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石見銀山(1)豊栄神社。毛利元就の木像と歴史がぎゅっと凝縮

こんにちは。

石見銀山でここは毛利さんちだと実感した場所が


豊栄(とよさか)神社

毛利元就の木像がご神体として祀られていました。

慶応3年(1867)までは洞春山・長安寺。曹洞宗。

洞春とは元就の法号で、元就のことを洞春公とも。

永禄4年(1561)山吹城内(※すぐそこ)に毛利元就が自分の木像を安置
元亀2年(1571)輝元が長安寺を建立。木像を移したと伝えられています。

ここは、毛利さんとこ。



そして、関ヶ原。

石見銀山は徳川が治め(江戸時代は天領)、長安寺は荒廃。
元禄4年(1691)に毛利家は木像を本藩へ引き上げ。

ただ、付近住民の懇願により毛利家は新しい木像を安置。

慶応2年(1866)第2次長州戦争。

毛利氏を藩主とする長州藩の隊士達が天領石見に侵入。

長安寺の境内が長州藩の本陣となり、荒廃した本堂になんと毛利元就様の木像があり、みんなびっくり。

お金を集めて境内を整備。
霊殿の造営や鳥居、石燈籠、狛犬などを寄進。


「第三大隊弐番中隊」


石灯籠の裏に盃状穴。この辺りではあまり見なかったです。


「勇力隊中」


戸締まり用心火の用心?


明治3年5月。長安寺は豊栄神社へ。

元就には正親町天皇の即位を援助したことがあり、明治2年2月2日に元就に朝廷より「豊栄」神号を与えられたことと、

神仏分離令と廃仏毀釈運動により仏式が廃され豊栄神社に。


何でしょう。


おおおお。


こまちゃんっ。


こまちゃん心からの叫び。


わかった、お賽銭ねっ。


元気な子です。


よーしよしよしよしよしよしっ。


台座に「中隊司令祖武信頼」以下隊士達の名前。


今は、拝殿。

ちゃりん。


ぎょ。


狛犬の苦悩。


気分転換も大事よ。


こちらに木像を安置して

してた、だそうです。
どうもガイドさんの話では再度木像を安置したものの、戦後は国から神社に出すお金がなくなり、氏子がおらず荒れ荒れになり、毛利家から木像を引き上げられたようです。

「毛利元就公の木像がご神体として祀られていました」と石見銀山ガイドにも書かれています。
http://www.ginzan-wm.jp/spot/1485

それでもなんとか維持しようと努力されています。
とてもとても大変なことだと思います。


「毛利元就公菩提所御木像安置、洞春山長安寺」の石碑。


なんだか踏んだり蹴ったりの印象がある豊栄神社ですが、

それは元就の木像を安置していたからこそ。
ここから感じる歴史の流れがとても興味深かったです。


うふふふ。


豊栄神社由緒などは、「大田市観光サイト石見銀山ウォーキングミュージアム」と現地説明を参考にしました。
http://www.ginzan-wm.jp/spot/1485


いつも応援いただきありがとうございます。
江戸時代の石見銀山は天領。関ヶ原の時のもやっとしたものがもやもやっと続いている感じがしました。背景を知らないと「荒れた神社」としか感じないので、現地の説明は必須だなぁと実感します。毛利家家紋の場所をガイドさんが「?」でしたので、「ここ」とお伝え。随神門の真正面。お社巡りが少しお役にたちました。

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お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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非公開コメント

切ない光景

なんか、切ないですね。

明治維新の歴史として再興すればいいのになあ。

私はヨボヨボになったら、どこかの堂守になるのが夢なんですが、ここでは怖くてダメそうです。

No title

こんばんは~

毛利家紋が何となくお洒落に配置されてますね^^
ここの狛ちゃも可愛い^^

元就公の木像があって、ビックリ仰天だっただろうなぁ^^
歴史って面白いなぁって思います^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

雨宮清子(ちから姫)様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんです。なんか、切ないです。

尼子氏との攻防戦を経て毛利氏が手に入れ、数百年を経てまた毛利氏ゆかりのお寺として花開くかと思えば、あれれれ?

