松江藩のたたら製鉄と鉄師。不昧公本陣・櫻井家住宅
こんにちは。

塙団右衛門、参上。
大河「真田丸」記事はこちら⇒⇒⇒真田丸第46話「砲弾」塙団右衛門参上!
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-1107.html
大坂の陣で討死した塙団右衛門を祖とする松江藩の鉄師・櫻井家のお話。
【松江藩とたたら】

たたら製鉄を行うには、大量の炭を砂鉄と共に投入。
大量の炭、つまり、広大な森林が必要。
たたら1カ所、大鍛冶場2軒で年間130町歩(約1.28平方km)、30年伐期で3900町歩(約38.67平方km)の森林が必要。(明治期の絲原家の見積による)
一発屋ならば伐採しまくって山をおはげちゃんにしてしまいますが、産業として持続するには、森林資源の永続的な確保が必須。
そこで松江藩がとった政策が「出雲鉄方法式(てつかたほうしき)」。
享保11年(1726)松江藩は、領内の鉄師9人、たたら10カ所、大鍛冶場3軒半に限定して独占的な経営を保証。
合わせて鉄師が持つ山に加え他人の山や、村人達が所有する山で焼かれる炭を買う特権も付与。場所と範囲を細かく取り決めます。
この時定めた鉄師9人は、炭焼きのための広大な森林を所有する大地主でもあり、面々は
櫻井家(奥出雲)、田部家(雲南市吉田町)、絲原(いとはら)家(奥出雲)、卜蔵(ぼくら)家(奥出雲)、杠(ゆずりは)家(奥出雲)等。
このうち、櫻井・卜蔵・田部・絲原は「4鉄師」として維新後も残り、大正の「一斉廃業」まで続きます。
《鉄師・田部家》

永代たたら製鉄操業を行う高殿。高殿として現存唯一の建物。

炉は操業の都度壊しますが、地下構造は永続して使用可能なので「永代」たたら。

何度もこうして操業されたのでしょうね。(新見市中世たたら再現)

菅谷の高殿を中心とする吉田地区は、田部家のたたら。
《鉄師・櫻井家》

櫻井家といえば、ダンえもん。
わたくし、かなりお気に入り♪
《団右衛門長男、第2代直胤(なおたね)(1592-1652)》
父・団右衛門が大坂の陣で討死後、母方の旧姓「櫻井」を名乗り、可部郷(現・広島市可部付近)、高野(現・広島県庄原市/たたら製鉄の地)で製鉄業を開始。
《第3代櫻井三郎左衛門直重(1619-1679)》
正保元年(1644)島根県奥出雲町上阿井呑谷へ。
屋号を「可部屋」(第2代直胤が移り住んだ「可部郷」より命名)とし、
「菊一印」の銘鉄を生み出します。
この「菊一」。
琵琶湖東側、長浜在住の鉄砲鍛冶集団である「国友」。
幕末まで製作されたいわゆる「国友鉄砲」の、特にネジの部分に用いられたのが櫻井家で鍛えた「菊一」。
「国友」の年寄脇国友一貫斎藤兵衛より「最も良い鉄砲地鉄」として認められ、櫻井家は松江藩から「御鉄砲地鉄鍛方」も命ぜられます。
《第5代櫻井源兵衛利吉(1699-1773)》
1726年、松江藩「出雲鉄方法式」制定。
たたら製鉄操業は9人の鉄師に限定。
利吉は、「鉄師頭取役」に。
また、現在の櫻井家所在地(奥出雲町上阿井内谷)に居を構え。

山奥ですけど・・・(T▽T)

元文3年(1738)築の母屋は、第5代利吉当時のものが現存。

太線が重文。

櫻井家住宅前には、川。
斐伊川は、上流で山砂鉄を採取したことにより下流に砂鉄が堆積。
《第6代櫻井勘左衛門苗清(1749-1819)》
藩主は、松平治郷(不昧公)。お菓子 お茶好きな藩主。

