毛利と織田が争奪戦した岩屋。今は生しらす激うまです。淡路島。


岩屋は、古代より瀬戸内海航路の要所であり軍事上の要地でした。
岩屋の名は、「風土記」「続日本書紀」(石屋と記す)、「兵庫北関入舟納帳」(室町時代)に記されています。
源平合戦では、兵火に巻き込まれ辺り一帯を焼失。

1509年、大内義興が足利義植を奉じて京都に入ろうとした際に、絵島の山側、三対山山頂に「岩屋城」を築城。
(No imageです。だってすんげー藪なんです)
その後、天正年間(1573年から1592年)の織田VS毛利の海戦では、織田軍と足利義昭や毛利輝元の間で激しい岩屋の争奪戦が行われ、荒木村重が頻繁に手当て(政治・軍事両面の)をしています。


(古っ)。
関ヶ原後、池田忠興が淡路を領した際には、淡路島南側の由良に成山城を築城。岩屋城は廃城に。
その後。阿波国徳島藩主蜂須賀領となり、1643年に岩屋に藩邸を作り海上警固を厳重にします。
以降は明石と淡路島の航路の港町として栄えますが、明石海峡大橋の開通により現在は静かな港町の風情残る町となっています。
そして、4月下旬より岩屋では…

「生しらす丼」。
岩屋で水揚げした生しらす、激激うまですの。

おつゆ入れをどけなさい。

このあほーめっ!!
季節限定のうまうま食材です。淡路島では今年度は宿泊施設・食べ物屋さんなど48店舗で独自の生しらすをいただけます。
五つのこだわりの下、提供してくださいます。その中でも素敵なこだわり。
「一、水揚げ後『先取り』し、そのままの鮮度で瞬間冷凍する事
★水揚げ直後に地元加工業者へ持ちこみ瞬間冷凍する事でそのままの鮮度を閉じこめます。『先取り』とはセリをとばす画期的な取引方法。常識を覆すスピードを実現しました。」
→詳しくは 淡路島の生しらす さん をご覧下さい。(きゃー、リンクできたー)

道の駅あわじ海鮮館さんの、生しらす丼¥850
旬のお刺身と淡路島特産の玉ねぎのお味噌汁付き。
生臭さは全くなく、生しらすの甘味を味わえるここの素朴な丼が私は一番好きです。屋外のテラスで潮風に吹かれつつ食べると、また食べに来るぜ!っと誓ってしまうのです。

お金持ちにおねだりなさい。
いつも応援いただきありがとうございます。夏は生しらすに加え、沼島の鱧(はも)がうまうまですの。まさに御食國です。



ひとつ、増えました。すみません…ぽちぽちぼっち、ありがとうございます。
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