菅谷高殿を構える前のたたらの形。古代たたら製鉄操業再元より

こんにちは。


菅谷たたら山内の高殿。

ごめんください。


村下(むらげ/たたら製鉄操業の技術総監督)さん。


近代角炉操業でも、村下装束。

熱い熱い炎と対峙するので、鼻と口を覆います。



たたら製鉄操業の際の、炉の粘土の採取場所、炭と砂鉄の投入のタイミング、砂鉄の配合等は全て門外不出&一子相伝。

今は日本でただ一人。

優しいけれど厳しいお目目で指導されてます。


中心部にある四角い炉は、操業の度に壊します。

この菅谷高殿のたたら製鉄操業は「ケラ押し法」。

この地下に、水蒸気爆発を防ぐために炭や石を敷き詰めた排水施設があり、これはずーっと使用できます。

よってこの形を「永代たたら」と称します。

では、この高殿の中で行う「永代たたら」以前はどんな形かというと


古代たたらの復元の、炉の形。


菅谷高殿のある吉田村でたたら製鉄が始まったのは鎌倉時代であるといわれています。

この時代から中世までは、移動しながらたたら製鉄を行う「野だたら」でした。


日本で唯一残る菅谷高殿。

この菅谷高殿の建物でたたら製鉄操業が行われたのは、
宝暦元年(1751)から大正10年(1921)。

さて、野だたらのイメージです。


小型で縦長です。


炭と砂鉄を交互に投入する作業を繰り返し


砂鉄に混ざる不純物「のろ」を下から出しつつ、ケラを育てます。


空気穴からのぞいて、砂鉄と木炭との反応具合を確かめる村下さん。


最後は、炉を壊し


砂鉄と木炭と炉の土が反応して出来た鉄のかたまり。


これを水に入れて冷やして


ケラ(かねへんに母)の出来上がり。

これを部位ごとに割って、出荷。

一番上等な「玉鋼」の部分は、刀剣の原材料として高値で取引されました。


いつも応援いただきありがとうございます。
同じような画像ばかりで申し訳ないですが、たたら操業の変遷が少しずつ伝わればいいなーっと。移動しながら操業を行うということは、毎回、必要な設備の設置が必要。それが高殿を構えて炉回り以外の設備を使い回すことが出来るようになった事は、操業従事者達が定住し、安定した操業が可能となり、つまり安定した収入を得ることに繋がります。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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No title

こんばんは~

そうか。それまでは定住してなかったんですね。
たたらの伝承が各地に残ってるのかな^^
大変な苦労も後世からみると壮大なドラマですね

ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

炭の材料の木材を求めた移動、山砂鉄を掘るための移動、様々な要因はあります。
移動といっても、今日は東へ明日は西へ、ほどではないですが、大変ですよね。

大型の炉での操業ではなく、輸送路の確保もありますから、非効率でもありました。

前記事になりますが、櫻井家のたたらと搬出港は、雲南市から出雲大社鎮座地付近に分布しています。
各地に遺構があり、炉の地下構造を見ることができる場所も残っています。

記事にしているたたら製鉄操業の形は、江戸時代から大正なので、わりと最近のものなんですよねぇ。
でも、遠い昔のもののような響きがあります。
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