塙団右衛門の四女は、伊達政宗の側室。
不昧公の正室は伊達宗村の娘。何となく親近感。

櫻井家を本陣宿とし、以降藩主が訪れること6度。
住宅内部は、廊下が殿様用と家臣用に段差がつけられ、殿様部屋は高くなるなど、お迎えする櫻井家はとても気配り。
さらに。

享保3年(1803)不昧公の初訪問に際し作られた庭園。
ご機嫌な不昧公、庭園内の滝を「岩浪の滝」と命名。

江戸時代後期の南画家・田能村直入が逗留した掬掃亭(きくそうてい)

・・・謎である。

池の水は下の川へ放流。途中に水車。

後に賓客用に作られた新座敷。

さすが鉄師の家。

一番高い所に金屋子神をお祀りしています。
櫻井家住宅・可部屋集成館
島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655
参考文献
可部屋集成館展示資料
可部屋集成館図録
いつも応援いただきありがとうございます。
大河「真田丸」で塙団右衛門が登場しなかったら悲しいなーと思っていたので、しっかり名札を配り夜襲もかけていたのでとても嬉しかったです。櫻井家住宅には資料館が併設され、代々の当主が集めた美術工芸品や、たたら製鉄の道具類や歴史の展示が充実しており、とても見ごたえがありました。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。

塙団右衛門、参上。
大河「真田丸」記事はこちら⇒⇒⇒真田丸第46話「砲弾」塙団右衛門参上!
http://rekitabi4.blog.fc2.com/blog-entry-1107.html
大坂の陣で討死した塙団右衛門を祖とする松江藩の鉄師・櫻井家のお話。
【松江藩とたたら】

たたら製鉄を行うには、大量の炭を砂鉄と共に投入。
大量の炭、つまり、広大な森林が必要。
たたら1カ所、大鍛冶場2軒で年間130町歩(約1.28平方km)、30年伐期で3900町歩(約38.67平方km)の森林が必要。(明治期の絲原家の見積による)
一発屋ならば伐採しまくって山をおはげちゃんにしてしまいますが、産業として持続するには、森林資源の永続的な確保が必須。
そこで松江藩がとった政策が「出雲鉄方法式(てつかたほうしき)」。
享保11年(1726)松江藩は、領内の鉄師9人、たたら10カ所、大鍛冶場3軒半に限定して独占的な経営を保証。
合わせて鉄師が持つ山に加え他人の山や、村人達が所有する山で焼かれる炭を買う特権も付与。場所と範囲を細かく取り決めます。
この時定めた鉄師9人は、炭焼きのための広大な森林を所有する大地主でもあり、面々は
櫻井家(奥出雲)、田部家(雲南市吉田町)、絲原(いとはら)家(奥出雲)、卜蔵(ぼくら)家(奥出雲)、杠(ゆずりは)家(奥出雲)等。
このうち、櫻井・卜蔵・田部・絲原は「4鉄師」として維新後も残り、大正の「一斉廃業」まで続きます。
《鉄師・田部家》

永代たたら製鉄操業を行う高殿。高殿として現存唯一の建物。

炉は操業の都度壊しますが、地下構造は永続して使用可能なので「永代」たたら。

何度もこうして操業されたのでしょうね。(新見市中世たたら再現)

