鹿野城と鹿野の町。山中鹿介墓所のある幸盛寺へ

こんにちは。


さて本日のスタートは、鹿野城のお堀。


切れてますが背後のお山に、山城。


手前の右下、まぁるいとこ。

鹿野城。

「築城年代は定かではないが志加奴氏によって築かれたと云われる。 志加奴氏の出自は詳らかではないが、因幡国守護の山名氏に属していた。

天文12年(1543年)に尼子晴久が因幡へ侵攻したさい、志加奴入道は鹿野城に籠城して討死している。

尼子氏が衰退して毛利氏が台頭すると鹿野城も毛利氏に属したが、天正9年(1581年)羽柴秀吉が鳥取城を攻めたとき、配下にいた旧尼子家臣の亀井茲矩が鹿野城を攻め落とした。茲矩はこの功によって一万三千八百石が与えられ鹿野城主となった。

(中略)

元和3年(1617年)亀井政矩は石見国津和野へ転封となり、鹿野藩は鳥取藩池田家の所領となり、鹿野城も廃城となった。」

※『城郭放浪記』様より引用
http://www.hb.pei.jp/shiro/inaba/shikano-jyo/


そんな鹿野城下の町は小京都の趣。


「京風千本格子」です。釘を使用しない「木組み」で出来ています。

建物自体は近世のものながら、

鹿野の大工技術は、応仁の乱(1460年代)の頃、戦乱を避け京都の山城地区から宮大工が移り住んだことから、京風の技術が伝わったとか。(鹿野町観光案内より)


亀井茲矩

鹿野藩初代藩主(3万8千石)。

江戸時代。幕府の朱印状を得てシャムと交易を行なうなど、東アジアに注目していた人。



生まれは出雲国八束郡湯之荘(現在の島根県松江市玉湯町)。

尼子氏の家臣・湯永綱の長男。

同じ尼子氏家臣であった山中幸盛の養女(亀井秀綱の次女)を娶り、亀井姓を名乗ってその名跡を継ぎました。(wikipediaより)

つまり、山中幸盛は亀井茲矩の義父。

で、山中幸盛って誰。


そうそう、しちてんばっ・・・違います。


尼子氏再興に命をかけた、はた迷惑な 熱い人。

山中鹿介、の名で知られていますね。

この鹿野城下に、


こちら。迷子になってました、私。


茲矩が鹿介の菩提を弔うため既存の寺を移築。

「山中鹿介幸盛」から2字をとり「幸盛寺」と改めたお寺。



幸盛の尼子氏再興運動を後援しようとしたのは、


生野銀山に目をつけた山名祐豊(やまなすけとよ)。

備後・伯耆・因幡を侵しつつあった毛利氏に対する防御と失地回復のために幸盛を支援しようとするも、信長の勢いに負け、支援ならず。

ざんねん。

幸盛はものすごく頑張ります(!)が、最終的に上月城の戦いで敗北。

人質となった幸盛は、備中松山城に在陣する毛利輝元の下へと連行される途中の備中国合(阿井)の渡(現在の岡山県高梁市)にて、毛利氏の刺客により謀殺されます。(wikipedia)



亀井茲矩は義父の「山中鹿介幸盛」の菩提を弔うため、境内に幸盛の墓と、幸盛の甲部川の難に殉じた13勇士の墓を建立。


山中幸盛の墓所。

尼子氏再興運動は幸盛の死により終息。

ところがどっこい。

上月城陥落時、亀井茲矩が率いる尼子氏遺臣団の一部隊は秀吉に従属。


鹿野城主となった亀井茲矩。



尼子氏遺臣団はこの亀井氏の家臣団として関ヶ原で東軍、徳川幕府時代を生き延び、幕末。

おめでとう。


亀井茲矩により造られた水路は今も、町の中を流れています。


鹿野町には鹿野温泉があります。


いつも応援いただきありがとうございます。
鹿介墓所があるから鹿野町、ではないです。しかしまぁ、亀とか鹿とか。何となく、うふふ、な町。車から降りたら雨がしとしと。うすぐらーい画像ですみません。案内の矢印はあるんですが、道が入り組み、まいご。お寺の門が道からかなり引いていたので、なかなか見つけられず、右往左往。お月さまは私にまで七難八苦を与えなくていいです。ぷん。

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非公開コメント

No title

こんにちは~

>山中幸盛は亀井茲矩の義父。

( ゚д゚)ンマッ!!
繋がりがあるとは全く知らなかった。

迷子、大変でしたね。
知らない土地で迷ってパニックになりませんでしたか?
無事についてよかった^^

ぽちぽちぽちーーー☆彡

No title

「願はくば、我に七難八苦を与へたまへ」

剛毅と言ひますか、こんなこと普通言へませんよね。恰好よすぎです。

鹿野温泉、趣があつて良い感じの町並みですね。鹿介の菩提寺もあるんですね、行つてみたいな。

さういへば、京都の寺町、あれはたぶん御霊神社から下賀茂神社へと歩いてゐるときに、鹿介の墓所があつたやうな記憶があります。思ひ違ひかな、寫眞がない・・・。まあ、こちらの幸盛寺が正式と言ひますか、由緒のある墓所なんですね。
さうか、亀井矩茲を鹿介の菩提を弔ふ為に建立したのですか、これは行かねばなるまい。

No title

ハムの人が思い浮かぶ(つかそれしか思い浮かばない)鹿介さん…。

ところで、最初と最後の画像のカワイコちゃんはどちら様でしょうか。
すごくかわいいですねー。メロッと来た(*´з`)

時乃★栞様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

そうなんですよ。義父+尼子家臣なんて濃ゆいご関係がある人がいたんですね。

町のなか、城割りのせいなのか、碁盤の目になってるかと思えばフェイクがあって、しかも、「あっち→」の標識はあるのに、「ここ」がないという。

そこらにいた方に泣きべそかきながら聞きましたよー。

行きにこれだけ迷ったから、今度は駐車場へ戻るのが至難の技で。
冷や汗びっちょりでした。ふぅ。

橘右近大夫様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。

七難八苦を願っちゃうから、文字通りたいへんなことに。

しかし、実際に言えるかと尋ねられたら「やだっ」ですよね。

鳥取から南下して鷲峯神社へ行く途中に、鹿野の町があります。
三徳山三佛寺(岩場に国宝投げ入れ堂があるとこ)への道中にも当たります。

終点は三朝温泉。

鹿介の墓所、wikiってみたら、京都にもあるようですね。
あちこちでお参りされて、びっくりしてるかも。

鹿野へ訪れようと調べるまで、鹿介墓所の事は全く存じませず。
いやぁ、うろうろしてみるものですね。

さかした様

こんにちは。いつもご多忙の中のご訪問とコメントありがとうございます。お返事が遅れてごめんなさい。

そう、私もハムの人しか思い浮かばなくて。
いいのか悪いのか判断は分かれる人だと思います。

カワイコちゃんは、鹿野城のお堀にたたずんでいた子です。
何かいわれがあるかもしれませんが、かわいくて。

メロッときました?んふふ。
さかした様にメロッと来させるとは、強者ですなー。
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