美保神社(2)代わる祭神と国譲り。出雲国風土記など

こんにちは。


美保神社。

・・・間違えました。


美保神社。昭和3年再建の拝殿。


でっかい。


私の目線は狛犬中心。んふ。


『出雲国風土記』(天平5年(733))在神祇官社14所のひとつに「美保社」の記載。

『延喜式』(延長5年(927))記載の式内社。



本殿。文化10年(1813)再建。

大社造の二殿連棟の特殊な形式で、「美保造又は比翼大社造」(重文)


【祭神】

三穂津姫命(みほつひめのみこと)/左殿・大御前(向かって右)
事代主神(ことしろぬしのかみ)/右殿・二ノ御前(向かって左)


《事代主神(ことしろぬしのかみ)》

出雲大社の大国主神の第一子。

母は神屋楯比売命(『古事記』)。

天孫降臨前に「この国を天つ神に献れ」と言われた大国主神とーちゃんは、美保碕で釣魚をしていた事代主神に相談。

返答は


かくして、大国主神は国土を奉献(国譲り)しましたとさ。


《三穂津姫命(みほつひめのみこと)》

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の姫神(『日本書紀』)。

高天原の斎庭の稲穂を持ってきて皆に配り、農耕を進めた神。


おにぎりじゃなくて、稲穂。種をまかなくちゃ広がらないでしょ。

大国主神の后神(『日本書紀』)ですが、事代主命の母神ではなく。

この神様が「美保」の地名の由来?


結論は、NOです。


【かわる祭神】


「所造天下大神命、娶高志国坐神意支都久辰爲命子俾都久辰爲命子奴奈宜波比売命而令産神御穂須須美命、是神坐矣。故云美保」(『出雲国風土記』「美保郷の條」)

「天の下造らしし大神の命、高志の国に坐す神、意支都久辰爲命のみ子、俾都久辰爲命のみ子、奴奈宜比賣命にみ娶ひまして、産みましし神、御穂須須美命、是の神坐す。故に、美保といふ。」


ここは大穴持命(大国主神)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命)との間に生まれた「御穂須須美命」が鎮座するところである、よって「美保」という、の主旨。

『出雲国風土記』では、「美保社」と記され、地名「みほ」を冠する御穂須須美命が主祭神。

三穂津姫(三保津姫)の父神は高皇産霊神(たかみむすびのかみ)ですから、御穂須須美命とは異なります。

よってこの『出雲国風土記』の時代には、現在の祭神である事代主命も三穂津姫命も不在です。


御穂須須美命様がいますよ。


9百年の時が流れ

「併祭神御穂須須美命与御祖大穴持命、及御母奴奈支智比売命而、言三社大明神是也」(『出雲風土記鈔』天和3年(1683)/岸崎左久次)

天和3年(1683)当時は「三社大明神」と称していた、と。

「大明神」は神仏習合における仏教的な神の称号であり、後に吉田神道でよく用いられましたが、明治の神仏分離時に「仏教的なもの」として神社が自主的に避けるように。

『出雲風土記鈔』は年代は下るものの『出雲国風土記』を元にしているので、祭神は御穂須須美命と記しています。


しかし、他を見るとこの頃には『出雲風土記鈔』が例外くさい。

御穂須須美命に代わり、三穂津姫(三保津姫)の名前が現れます。


文亀3年(1503)の『神名帳頭註』(吉田兼倶)では、

「島根郡美保、三穂津姫也。一座事代主」

主祭神に三穂津姫、もう一柱に事代主神が出現。


「高皇産霊尊子三保津姫は大己貴命娶り給ふ。三保の明神是なりといへり」(『懐橘談』承応2年(1653))


「美保神社、三穂津姫・事代主命の鎮座なり」(『雲陽誌』享保2年(1717))


「三保関、三穂両大明紳、祭神一ノ宮みほつひめの命、ニノ宮ことしろぬしの命」(『出雲神社巡拝記』天保4年(1833))


「杷御穂須須美命、風土記。按風土記妙、配祀大穴貴命・奴奈宜波比買命。或云、祀事代主・三穂津姫二締、未魚執是」(『大日本史』「神祇十八神社十三/美保神社の條」)


『大日本史』には名前があるものの、「御穂須須美命」はどこへ?





しまいには、

「事代主神に三穂津姫を祭りしなり」(『出雲風土記考』横山永福/弘化3年(1846))

祭神の「三穂津姫(三保津姫)と事代主神」が、「事代主神と三穂津姫(三保津姫)」に逆転。


『出雲風土記』時代には、地名「みほ」を冠する「御穂須須美命」が主祭神であったものの、いつしか国譲りの「三穂津姫」「事代主命」が祭神に。

これが、御穂須須美命=三穂津姫、なのかは不明。



そこへさらに。

中世に普及した福の神「えびす」と事代主命が混ざって一体になった「えびす=事代主命」の民間信仰を神社側が取り入れ、

今は全国各地にある「事代主神を祀る『えびす社』3千385社」の「総本宮」として宣伝中。


ちなみに文献上初めて釣りをしたのが、事代主命=えびす、だとか。


私は眠いです。


参考文献
『出雲国風土記 全訳注 』(講談社学術文庫 / 荻原千鶴 )
『美保神社の研究』(弘文堂/和歌森 太郎 )
島根県立古代出雲歴史博物館「音曲の神さま-美保神社奉納鳴物(2014)」展示時のパネル・図録
その他、関連資料(図書館閲覧時にメモ忘れました)

参考サイト
「社家の姓氏・横山氏」http://www.harimaya.com/


いつも応援いただきありがとうございます。
ねちねちよろよろとしたお話で退屈ですね。すみません。お詫びにおにゅーの狛ちゃんを出してみました。えへ。出雲地域においては、『出雲国風土記』に記載の神社がいわゆる「式内社」的な存在になるようで、編纂当時に「あった」という事を示します。神話の世界からは距離を保ちつつ、せっかくよろよろしながら訪れた神社なのでちょっと調べてみました。

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No title

こんにちは。

美保神社、当地にもあります。こちらは「三保神社」。
でも社殿はそちらの方が数段立派。

女優の美保純さんは静岡市の出身。あ、関係ないですね。

No title

こんばんは~

神話の世界はチンプンカンプンです(@@)キュー
ごめんなさい。
広い本殿の中では狛ちゃも子狛サイズに見えますね^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

雨宮清子(ちから姫)様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

あ、三保神社。ちょっと検索したら、祭神は美保神社と同じようですね。面白いなぁ。

昔昔訪れたとき、三保の松原から見た富士山がとても素晴らしかったです。静岡、いいですねぇ。

美保神社の社殿は、拝殿がどーんっと大きいのでびっくりしますが、「事代主命=えびすさん」へ奉納する神楽や歌舞等を行う「音楽ホール」と思えば、なるほどな、っと。

昭和3年再建の設計士は伊東忠太。
橿原神宮・平安神宮・明治神宮・築地本願寺等も設計した人です。
あー、なるほど似てるわ、と思いました。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

すみません、単純にしたつもりなんですが、長かったですね。

祭神が変わるのは珍しくもないですが、出雲らしいお話を一ヶ所ぐらいは出しとこーっと思ったもので。こほ。

建物が巨大過ぎると、何が標準サイズかわからなくなりますわ。
狛犬さん、きゅっとするのに程よい高さと大きさでしたよー。
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