菅谷の高殿を中心とする吉田地区は、田部家のたたら。
《鉄師・櫻井家》

櫻井家といえば、ダンえもん。
わたくし、かなりお気に入り♪
《団右衛門長男、第2代直胤(なおたね)(1592-1652)》
父・団右衛門が大坂の陣で討死後、母方の旧姓「櫻井」を名乗り、可部郷(現・広島市可部付近)、高野(現・広島県庄原市/たたら製鉄の地)で製鉄業を開始。
《第3代櫻井三郎左衛門直重(1619-1679)》
正保元年(1644)島根県奥出雲町上阿井呑谷へ。
屋号を「可部屋」(第2代直胤が移り住んだ「可部郷」より命名)とし、
「菊一印」の銘鉄を生み出します。
この「菊一」。
琵琶湖東側、長浜在住の鉄砲鍛冶集団である「国友」。
幕末まで製作されたいわゆる「国友鉄砲」の、特にネジの部分に用いられたのが櫻井家で鍛えた「菊一」。
「国友」の年寄脇国友一貫斎藤兵衛より「最も良い鉄砲地鉄」として認められ、櫻井家は松江藩から「御鉄砲地鉄鍛方」も命ぜられます。
《第5代櫻井源兵衛利吉(1699-1773)》
1726年、松江藩「出雲鉄方法式」制定。
たたら製鉄操業は9人の鉄師に限定。
利吉は、「鉄師頭取役」に。
また、現在の櫻井家所在地(奥出雲町上阿井内谷)に居を構え。

山奥ですけど・・・(T▽T)

元文3年(1738)築の母屋は、第5代利吉当時のものが現存。

太線が重文。

櫻井家住宅前には、川。
斐伊川は、上流で山砂鉄を採取したことにより下流に砂鉄が堆積。
《第6代櫻井勘左衛門苗清(1749-1819)》
藩主は、松平治郷(不昧公)。

塙団右衛門の四女は、伊達政宗の側室。
不昧公の正室は伊達宗村の娘。何となく親近感。

櫻井家を本陣宿とし、以降藩主が訪れること6度。
住宅内部は、廊下が殿様用と家臣用に段差がつけられ、殿様部屋は高くなるなど、お迎えする櫻井家はとても気配り。
さらに。

享保3年(1803)不昧公の初訪問に際し作られた庭園。
ご機嫌な不昧公、庭園内の滝を「岩浪の滝」と命名。

江戸時代後期の南画家・田能村直入が逗留した掬掃亭(きくそうてい)

・・・謎である。

池の水は下の川へ放流。途中に水車。

後に賓客用に作られた新座敷。

さすが鉄師の家。

一番高い所に金屋子神をお祀りしています。
櫻井家住宅・可部屋集成館
島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655
参考文献
可部屋集成館展示資料
可部屋集成館図録
いつも応援いただきありがとうございます。
大河「真田丸」で塙団右衛門が登場しなかったら悲しいなーと思っていたので、しっかり名札を配り夜襲もかけていたのでとても嬉しかったです。櫻井家住宅には資料館が併設され、代々の当主が集めた美術工芸品や、たたら製鉄の道具類や歴史の展示が充実しており、とても見ごたえがありました。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
- 関連記事
-
-
稲田神社。クシナダヒメを祀るお社と姫のそば
-
原たたら跡。松江藩鉄師卜蔵家の主力炉から叢雲たたらへ
-
卜蔵家庭園。後醍醐天皇を助けた名和長年と楠正成と卜蔵さんち
-
山ノ神神社。鉄穴流し本場と砂鉄採掘場に鎮座する小さなお社
-
比内谷鉱山鉄穴流し本場跡。純度80パーセントの砂鉄作り
-
「鉄穴流し」と棚田の風景。たたら製鉄が生み出す景観
-
島根県雲南市出雲湯村温泉で、やどめし
-
製鉄遺跡の目印「ノロ」と菅谷たたら山内の風景
-
菅谷たたら山内。たたら製鉄と村下(むらげ)さん
-
菅谷高殿を構える前のたたらの形。古代たたら製鉄操業再元より
-
菅谷たたら山内。たたら製鉄集団の暮らす風景と菅谷高殿
-
たたら角炉伝承館。たたらの炎、消える
-
塙団右衛門末裔・松江藩鉄師頭取役櫻井家の金屋子神社と鎮守神社
-
松江藩のたたら製鉄と鉄師。不昧公本陣・櫻井家住宅
-
たたらの風景、棚田。砂鉄の鉄穴流しと刀鍛冶とんとん
-