菅谷たたら山内。たたら製鉄集団の暮らす風景と菅谷高殿

こんにちは。

享保11年(1726)松江藩は、領内の鉄師9人、たたら10カ所、大鍛冶場3軒半に限定して独占的な経営を保証「出雲鉄方法式(てつかたほうしき)」)。

合わせて鉄師が持つ山に加え他人の山や、村人達が所有する山で焼かれる炭を買う特権も付与。

場所と範囲を細かく取り決め、大量の炭を必要とするたたら製鉄操業による森林破壊を防ぎます。


この時定めた鉄師9人は、炭焼きのための広大な森林を所有する大地主でもあり、面々は

櫻井家(奥出雲)、田部家(雲南市吉田町)、絲原(いとはら)家(奥出雲)、卜蔵(ぼくら)家(奥出雲)、杠(ゆずりは)家(奥出雲)等

このうち、櫻井・卜蔵・田部・絲原は「4鉄師」として維新後も残り、大正の「一斉廃業」まで続きます。


【鉄師・田部家】


田部家の土蔵群。

この田部家のたたらを訪れます。


・・・(T▽T)


「菅谷たたら山内(さんない)」です。

山内(さんない)とは、たたら製鉄操業を行う建物(高殿)を中心とする関連施設と、たたら製鉄従事者が暮らす集落一帯のこと。


手前から、田んぼ、川、高殿。


ハデ干し、というそうな。

ここは菅谷高殿の村下(むらげ・たたら製鉄操業の技術総監督)さんのおうちの、田んぼ。

ここで収穫された酒米は、雲南市内の酒蔵で仕込まれて
菅谷高殿最後の村下の名前を冠した「要四郎」という銘柄で販売。



高殿の横に、桂の巨木。樹齢200年。

たたらを人に教えた「金屋子神」は、白鷺に乗って桂の木に降りたと伝わります。

そのため、各たたらのそばにはご神木として桂の木があるそうです。


アヒルちゃんに見えるのは気のせい。


小川の川底が鉄色です。

さて、いよいよ。


日本で唯一残る高殿。

この菅谷高殿の建物でたたら製鉄操業が行われたのは、
宝暦元年(1751)から大正10年(1921)。

※この地域で製鉄が始まったのは鎌倉時代


高殿内部。

この中央にある炉の中で、たたらの炎が燃えていたのねっ♪


さぞかし神秘的だったことでしょう。


炉から立ち上がる炎に加え、毎回壊す炉の熱気のため


内部は吹き抜け、天井は高く。


ぞわぞわする空気です。


いつも応援いただきありがとうございます。
菅谷たたら山内は、高殿を中心としたたたら製鉄集団の建物がそのまま残り、とても貴重です。しかし、現在もここで生活されている方々がおいでなので、撮影や散策には気配りが必要。この菅谷高殿。一歩足を踏み入れた瞬間に、神社へ来たような感じがしました。ここは作業場だけど工場ではなく、金屋子神が伝えた製鉄を行う大切な場所なんだなーっと思いました。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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No title

こんばんは~

大地主と聞いて俗念が沸きました。(恥っ

神聖が場所なんですね。
神域みたいな感じ^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そー、大地主でもこの場合は森林所有なので、黄金色のお菓子は出てこないです。

金屋子神様が人に製鉄を教え、後々にそれを行うことが許された人が、村下さん、ととらえる事ができます。

たたら製鉄操業の前には必ず神事を行い、操業の安全と豊かなケラが出来るように神様にお祈りします。

操業の場所には必ず金屋子神様が祀られ、操業の場所を注連縄で囲います。

たたら製鉄は、生業であり、神事でもあるように感じますね。
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