生野銀山(11)銀山と山師と山神宮

金香瀬坑(観光坑道)入口は明治にフランス式で積まれた石積。上に山の神様。

こんな高さのあるところに

きっちりと管理されお祀りしてあるのが強烈な印象でした。

観光坑道出口は、江戸時代の滝間歩坑坑口を再現。
木組みが鳥居になっています。

江戸時代後期の手掘り洞窟に、金山彦命を祀る山神宮の分祠。

ろうそくの灯りだけを頼りに狭い狭い坑道を掘り進み、落盤の危険と隣り合わせ。
山の神様を祀り、みんなの安全と山の繁栄を願う。
それが、

山神宮(山神社)。
銀山へ向かう途中の町から、川を渡ります。

ブロッコリーに埋もれそうです。
山神宮は、生野銀山に鎮座していた二社を合祀。
奥山神+口山神=現・山神宮(山神社)in 明治24年(1891)
産土神の姫宮神社に対し、こちらは山の神様。

おしゃれ石灯籠。
背後の瑞垣に「大蔵山」の文字。

文政5年(1822)「太盛山(たせいやま)」。
太盛山は、

手掘り洞窟の金山彦命を祀る山神宮の分祠に、御見石を奉納。
御見石とは、その年に産出された中で一番極上の鉱石。
質のいい石を産出した証し。
太盛山は、特に、明治の初めに金銀山として開発。

記念の石碑。
生野鉱山が宮内省から民間(三菱)へ払い下げられる時、生野町に6万9千円が下賜されました。
今のお金で、27億6千万円。

はて?

ひまそうですねぇ。

あははははは。

気を取り直して、山神宮(山神社)。

狛ちゃーん♪の手前に、「工作係職工中」奉納の文字。

狛ちゃーん♪の奥に、

「大亀山/漆垣太郎兵衛康信」
大亀山は、これ↓

大亀坑道入口と大亀ひ。
山師の漆垣太郎兵衛が登尾大亀山で、大亀が背中に銀石を乗せて這い出した夢を見た。
そこを掘り進むと、良質の鉱石が見つかりましたとさ。
文政10年(1827)に「御所務山」の認可。
※ごしょむやま:品質の高い鉱石がたくさん出る鉱山の中の最高位の山。役人が常時詰め監視監督にあたる。
天保元年(1830)に御見石を産出。

年に一度の山神祭に「御見石」を豪勢な飾幕で飾った山車に乗せ引き回しました。
この山神祭は、奥山神の祭礼。

こちらも、文政5年(1822)奉納。

太田治郎左衛門と足立太右衛門。
奥山神御宝前に飾る戸張(とばり=垂れ幕)の奉納者名にも名前が残るこのふたりは、「三大山師」に数えられる人。
当時の生野銀山三大山師は、
千珠山師 大野友右衛門
太盛山師 足立太右衛門
若林山師 太田治郎左衛門
千珠山は、近代まで優良な鉱石を産出した観光「金香瀬坑道」を有する山。

それが、この露天掘り跡(ひ:かねへんに通。樋のイメージで)。
「永禄10年(1567)堀切の山出来す。銀出ること夥し」(『銀山旧記』)
と記される生野銀山最大の鉱脈である千珠ひの一部で、非常に高品位の銀(自然銀)を産出。
江戸末期までの300年間で深さ200mまで掘られました。
このように、生野銀山に関わる人々の崇敬をいかに集めていたか、よくわかる境内。
とても興味深い山神宮(山神社)です。

ちび狛ちゃん、落ち着いて。
参考文献
『生野史(復刻版)/仏閣編』(原著:太田虎一/1996年)
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