何をするにしても先立つものがないといけませんので、辛いところですね。

あいにくの天気だったので怖く見えますが、晴れたらもっと明るい、かなぁ?いや、明るい、はず。

観光ガイドが社頭で説明しておしまい、なのはもったいないなぁと思いました。
距離があるから先を急ぐのは仕方ないとはいえ、ここは石見銀山の歴史を語るのにとてもいい素材だと思います。

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

毛利家の家紋を見ることは関西ではあまりないので、とても新鮮でした。あー、来たんだわ、遠くまで私来たんだわ、っと実感です。

狛ちゃん、子犬みたいにむくむくしてかわいいですね。
荒れ荒れの中、この子達だけ元気でした。

きっと元就の木像のことなんて、忘れられてたのでしょうね。
そりゃもう、ほんと、さぞかしびっくりしたことかと。

天領の中におったんかー!?うわーうわー!っとか。

ほんと、面白いです。

豊栄神社

つねまるさん、こんばんは。いつもお世話になります。

島根県は出雲市より西には行ったことがないのですが、こんなところにも廃仏毀釈の傷あとがあるのですね。随分荒れていますが、これから先、神社を修復することができるのでしょうか。

地域社会や経済が活性化して寄付でも集まればよいのですが…。

しばやん様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

大阪から気絶しつつ走りました。米子道から山陰道、9号線を走るだけの単調な道は睡魔が襲います。

金山彦命を祀る佐毘売山神社等、石見銀山には数社のお社がありますが、それと同じようにかつてはお寺も数多く存在していました。

鉱山で働く人々の短命さは周知の通りで、それを弔うお寺が必須であったこと、また仏様への信仰も厚かった点は、佐毘売山神社の神宮寺の門等を他へ移されたことからもわかります。

間歩までの数キロの間に廃寺となったものが多くて、驚きました。その理由は自然災害もあるので、注意してひとつひとつ調べているところです。

豊栄神社は、元就が朝廷より神号を賜ったことで木像を神体として祀るため神社になった、との話もありますが、要は、神仏分離の一環でしょう。

ガイドさんは、明治になってお寺より神社が格上になったから、神社になった、とかちょっと意味不明なことをおっしゃっていましたが、これは苦肉の策でしょうか。

どうも絡まれた経験があるようで、とても言葉を選んでいらっしゃいました。

豊栄神社が荒れているのは、元就の木像を安置していた事から天領下で荒れた長安寺を、長州藩祖の元就木像があると知った藩士達が慌てて整備したものの、そんな経緯ですから氏子さんはおらず。

ボランティアで危険な所だけ整備したそうです。

世界遺産とはいえ、石見銀山は背景の歴史や認定の理由を知らないと全く意味をなさないものなので、バスツアーでワーっと来た人はひたすら歩かされたあげく、何もない洞窟を見させられた、と感じます。

数年前訪れた時はまさに世界遺産バブルでおおわらわ。
落ち着いた今の観光客数がキャパぎりぎりだそうです。

寄付を待つより、この神社の存在意義をもっと行政が重視し、予算配分をするべきだと思います。

ご神体を引き上げられたお社を誰が崇敬するでしょうか。
ここは神社ではなく、石見銀山の歴史を語るのに必須な「史跡」「遺構」だと思います。

地元のボランティアが頑張るべきはソフト面であって、ハード面にまでそれを求めるのは酷だと思いました。

No title

なるほど…勉強になりました…
狛犬のセリフの文字は白で縁取りすれば見やすくなるんですね!(←そこ?
今回真似してみたけど失敗しました

yuki様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

さようでございます…写真はいろんな色がのってるので、白で縁取りすると区切れが出来て見やすくなるようです…。

yuki様宅の狛犬さんもつっこみ出しましたね。

うふふふふふふ。

とってもかわいかったですわ♪
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Author:つねまる
史跡をちょろ見しながら、景色を楽しむゆっくり旅。地味。

古典芸能の能楽の、謡と仕舞のお稽古ぐだぐだ日記も。

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