渡御前神社。神武天皇の頓宮跡も容赦なし。神社合祀でうはうは
こんにちは。
【神社合祀に関する勅令】
「府県社以下神社神饌幣帛料供進ニ関スル件 (明治39年4月30日勅令第96号)」
⇒府県社、郷社、村社に対して公費で幣帛料を出す。
「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年8月10日勅令第220号)」
⇒一村一社にまとめた残りの神社の財産は、神林を含めて処分。
その利益を以て神職の給与の原資とする。
結果、「しょーばいしょーばい!」な怪しげな者達により神社は簒奪されることとなり、明治44年6月25日の状況は(「神社合祀に関する意見」南方熊楠)
和歌山県では現存神社790、滅却神社2923。1/4.7に減少。
三重県では現存神社942、滅却神社5547。1/6.8に減少。
長野県では、1/1.2、埼玉県では1/2.1。
最終的に全国では、約20万社のうち7万社が合祀されて取り壊し。
神社合祀第1位は、三重県。県下全神社のおよそ9割が廃され。
次いで、和歌山県、愛媛県。(wikipediaより)

この神社合祀に立ち向かったのが、南方熊楠。
今日は、新宮市の神社合祀のお話。
南方熊楠『神社合祀に関する意見』
次に新宮には、ちょうど一昨年中村氏が議会へこのことを持ち出さぬ前にと、万事を打ち捨てて合祀を励行し、熊野の開祖高倉下命(たかくらじのみこと)を祀れる神倉社とて、火災あるごとに国史に特書し廃朝仰せ出でられたる旧社を初め、新宮中の古社ことごとく合祀し、社地、社殿を公売せり。
その極、鳥羽上皇に奉仕して熊野に来たり駐(とどまり)し女官が開きし古尼寺をすら、神社と称して公売せんとするに至れり。
もっとも如何いかがに思わるるは、皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前(わたるごぜん)の社をも合祀し、その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み、藪中の筍を売り、その収入を私すと聞く。
和歌山県新宮市。国道42号線から狭い道を入った突き当たりに、

神武東征の折の神武天皇の頓宮(とんぐう/仮宮)跡と伝わる地。
それが

「皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前(わたるごぜん)の社」です。
合祀年代は早く、明治4年。
古来より速玉大社末社と記されており(江戸時代の古書/現地説明板より)、合祀先は熊野速玉大社。
昭和46年5月2日に再建。
いわゆる「合祀された」側が元の地へ里帰りした「再祀」です。

地元の人々の努力によって、戻ってきたのね。
参道には、地元の方の心尽しのアジサイが。

横は権現山の岩壁。
「その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み」と熊楠が言う滝は、どこだー。
それは、周辺の皆様が「龍鼓(りゅうこ)の滝」と呼ぶ、雨天時のみ現れる幻の滝。
山腹は4年ほど前に落石があったため、神武社保存会や御渡町内会の方が嘆願したところ、近畿中国森林管理局和歌山森林管理署が国有林のある権現山の山腹工事の一環として「ポケット式落石防止網工」を施工。落石防止のネットを張りました。
(紀南新聞/2015.10.27)
http://www.kinan-newspaper.co.jp/history/2015/10/27/04.html

最近、きれいに塗り直してます。

おかえりなの。

時季になれば、たけのこがにょきにょきしそうです。
「藪中の筍を売り、その収入を私すと聞く」とは、なんとみみっちい。

祭神は、神武天皇。
現在は、熊野速玉大社(境外)末社。

きれいにお手入れされた境内です。
でも、「その跡地なる名高き滝」を私宅に取り込み、「藪中の筍を売り、その収入を私」した神官の家があったんだろうなぁ。むかっ。

住宅街の間に残る不自然に豪華な石畳。
昔の参道ならいいですが、神官が家まで敷いたなら(自主規制)。
こうして現地に立つと、南方熊楠の言葉通りのものがありました。
合祀された神社跡や、再祀された神社を探すのも熊野旅のテーマになりそうです。
参考サイト
青空文庫「神社合祀に関する意見/南方熊楠」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/525_47860.html(引用)
底本「南方熊楠コレクション第五巻/森の思想」(河出文庫/河出書房新社/1992年3月10日初版発行・1992年5月15日再版発行)
底本の親本/「南方熊楠全集 第七巻」(平凡社/1971年8月9日)
いつも応援いただきありがとうございます。
おかげさまで昨夜は真っ白なお肌のまま過ごすことができました。でも油断大敵。健康な生活を心がけます。さて、こちらの神社。個人所有地の奥ですが、土地所有者も協力的なため、雑草など刈り開き観光拠点のひとつとしたいと町内会さんたちは意欲的だとか。ちょーっと道幅が狭いので、国道沿いのパーキングに車を置いて歩くのがおすすめです。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
【神社合祀に関する勅令】
「府県社以下神社神饌幣帛料供進ニ関スル件 (明治39年4月30日勅令第96号)」
⇒府県社、郷社、村社に対して公費で幣帛料を出す。
「神社寺院仏堂合併跡地ノ譲与ニ関スル件(明治39年8月10日勅令第220号)」
⇒一村一社にまとめた残りの神社の財産は、神林を含めて処分。
その利益を以て神職の給与の原資とする。
結果、「しょーばいしょーばい!」な怪しげな者達により神社は簒奪されることとなり、明治44年6月25日の状況は(「神社合祀に関する意見」南方熊楠)
和歌山県では現存神社790、滅却神社2923。1/4.7に減少。
三重県では現存神社942、滅却神社5547。1/6.8に減少。
長野県では、1/1.2、埼玉県では1/2.1。
最終的に全国では、約20万社のうち7万社が合祀されて取り壊し。
神社合祀第1位は、三重県。県下全神社のおよそ9割が廃され。
次いで、和歌山県、愛媛県。(wikipediaより)

