硫黄山(2)釧路の網元佐野孫右衛門、硫黄を掘って運ぶ

こんにちは。



今でこそ屈斜路湖、摩周湖、川湯温泉、そして広大な農地があり、北海道の醍醐味を思う存分味わうことができる素晴らしい観光地ですが、古くは本州から見ると最果ての地。それでも

屈斜路湖湖畔には、アイヌの集落・アイヌコタンがあり。


祭祀を行うヌササン。立つのは、イナウ(幣)。

安政5年(幕末)当時、8戸のアイヌコタンが点在(『久摺日誌』)


子熊を育てるエペレセッ。熊はカムイ(神様)。



毛皮を求める商人や鉱山師(やまし)の往来はあるものの、硫黄山(アトサヌプリ)周辺は、その成分のために草木は生えず、荒涼。

にわかに活気づくのは、明治。

キーワードは、安田善次郎。

安田財閥の創始者です。


【背景・硫黄って何だー?】

マッチや染料、花火、殺虫剤、さらに火薬の原料として需要あり。


(東もこと乳酪館のもーもー親子)

特に、明治政府の外貨獲得のために各地で採掘。


【鉱山のはじまり】

明治5年(1872)釧路の漁場持(網元)・佐野孫右衛門。

硫黄山(アトサヌプリ)の硫黄の質の良さと含有量の多さに着目。


明治9年、試掘を出願。
翌年より5万坪の借区の認可を受け、採掘開始。

ここでネックになるのが、輸送路。

目的地は、各地へ船で輸送するために釧路港ですが、

「孫右衛門発見ノ時『アトサノホリ』近傍ノ道ハ『テシカガ』(※アイヌ集落)ヨリ『クッチャロ』(同)二通ズル一線ノ外ハ絶エテ是ナク(略)」(『北海道鉱山略記』)な状況。


《孫右衛門の功績。道を拓く》

ポイントは、屈斜路湖から釧路まで続く釧路川。
釧路湿原を貫通する川です。



釧路から弟子屈まで釧路川右岸沿いに曳き船を引く人道を開削。
距離23里(1里=3.9km。89.7km)。

船は自力で川を遡ることが出来ないので、人が引っ張らないといけません。よって、川沿いに人道が必要。


遠いぞー。

弟子屈から跡佐登(硫黄山周辺地名)までは、陸路。


山林原野に輸送の馬が通る道を開削。


跡佐登(硫黄山周辺地名)⇔弟子屈は、馬。弟子屈⇔釧路は、釧路川でお船。

鬱蒼とした山林原野と、89.7kmもの長い長い距離に人道を開削。

はじめに着手した孫右衛門達の苦労は、お金のためとはいえ、並大抵のものではなかったろうと思います。


ねー、すごいよねー。


《操業》

硫黄の製錬法は、

鋳鉄製の「ズク竃」に採掘した硫黄混じりの石を入れて溶かす

鋳物の「冷やし竃」に流し込み少し冷やす

柄杓で桶に汲み入れて、土砂等と硫黄を沈殿分離

ちょー原始的。

しかし、硫黄山の硫黄含有量は非常に優秀。



明治16年には、硫黄採掘高は9万2千石。北海道第1位に。


【金がない】

採掘量が優秀でも、やはりネックは輸送路。経営を圧迫。

明治18年。函館の銀行家・山田慎が買収。


【銀行家の登場】

山田慎。函館銀行の経営にあたると同時に、第四十四国立銀行支配人。

当時北海道で手広く展開していた第四十四国立銀行。
しかし、多額の資産を持ちながらも破綻寸前に。

山田慎は、私財である硫黄山を担保に、安田善次郎へ整理を依頼。
安田善次郎との共同経営を行うも、
さらに、銀行の債権回収が行き詰まり、最終的には。


(東もこと乳酪館の子)

明治20年2月末、安田と硫黄山採掘権を十ヶ年の借鉱契約で契約。
硫黄山の鉱山経営が、安田善次郎へ移ります。


うーむ。ほんとだねぇ。


で、安田善次郎って何する人。

つづく。


☆☆☆本日の狛ちゃん☆☆☆

北海道斜里郡清里町の清里神社

⇒⇒⇒清里神社でエゾリーに会う

⇒⇒⇒清里神社。巻き毛がお菓子な狛犬さん


※参考文献はシリーズ最後にまとめて記載


いつも応援いただきありがとうございます。
時は明治ですから、生野銀山ではトロッコ等が登場する時代です。しかし、硫黄山ではまず原野に道を作り、輸送路を確保するところから始まりました。銀山家とか財閥とか、いかにも「明治」な人が出揃ったところで次回ですが、北海道の辛い面が中心になります。調べていても悲しいです。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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No title

こんにちは、kotodayoriです。

私も2009年に摩周湖、硫黄山、屈斜路湖あたりを巡りましたので、懐かしく拝見しています。

今なら車で釧路まで出ることができますが、輸送路から作らなければならなかった明治初期のころの北海道開拓の厳しさは、網走の刑務所博物館の展示で知って、驚いたことも思い出しています。

硫黄山の鉱山経営の歴史を、ゆっくり拝見させていただきます。

また、よろしくお願いいたします。

kotodayori様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

kotodayori様も摩周湖周辺を旅されたのですね。
いいですよねぇ。すべてが大きくて、心が洗われるところです。

標茶は集治監による開拓をはじまりとしており、言葉を選んで町史を述べておいでなのですが、網走の行刑資料館ではしっかりと伝えていますね。

昨年はヒグマがたくさんお散歩していたので、硫黄山周辺は立ち入り禁止区画が多く、びくびくしてました。

立ち止まると熊鈴が鳴らないので、ぴょんぴょん飛んで。
おほほ。

硫黄山では、明治らしいお話になりそうです。

テレビで京都の紅葉を見ていたら、何でも今年は当たり年だとか。
夏の酷暑、台風到来がなく落葉が少ないこと、先月急に冷え込んだことなどが重なったそうです。

ちょっと始発で見に行ってきますね。
こんなときは、目で楽しみたいのでカメラは置いていきます。えへへ。

こちらこそ、またよろしくお願い申し上げます。

No title

こんにちは~

需要はあるのに輸送方法で躓くとは、いかにも北海道です。
波瀾万丈になりそうな予感^^

狛ちゃん可愛いです~~
ぽちぽちぽちーーー☆彡

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

硫黄山から釧路は、なかなか遠いですねぇ。軽く100km。
道中はいかにも北海道らしい景色が広がりますが、ででーんっと座った釧路湿原はほんとに邪魔だったことでしょう。

釧路湿原は全く手付かずの自然が残るのではなく、硫黄採掘の運搬路として栄え、人の手が大部分に入っていることは留意すべきかなと思います。

生野銀山、石見銀山と異なるお話になり、ちょっと気が重いですが、まぁ、ぼちぼちと読んでやってくださいまし。
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