげ、次の池へ移しやすいように、木の樋です。

大池全体。

次の中池との境に、少し段差。

中池全体。

中池から乙池の境にも、少し段差。

乙池全体。ここまでくると、かなり細かい砂鉄。

終点の、樋。
この工程を経た砂鉄の純度は、80%以上。

こうして出来た純度の高い砂鉄を用いて

たたら製鉄操業が行われるのでした。
いつも応援いただきありがとうございます。
たたら製鉄の史跡の多くは山の中。近くの県道で工事をしていた皆様が「どこ行くのっ!?」な視線をくださる中で、ぎゅーんっと山道へ。ちょっとドキドキしましたが、それほど走らずに着きました。ほっ。ここで1日に2~4トンの砂鉄を産出ってすごくないですか?もう、たたら製鉄の規模にびっくりです。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

風化した軟質花崗岩などが露出する山を崩して、山土を採取。
この山土から砂鉄だけを取り出す方法が、「鉄穴(かんな)流し」
工程は、山砂鉄の「採取」と「選鉱(洗鉱)」。
山砂鉄の山土に対する含有量は、0.5~10%程度。

切り崩した山土を、水路(走りまたは井出)に流し込みます。
土砂は破砕され、土砂と砂鉄は分離され
今日は、この先の「選鉱(洗鉱)」を見学。

山の中です・・・(T_T)

比内谷鉱山から1kmほど下流の、比内谷鉱山鉄穴流し本場跡。
分離された砂鉄の純度をさらに高める鉄穴流しの最終段階である、
「選鉱(洗鉱)」を行う場所で、これを「本場」といいます。
昭和47年の廃止まで1日に2~4トンの砂鉄を産出。

川沿いです。土砂と砂鉄の分離には水が不可欠。

上から、第一出切→第二出切→大池→中池
では、上流から見学。

鉱山で採取され流されてきた土砂を一旦ここに溜めて

流します。

第一・第二出切は、水を流しつつ土砂を緩やかに滞留させ、砂鉄を沈殿させます。
砂鉄は、花崗岩に含まれるほかの鉱物より重い(比重が大きい)。
重い砂鉄が流水の中で沈み、軽い土砂は流れていく。
重さの違いを利用して鉱物を選り分けることを「比重選鉱」といいます。
☆☆☆「比重選鉱」☆☆☆
金銀の採掘場で用いられた手法。
金銀山の採掘が盛んとなる文禄、慶長年間には各地の金銀山を中心に普及。
金山ではこれを「ねこた流し」といいました。

鉄穴流しの上には別の「足水水路」
きれいな水は「足水水路」から取り入れ、土砂混じりの水を川へ流し、砂鉄と土の混じった水はさらに下流へ。

排水部分。下流域の河川が濁るわけです。

今はちょっと埋もれてるのが残念ですが。

出切に残っていた花崗岩っぽい砂。

第二出切の一番下流。
流水の中で沈殿した砂鉄のみをすくいあげ、ここから再び流します。

大池からは、樋に流します。

砂鉄をすくいあげ、次の池へ移しやすいように、木の樋です。

大池全体。

次の中池との境に、少し段差。

中池全体。

中池から乙池の境にも、少し段差。

乙池全体。ここまでくると、かなり細かい砂鉄。

終点の、樋。
この工程を経た砂鉄の純度は、80%以上。

こうして出来た純度の高い砂鉄を用いて

たたら製鉄操業が行われるのでした。
いつも応援いただきありがとうございます。
たたら製鉄の史跡の多くは山の中。近くの県道で工事をしていた皆様が「どこ行くのっ!?」な視線をくださる中で、ぎゅーんっと山道へ。ちょっとドキドキしましたが、それほど走らずに着きました。ほっ。ここで1日に2~4トンの砂鉄を産出ってすごくないですか?もう、たたら製鉄の規模にびっくりです。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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