製鉄遺跡の目印「ノロ」と菅谷たたら山内の風景

こんにちは。


今日も今日とて、たたらの話。


なんとも言えぬ魅力のあるものへ、突進。

そうよ私は、ノーバックカンガルー(大学時代の別名 by 同期)。



日本で唯一残る菅谷高殿。

この菅谷高殿の建物でたたら製鉄操業が行われたのは、
宝暦元年(1751)から大正10年(1921)。


※以下、操業の画像は新見市の中世たたら操業再現


たたら製鉄操業は、三昼夜。これを一代(ひとよ)と呼び。


その間約30分毎に砂鉄と炭を交互に投入。

村下(むらげ/たたら製鉄操業の総技術監督)の判断で頃合を計り、投入を止めて


炉を壊します。


判断の一つの基準が、炉の厚さ。

炉の壁が薄くなり(特に手前)、Vは拡がって凹形になっています。

砂鉄の還元(鉄にくっついた酸素を取る・酸化の反対)に、炭と炉の内側の土が反応を助け、不純物(ノロ)となり排出されるため、炉が食われた感じです。

欲張って砂鉄と炭を投入し続けると、炉が破れ灼熱の中身が噴出。

これは事故。

そうなる前に操業を止める判断を下すのが、村下さん。


このあっちぃちぃーの真っ赤な塊の下に丸太を入れて


ゴロゴロっと高殿から


あっちへ移動。


そのために出口付近の高殿の床は、下り坂。


鉄池にじゃぼんっと入れて、


一気に冷やしたら、


ケラ(かねへんに母)の出来上がり。

このケラは、いい玉鋼の部分と不純物が混在。

これを砕いて、品質毎に仕分けするのが


大どう(かねへんに胴)場。


大どう場裏では、二本の川が合流。


内部には大きな分銅があり、水車の力で大きな分銅を持ち上げ、


どーんっと落として、ケラを割ります。

こうして砕かれてノロや炭を除かれた後、品質、大きさなどにより数種類の等級の鋼や銑(ズク)、歩ケラ(製錬が不十分で不均質な鋼)などに鑑別されます。

日本刀の原材料となる「玉鋼」は全体の約3分の1から2分の1。

ズク(銑)、歩ケラは、大鍛冶でドンドン(加熱 & 鍛錬)して、不純物や炭を除去し、錬鉄(割鉄)あるいは包丁鉄と呼ばれ、各鉄道具の原料とされました。



ケラ(かねへんに母)でもズク(銑)でもない、ノロ。


炭、炉の土などの不純物の塊なので、ポイッと捨てられる。

てつぐそ、なんて呼ばれてしまう物ですが、反対に。


このノロが大量に出土すると、あー、「製鉄遺跡」だなーっとわかるわけです。

※画像は中国横断自動車道建設工事時に菅谷大志度付近で出土したノロ(鉄の歴史博物館蔵)



「菅谷たたら山内(さんない)」

山内(さんない)とは、たたら製鉄操業を行う建物(高殿)を中心とする関連施設と、たたら製鉄従事者が暮らす集落一帯のこと。

菅谷たたら山内は、標高約350mの谷間に形成され、高殿、元小屋、米倉、炭小屋、大どう場が配置され、25軒の民家で構成されています。

明治18年(1885)の記録によれば、山内の人口は34戸、158人。

盛行をきわめた中国山地のたたらを支えた山内の状態を知ることができる現存する好例として重要です。(和鋼博物館展示より)

昭和42年に重要有形民俗文化財指定。



高殿に近い長屋は一番、二番、三番、と格付けされた村下さんち。


働く皆さんへのお給料は、主に米。


高殿横には、製鉄を人に教えた金屋子神様を祀ります。


ここで営まれたたたら製鉄操業の火が消えたのは、大正10年(1921)


今は静かな静かな、菅谷たたら山内なのでした。


いつも応援いただきありがとうございます。
たたら製鉄に関する博物館としては、安来市の和鋼博物館、奥出雲町のたたらと刀剣館、雲南市吉田町の鉄の歴史博物館などがありますが、パネルや模型展示を見るならば、この菅谷たたら山内へ来て、実際の高殿等を見るのが一番印象的で面白く、たたらに興味津々になると思います。あー、また行きたくなってしまいます。

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No title

これはまあ、昔のやり方の儘に残っているんでしょうか。
山中の別世界のようですね。
今の時代じゃないみたい。
こんな所で見られたつねまるさん、本当に羨ましい限りですね。
≪ノロが大量に出土すると、あー、「製鉄遺跡」だなーっとわかるわけです≫
なるほどねぇ。
ノロずあっての、製鉄遺跡なんですね。
「てつぐそ」ってネーミングはは、可哀そうだけど。

むかしの製鉄法

ありがとうございました。
玉鋼の選別法などよくわかりました。
ここまで到達するのに多くの失敗や試行錯誤があっただろうと思いますが、古代からの技術者魂の積み上げでできあがった技術、頭の下がる思いです。

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

山の中の別世界、まさにその通りでした。

しーんっと静まり返った高殿は、とても神々しかったです。

けれど山内の建物や遺構には、生活のにおいがします。
ここでのたたら製鉄操業は、神事であって神事でなく、食べていくための作業だったんだなーっと実感。

ノロずが出土することで地面に掘られた穴ぼこが炉の跡だとわかったり、ノロずの量で製鉄工場の規模がわかったり、成分を調べることで原材料が何か(砂鉄か鉄鉱石か、近隣のものかそこにはあるはずのないものか)がわかるので、とてもポイントになるものなんですね。

でも、操業を行った人々にとっては、不用品。

煮ても焼いてもどうしようもないので、てつぐそ。

ノロを出さないといいケラが育たないので、人体と同じように、いらないものは外へ出しましょうね、なイメージです。

ヨリック様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

製鉄自体が5世紀ぐらいから始まっていることは、遺跡から判明していますが、炉の形や原材料の変化など、工夫しながら中世、近世のたたら製鉄操業へと昇華させたのでしょうね。

本当に、日本の技術者魂の結晶かと思います。

たたら製鉄を「日本のものづくりの原点」ととらえ、企業や刀匠等が研修や研究のために体験したり、見学されています。

私も拝見しましたが、村下さんの微妙な調整などは文書で伝えられるものとは違い、習うより慣れろといいますか、体で覚えていくものなんだなぁーっと実感致しました。
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