真田丸第47回「反撃」大坂城外堀を埋めた鉱山の職人
慶長19年(1614)大坂冬の陣。
大坂冬の陣で徳川軍は佐渡・石見・但馬・甲斐・伊豆から金堀職人を集めて天王寺口の三ヶ所から掘って城に入ろうとした。しかし土が悪くてうまくいかなかった。(『難波戦記』要旨)

銀山のような岩盤ならいざ知らず(画像/生野銀山坑道)
堀底トンネル案、失敗。
そこへ登場するのが、間宮新左衛門直元。

生野銀山は豊臣直轄でしたが、関ヶ原後の慶長5年(1600)、徳川家康が直轄地とし、「但馬金銀山奉行」を配置。
初代「但馬金銀山奉行」が、間宮新左衛門直元。
間宮一族の後裔には、樺太探検で有名な間宮林蔵、『解体新書』の杉田玄白(杉田間宮氏)等がいます。(『武家家伝/間宮氏』より)
慶長19年(1614)。
間宮は、生野銀山より町役人・下財(坑夫)100人余を引連れ大坂冬の陣に参加。

大阪城を攻めるのに「外堀の水抜き」を提案。

間宮は、生野銀山に加え多田銀山や近くの鉱山から集めた坑夫達によって大阪城の堀の水を抜き、川を堰き止め、塹壕を堀り。
が、12月15日。
間宮新左衛門直元、大阪冬の陣で、没。享年39。

間宮の推挙で家老の山川庄兵衛が二代奉行に就任。
12月18日。徳川の阿茶局&豊臣の常高院、和睦交渉。
19日講和条件合意、20日誓書が交換され和平が成立。
大蔵のおばはん(大蔵卿局)がやらかした「埋めてしまいましょー」「埋めてしまいましょー」。

真田丸も外堀も、埋めまーす。
普請奉行:松平忠明、本多忠政、本多康紀
家康の名代である本多正純、成瀬正成、安藤直次の下、攻囲軍や地元の住民を動員して突貫工事で外堀を全て埋めた後、1月より二の丸も埋め立て。

冬の陣後の「外堀埋めちゃえ作戦」に貢献したのは、
初代「但馬金銀山奉行」間宮新左衛門直元率いる生野銀山の面々や、石見銀山等の職人達。

埋める時に立ちはだかる堀の水。
まずは、これを抜かねば。
生野銀山の面々は、大阪城の堀の水を抜き、川を堰き止め。

生野銀山では、手作りポンプで排水。

地下を掘れば湧水は常につきもの。

大がかりな排水も行っていますので、得意分野(画像/石見銀山)

かくして、大坂城ははだかんぼー。
この水抜きには、
石見銀山からも、竹村丹後守(竹村九郎右衛門嘉理(嘉政)/石見銀山の奉行)が堀子達3百人を連れて出陣し、外堀の水抜き作戦の功で感状を与えられています。(『島根県歴史人物事典』)
生野銀山では?

そう、かぶをもらいま
・・・「加奉」です。
大阪城の外堀の水抜き工事は、落城に大きく貢献。
生野の坑夫の親方(地親)達(特に奥地域)は馬に乗り、奉行に従い、時には奉行の代わりに指揮をとりました。
地親は元々、奉行の下で町方支配や銀掘りの指図をしていましたが、
この大阪城での功により彼等を「奉行に加わる」を意味する「加奉行(かぶぎょう)」と呼ぶようにと沙汰が下ります。
ご本人達は、加奉行とは畏れ多いと謙遜し、「加奉」と唱えるように。(『銀山旧記』)
以降、生野銀山での地役人は独自の役職名として庄屋・名主ではなく、年寄、加奉、年行事等と称し、殆どが世襲。
これは明治維新まで継続します。
※間宮は生野だけでなく統治範囲の他の但馬の鉱山からも集めており、地親から「加奉」となった記録は中瀬(養父市関宮町)、明延(養父市大屋町)にもあります。

また、翌年5月の大阪城落城後。
生野の「加奉」達は戦場での働きを賞され、次の事を許されます。(『難波戦記』『藤垣家文書』)
①孫の代まで名字帯刀
②各自・先祖の名を町名として付ける事
特に、大坂城の外堀の「西横堀」「道頓堀」「長堀」の三か所の町名に水抜き御用に手柄のあった奥地区代表の名前を付けることを許されます。
大坂の町名に残った奥地区代表の名
小 野 藤右衛門、平右衛門、権右衛門、助右衛門
新 町 次(治)郎兵衛、九郎右衛門、久左衛門、茂左衛門
奥銀屋 吉左衛門、七郎右衛門、宗右衛門
相 沢 孫左衛門
(「生野史談会・一里塚12号『大阪のど真中に町名を残した銀山の加奉たち』」/ 佐藤文夫著/平成19年)
「長堀次郎兵衛町」「長堀平右衛門町」は長堀川界隈に明治5年まで存在。
「助右衛門」は西横堀川にかつて助右衛門橋が架かっていた。
「宗右衛門町」「久左衛門町」「吉左衛門町」「久郎右衛門町」は道頓堀に。

知らなかったねぇ。
※宗右衛門町の由来は17世紀中頃に「町年寄」を務めた“山ノ口屋宗右衛門”の名に因んだものとの説もあるなど諸説あります。
☆☆☆本日の団右衛門☆☆☆

名刺整理中。
このあと、
「うるちゃーーーいっ」 by 毛利勝永(岡本健一@男闘呼組)
・・・ぷ。
いつも応援いただきありがとうございます。
兄上のお気の毒な膝枕の話、面白かったですねー♪今回の大河、大坂の陣の結末を知っていても、何とかあれこれひっくり返して幸村(信繁)に勝たせたくなります。あ、大坂城の画像は無論現在のもの。つまり、大坂の陣で埋めて壊れた後に徳川が威信を示すために再築した姿です。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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