石工・川六の狛犬(5)鳥取藩神社事情と姫路神社由緒
鳥取藩といえば、藩主は池田氏。

池田氏墓所の石灯籠群。

亀趺(きふ)と呼ばれる亀の形の台座は、

墓所のゆるキャラ「きっふん」として奮闘中。
《鳥取藩》
鳥取藩は、因幡国・伯耆国(現在の鳥取県)の2国を領有した大藩。
石高は32万5千石。藩庁は因幡の鳥取城(鳥取市東町)
関ヶ原の戦い後、池田恒興の三男長吉が6万石で入封。鳥取藩立藩。
池田恒興の男子は、①元助、②輝政、③長吉、④長政
①元助 小牧・長久手の戦いで戦死
②輝政 播磨姫路藩、52万石。継室は家康次女の督姫。子に忠雄、孫に光政。
③長吉 因幡鳥取藩、6万石。後に岡山藩藩主。
④長政 備前国下津井、3万2000石。後に岡山藩家老家。
紆余曲折を経て、「②輝政」と家康次女の督姫の孫、光政が鳥取藩主。

以降、池田氏が長く藩主をつとめ、明治を迎えるかというと。
最後の最後に、あちょーっな事が。
《明治の鳥取》
嘉永3年(1850)年10月29日、鳥取藩主池田慶栄、嗣子なく急死。
幕命により、第12代藩主として慶徳(よしのり)が入ります。

慶徳(よしのり)は、常陸水戸藩主・徳川斉昭の五男、つまり第15代将軍・徳川慶喜の兄。
水戸藩藩主の五男ですから、頭の中は水戸思想。
幕末尊皇攘夷を主張。
徳川将軍家と近しい藩主家池田氏、対して新藩主慶徳(よしのり)の思想。
親幕府派と尊皇派が藩内で激しく対立したことは想像にかたくなく、鳥取藩は敬幕・尊王という微妙な立場。

しかし結局は、明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争では官軍方、志願農兵隊山国隊などを率いて転戦。
明治2年6月19日、慶徳は版籍奉還により鳥取藩知事に就任。(後に廃藩置県により免職)
《明治と神社》
慶応3年(1867)年10月。徳川慶喜、大政奉還。
「王政復古の太政官布告」
【太政官布告】慶応四年三月十三日
「此度 王政復古神武創業ノ始ニ被為基、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御回復被遊候ニ付テ、先ハ第一、神祇官御再興御造立ノ上、追追諸祭奠モ可被為興儀、被仰出候 、依テ此旨 五畿七道諸国ニ布告シ、往古ニ立帰リ、諸家執奏配下之儀ハ被止、普ク天下之諸神社、神主、禰宜、祝、神部ニ至迄、向後右神祇官附属ニ被仰渡間 、官位ヲ初、諸事万端、同官ヘ願立候様可相心得候事
但尚追追諸社御取調、并諸祭奠ノ儀モ可被仰出候得共、差向急務ノ儀有之候者ハ、可訴出候事」
まず、「王政復古・祭政一致」を宣言し、「神祇官」の再興が「太政官布告」の形で示されます。

神道国教化の下準備として、明治政府が行ったのが「神仏分離」。
《神仏分離の流れ》
政治背景として、幕末より「神社の復興・廃仏」を唱えた後期国学者や復古神道家の台頭があり、彼等は性急に諸法令を布告させ、実行に移します。
神仏習合の廃止、仏像の神体としての使用禁止、神社から仏教的要素の払拭などが行われます。
祭神の決定、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止などを急激に実施したために大混乱。
当初は「神道と仏教の分離」が目的で、仏教排斥を意図したものではなかったものの、結果的に廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまいます。
明治4年(1871)ごろ終熄したものの、あまりにも影響は大き過ぎたのです。
さて、そこで鳥取藩です。
ごりごりの水戸思想である慶徳(よしのり)が、藩主となり、藩知事となった鳥取藩。

夏泊神社は、明治元年に恵比須社より改称。
その他多数の神社が、明治元年に社名を改めています。
《私見/まだ調べてるとこなので》
鳥取県内では大半が改称&神宮寺引越あるいは撤去、神社合祀。
幕末明治の鳥取藩の状況を考えれば、上からの神社政策が早く行われたといえるのではないでしょうか。
【姫路神社・由緒】

社殿拝見でぇす。

【祭神】素盞雄尊、大日霎尊(天照大神)、稲田姫尊、事代主尊、保食神
【由緒】
神社明細帳に「勧請年月詳かならずと言えども宝亀2年(771 奈良時代)と古書に記載あり」と記せり、往古より姫路、船磯の氏神にして三所牛頭天王と称した。
寛永10年(1633 江戸時代)旧藩主(池田氏)より信仰暑く社領外高一石八升寄進せらる。
明治元年境内に御鎮座の稲生大明神(保食神)を合祀し、姫路神社と改称。
同5年村社に列格、翌6年7月本殿を再建。大正9年7月神饌幣帛料供進神社に列せられる。昭和32年12月、百手神事が県無形民族文化財に指定。昭和61年4月弊殿並び拝殿全面改築。
狛犬の一対は江戸時代末期に気多郡(気高郡)や高草郡(鳥取市西部)地方で著名な気高郡青谷町気多河原の名石工「川六」の作である。殊に子持の狛犬は類がない。
(以上境内説明書より引用)
「牛頭天王」「姫路」といえば、

姫路の廣峯神社を思い出します。
京都の八坂神社と「牛頭天王」総本宮はうちだと競うほどの古社。
廣峯神社と何か関わりがあるのかな?と思い、神社や役場などにお尋ねしましたが、

確固たる文献資料が不明で、関係ないようだとのこと。
えー。
由緒書に「往古より姫路、船磯の氏神」とあるように、地名としての「姫路」(現在も山合にあり)から社名とした方に納まるようです。
平家の落人伝説が残る姫路の土地、ちょっと気になります。

小さくて見えにくいですが、鳥の頭がありました。

文化年間の銘の残る手水鉢が残り

境内社も大切にお祀りされています。

ちび狛ちゃんはお留守でしたが、

子狛ちゃん付きの川六狛犬さん。
神社の由緒には「殊に子持の狛犬は類がない」とありますが、これは鳥取県内全ての神社ではなく、「川六の」子持の狛犬は類がない、と言いたいのだと思います。

賑やかで素敵な姫路神社です。

名残惜しいなぁ。

ぎんなんが強烈ですが、帰りもここを通らねばならず。うぷー。
いつも応援いただきありがとうございます。
鳥取で神社巡りを開始してすぐに、あれ?と感じる違和感。ここもあれかよぉ~っと、トホホ(昭和レトロ?)な気分。鳥取藩といえば「鍵屋の辻」のお話程度しか存じませんでしたが、面白い歴史があるようです。で、姫路神社。仏教色の強い牛頭天王から素盞雄尊へ祭神が変身するのも、八坂神社や廣峯神社と同じです。まぁ、経緯はどうあれ、川六の狛犬さんがかわいいから、いいや。今回は川六巡りに来たんですもの。おほほ。



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