石見銀山(3)大久保長安逆修墓と猿楽大蔵座

こんにちは。


石見銀山に残る大久保石見守長安の逆修墓。

逆修墓とは、生前に建てたお墓。

大久保長安は、言わずと知れた「天下の総代官」。

初代石見銀山奉行。

諸大名と姻戚関係を築き、従五位下石見守に叙任され、佐渡奉行、所務奉行(後の勘定奉行)、同時に年寄(後の老中)、伊豆奉行等兼任。

家康の下で全国の金銀山の統轄や、関東における交通網の整備、一里塚の建設などの一切を任された人。(wikipediaより)


【大久保長安と能】


懐かしい画面ですなぁ・・・ほろり。

暮松新九郎(金春系)に能の手ほどきを受けた秀吉は、金春大夫喜勝の後継者である「金春大夫安照(金春流六十二世宗家)」に師事します。


(金春流の5つの丸紋が描かれた「五星」の扇)

金春流は、豊臣政権公認の流儀として各地の武将たちが追随。


少し時代を遡り、武田信玄のお話。



武田信玄の家臣団の中に、お抱え猿楽師が含まれています。


「観世大夫・大蔵大夫。両座あわせて(子役を入れて)五十一人。
大蔵大夫は名人といわれた。もっぱら、大蔵彦右衛門は脇、みますや弥右衛門は小鼓、こうの孫次郎、長命勘左衛門は狂言をした。そしていつもの客はもと美濃守土岐頼芸と旧近江の守護佐々木義賢の子、義治であった。この二人は国を追われて武田家に厄介になった。 」

(『甲州武田家臣団』土橋治重氏著)


これによると、シテ・ワキ・囃子・狂言方が揃い、金春に限らず観世もおり、かなりまとまった人員を抱えていたようです。

名人といわれた「大蔵大夫」が、「大蔵大夫十郎信安」。




信安の父・大蔵道入は春日大社で奉仕する大和猿楽金春座の猿楽師。

金春座の支流のうち名家なのは、大蔵座。

共に秦氏を祖とし、その後も血縁関係にある金春家と大蔵家は、相互跡継(跡継ぎがない場合、片方より入る)の関係にもありました。

道入の子のうち道違と道智はそれぞれ小鼓方と大鼓方の祖(現在の大倉流)となり、末子が大蔵大夫となります。

これが「大蔵大夫十郎信安」で、大和国から播磨国大蔵、そして甲斐国へ。



甲斐武田家の猿楽大夫(武田信玄お抱えの猿楽師)として仕えます。


【大久保長安と大蔵座】

信安の二人の男子は家臣に取り立てられておりました。

長篠の戦いで兄の新之丞は戦死。

唯一残った藤十郎は甲斐武田家滅亡後、(省略しまーす)、家康家臣に。

これが、大久保長安

慶長18年(1613)長安の死後、大久保長安事件。

長安の男児は連座で全て刑死したため、女系以外は血筋としても断絶。

これにより、甲斐における大蔵座は途絶えます。



そこで、金春家と大蔵家の、「相互跡継」発動。

金春座の大夫・禅曲の三男、庄左衛門氏紀(うじため)が長安の養子となって大蔵座を継ぎます。

庄左衛門家流の創設です。(『大蔵大夫相伝次第』)



庄左衛門家流大蔵座は再び上方に戻り、仙台藩お抱えとなり明治時代まで存続。

後に廃絶。

伊達吉村が創始した金春大蔵流が登米町に「登米能(薪能)」として現在も残り、宮城県の無形民俗文化財の指定を受けています。

いま、どうなっているのかな。


【石見銀山、大久保長安】

初代石見銀山奉行。

長安が開発した大久保間歩は、石見銀山では最大規模。


(これは生野銀山の手掘り跡)

大久保間歩は世界遺産センターからツアーでのみ見学可。
三時間ほどかかりますが、写真を見たところ坑道を体感するにはおすすめ。


さて、長安。

長安は6回ほど石見銀山を訪問。

晩年に入ると、全国鉱山からの金銀採掘量が低下。

金の切れ目が縁の切れ目。

代官職を次々と罷免され、慶長18年(1613)4月25日、中風のため駿府で死去(『駿府記』)。

長安死後、不正蓄財と謀反の企みありとして、長安の7人の男児と腹心は全員処刑。家財没収。(大久保長安事件)

本多正信・正純父子の陰謀説あり、ですな。


長安が、慶長10年(1605)に建立した正覚山大安寺。


今は廃寺。荒れ荒れ。


はて?