この神社合祀に立ち向かったのが、南方熊楠。
今日は、新宮市の神社合祀のお話。
南方熊楠『神社合祀に関する意見』
次に新宮には、ちょうど一昨年中村氏が議会へこのことを持ち出さぬ前にと、万事を打ち捨てて合祀を励行し、熊野の開祖高倉下命(たかくらじのみこと)を祀れる神倉社とて、火災あるごとに国史に特書し廃朝仰せ出でられたる旧社を初め、新宮中の古社ことごとく合祀し、社地、社殿を公売せり。
その極、鳥羽上皇に奉仕して熊野に来たり駐(とどまり)し女官が開きし古尼寺をすら、神社と称して公売せんとするに至れり。
もっとも如何いかがに思わるるは、皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前(わたるごぜん)の社をも合祀し、その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み、藪中の筍を売り、その収入を私すと聞く。
和歌山県新宮市。国道42号線から狭い道を入った突き当たりに、

神武東征の折の神武天皇の頓宮(とんぐう/仮宮)跡と伝わる地。
それが

「皇祖神武天皇を古く奉祀せる渡御前(わたるごぜん)の社」です。
合祀年代は早く、明治4年。
古来より速玉大社末社と記されており(江戸時代の古書/現地説明板より)、合祀先は熊野速玉大社。
昭和46年5月2日に再建。
いわゆる「合祀された」側が元の地へ里帰りした「再祀」です。

地元の人々の努力によって、戻ってきたのね。
参道には、地元の方の心尽しのアジサイが。

横は権現山の岩壁。
「その跡地なる名高き滝を神官の私宅に取り込み」と熊楠が言う滝は、どこだー。
それは、周辺の皆様が「龍鼓(りゅうこ)の滝」と呼ぶ、雨天時のみ現れる幻の滝。
山腹は4年ほど前に落石があったため、神武社保存会や御渡町内会の方が嘆願したところ、近畿中国森林管理局和歌山森林管理署が国有林のある権現山の山腹工事の一環として「ポケット式落石防止網工」を施工。落石防止のネットを張りました。
(紀南新聞/2015.10.27)
http://www.kinan-newspaper.co.jp/history/2015/10/27/04.html

最近、きれいに塗り直してます。

おかえりなの。

時季になれば、たけのこがにょきにょきしそうです。
「藪中の筍を売り、その収入を私すと聞く」とは、なんとみみっちい。

祭神は、神武天皇。
現在は、熊野速玉大社(境外)末社。

きれいにお手入れされた境内です。
でも、「その跡地なる名高き滝」を私宅に取り込み、「藪中の筍を売り、その収入を私」した神官の家があったんだろうなぁ。むかっ。

住宅街の間に残る不自然に豪華な石畳。
昔の参道ならいいですが、神官が家まで敷いたなら(自主規制)。
こうして現地に立つと、南方熊楠の言葉通りのものがありました。
合祀された神社跡や、再祀された神社を探すのも熊野旅のテーマになりそうです。
参考サイト
青空文庫「神社合祀に関する意見/南方熊楠」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/525_47860.html(引用)
底本「南方熊楠コレクション第五巻/森の思想」(河出文庫/河出書房新社/1992年3月10日初版発行・1992年5月15日再版発行)
底本の親本/「南方熊楠全集 第七巻」(平凡社/1971年8月9日)
いつも応援いただきありがとうございます。
おかげさまで昨夜は真っ白なお肌のまま過ごすことができました。でも油断大敵。健康な生活を心がけます。さて、こちらの神社。個人所有地の奥ですが、土地所有者も協力的なため、雑草など刈り開き観光拠点のひとつとしたいと町内会さんたちは意欲的だとか。ちょーっと道幅が狭いので、国道沿いのパーキングに車を置いて歩くのがおすすめです。



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