石見銀山(8)龍源寺間歩のありのまま

こんにちは。


バス停から徒歩徒歩して2.5km以上。

やっとたどり着いた龍源寺間歩(まぶ=坑道)。


横に他の間歩。


こわーい。


冷たい風が「坑道だぜっ」と言ってます。


ほら、上を見て。


ちょっと朽ちかけてますが、山神様。

ではまず、ありのままの龍源寺間歩を見ましょー。


真っ暗。


先程の間歩は中でドッキング。


ひんやーり。これぞ坑道。


いびつな形が昔の手掘り跡。


入れないわぁ。


生々しいです。


龍源寺間歩は、魚の背骨のようにメインの坑道があり、あばら骨のように細い細い坑道がつんつんと出ています。


どうかなぁ、幅は40cmもあるかなぁ。


鉄柵+足元に水=水牢、のイメージが。


ドラえもん体型の私はどっち向きでも入れません。むにゅー。


ずっとお水がじゃーじゃー流れる音がしてまして。


初めて少し開けた空間に出て、ほっと一息。

訪問時は雨上がり。
実は上からの水が頭や首筋に滴って「いやー!きゃー!」っとパニックになってました。

防水防塵カメラでよかったなり。


底が見えなくて、怖いです。


鉱脈に沿って掘ったんだなー。すごいなー。


ところてんを押し出す時みたいに、きっつきつになりそな狭さです。


酔いそうです。けろー。


後付けの通り道。


出口に到達。

あれ?あれれれれ?

お気づきでしょうか。説明は排水のとこひとつのみ。

あとは、ひたすらほっそいほっそい坑道を見るだけ。

出口近くのパネル説明まで案内が一切ないので、初めて坑道を見る方には何がなんやらさっぱりわかりません。

これが世界遺産の展示の方法なのかなー。

よく「石見銀山はわからない。洞窟があるだけ」と言われるのはこういった点にあろうかと。

事前によくよく学んでおかないと、面白くないです。


こんな楽しい生野銀山と大きく違う点でした。

次回、生野銀山の皆に登場してもらって、ちょっとだけ石見銀山の間歩を振り返ってみます。



いつも応援いただきありがとうございます。
油断するとあっという間に出口へ、ぴょこん。皆「?」なお顔をされてました。石見銀山は上級者向きというか、間歩というものを知っている前提で公開している感じがしました。よく見るととても面白いのに、ほんとにただの洞窟素通り。事前に世界遺産センターでお勉強して、ガイドさんの案内をお願いしないと、冗談抜きで辛いです。生野銀山へ先に行っておいてよかったです。でへ。

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No title

こんにちは~♪
坑道は細いですよね。
しかしよくあれだけの長さを掘ったものです。
銀採掘のためにヒ素まで掘っちゃったからネズミ退治にはよかったのかな(笑)

まり姫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

「石見銀山」といえばネズミ取りの代名詞ですね。
ただ、銅も多く出た石見銀山ですが、ネズミ取りの原料のヒ素は出てません。
石見銀山を管轄した大森代官所が同じく治めた津和野の銅山が高純度の亜ヒ酸産出しており、これを用いて著名だった石見銀山の名前をつけて売り出したのが、「石見銀山鼠捕り」(世界遺産センター内資料より)。

風評被害というか、あまりありがたくないモノですね、石見銀山には。

でもまぁ、ネズミ取りの名前を知ってる人は少なくなったし、ネズミもあんまり見ないし。
ゴッキーの方が根強く居座ってるのかなー。

No title

こんばんは。

どうも大きさの感覚が分からないんだけど、どう見ても狭~いんですけど。
つねまるさん、良くこんな所に入って行けましたね。
私、閉所恐怖症気味だから、とってもダメだと思う。
ああ、想像するだけで血の気が下がりそう・・・
こんな所で採掘をした人たちって、どんな気持ちだったんだろう。
仕事、それも強制されたようなものでしょう?
大変だったでしょうね。
あちこちに残っている間歩の入り口の小さい事!
。。。無理だわ。

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万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうですねぇ、えーっと。洋式便座と同じくらいの幅。
(あああ、何てものに例えてしまうんでしょ、私ったら)

メインの坑道は幅1mから2mほどで、高さは150cmから200cmかなー。
ところどころでかがみました。
生野銀山でおでこを激突したもので、用心用心。おほほほ。

採掘に当たった人々ですが、鉱脈を見極める目が必要なので、専門的な「技術職」です。

石見銀山では、家族総出あるいは農家の次男坊三男坊などあぶれた人などが雇われ(雇用関係を結び)、分業化された職種ごとに定められた時給や種々の手当などを銀で受け取っています。

江戸末期には「子供養育米」「銀堀御取囲」名目で米・味噌・大豆・塩・薬などの支給もありました。

銀山労働は厳しいけれど、あくまでもひとつの「職種」ですね。

小さな間歩には柵がされているので入れませんが、今ならカマドウマやコウモリがうじゃっといそうですよー。きゃー。

内緒様

涼しくなったから体調管理にはお気をつけあそばして。

ゆっくり寝るのがいいかもです。
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古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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