どきどきします。


「史跡石見銀山遺跡 大久保石見守墓」


長安の逆修墓(五輪塔。向かって右)と寛政6年(1794)建立の紀功碑

紀功碑は、第39代代官菅谷弥五郎が昔の繁栄の復活を願って碑文を書き、佐和華谷が文字を書いたもの。


大丈夫なんだろうか。どきどき。


墓所までの道は整備されてます。


参考文献

『能楽談叢』(横井春野著/サイレン社/昭和11)
国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1257024

『能楽全史』(横井春野著/檜書店/昭和5)


いつも応援いただきありがとうございます。
暑いー!!もう、じめじめしてお部屋にキノコが生えてしまいそう。9月下旬だとはとても思えないですねぇ。さて、大久保長安。死後の不名誉が何ともお気の毒で、ほろほろです。墓所はお寺がなくなってしまったので、他の墓石が点在する有り様ですが、長安の墓所への道はお手入れされていました。

にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ


お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

おはようございます

八王子で、以前大久保長安の墓だか、
寺だか、千人同心縁だったか、忘れましたが、
結構、話に出てきました。

この鉱山シリーズに何時書かれるか待っていました。
出自もなかなか、ユニークですね。
没後に悪人にされましたが、私は好きな人物です。
江戸初期に、徳川政権を磐石にしたのですからね。

No title

またしても無残な廃寺跡。
このまま自然に埋もれていくのでしょうか。

長安が伊豆にいたとき、何かの折に即興で舞ったという話が伊豆に残っています。ちょっと素敵ですね。

No title

こんばんは~

大久保長安が武家の出ではないことまで知ってたんですが、こういう家柄だったとは知らなかった^^;
昔、読んだ小説だと大久保長安謀反説を採用してました^^
権限が凄く集中してたから、逆に邪魔に・・・・( ̄ko ̄)
長安は一族も最期が気の毒ですね。

ぽちぽちぽちーーー☆彡

one0522様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

八王子なら、長安が陣屋を置いて土木工事をしたことと、国境警備のために新設した八王子千人同心だと思います。

近藤勇の家もこれのひとつですね。

石見銀山のガイドさんに、大蔵大夫の大久保のお話をしたところ、「かわらこ×○」の出身にしてことさら貶めようとした後付けのお話なんだよね、と言われて激しく動揺しまして。

そりゃま、猿楽がはじめっから今のようなものとはこちらも思っていませんが、この人はなんてお気の毒な方なのかしらと悲しくなりました。

石見銀山にとって大久保長安がいかに重要な人物であり、死後の不名誉がいかに残念なことだったかはわかりますが、こんな言葉がぽんっと出た上に通説まで真っ向から否定する根拠を持っているのかどうなのか、これが世界遺産ガイドかと、ほんっとにびっくりでした。

譜代でも武家でもない長安が自身の才覚で初期の徳川幕府を支えた事実があり、長安のすごいところはこの点なのになー。私も好きなのになー。

雨宮清子(ちから姫)様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

鉱山にはお寺が多いものですが、石見銀山は廃寺の割合が高かったです。
自然災害か明治のノリノリなのか、注意しないといけないなぁと思います。

大久保長安の墓は石見銀山にとって大切な人物のものなので、墓所そのものが朽ちることはなかろうとは思いますが、見渡しただけで数十以上あった古いものはこのまま山に帰るのかなと感じます。


>長安が伊豆にいたとき、何かの折に即興で舞ったという話が伊豆に残っています。ちょっと素敵ですね。

あら素敵なお話。

恐らく子供の頃から習わされていたと思うので、基本が出来た舞姿だったろうと思いますの。

こういったお話はなかなか出会えないので、とても嬉しいです。
貴重なお話をありがとうございました!

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

卑しい身分の出でー、って露骨に書いてある小説もありましたわー。
ばかー。

大久保長安謀反説は、私も読んだことあります。
何だったかな。

ちょっと権限が集中し過ぎましたね。
そりゃ邪魔な人もいたでしょうし、ねー。

大久保長安親子のことは、金春流宗家でも大蔵大夫として記録に残しています。

前コメのお返事に書きましたが、石見銀山ガイドさんから飛び出した放送禁止用語にかなり凹んだりびっくりしたり。

言葉は注意しないといけない、なのだわー。

おはようございます

昨日はコメントありがとうございました。

これから近くにある東寺に向かいます。
一日晴れてくれると嬉しいのですが・・・

No title

こんばんは。

大久保長安の遺子たち、7人も殺されたんですか。
言葉もありませんね。
徳川家のために、頑張ったのに。
昔の連座制にはついていけないわ。
よほど憎まれていたのか、恐れられていたのか。

しずか様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

雨模様の天気予報でしたが、晴れて暑いですねー。
今ごろはせっせとあちこち巡っておいでのことかと。

また更新を楽しみにしてます♪

万見仙千代様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

三成もそうですが、優秀過ぎる人は妬まれやすいものなのかなぁと思います。

大久保長安は、人とは違う分野での才覚があり、それが特に家康の時に求められたものであったため、とんでもない力を持ってしまったのでしょうね。

禍根を残すなとは時代劇でよく言われてますが、まぁ、それにしてもお気の毒なお話です。
プロフィール

つねまる

Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

◎画像の著作権は放棄しておりません。
◎画像と記事の無断使用厳禁!!
◎丸パクリには断固抗議する!!

◎リンク戴く際はご一報下さい。御礼させて戴きたく。
◎一言でもコメント戴ければすごーく嬉しいです。

尚、メールでのお返事は致しませんので、コメント欄をご利用ください。

宜しくお願いいたします。

参加してます♪
にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ
最新記事
カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
リンク
最新コメント
最新トラックバック
ブログ村さんに参加中
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ご来場御礼