生野銀山(10)産土神の姫宮神社、遷座の歴史。狛犬集合

口銀谷の町から川の対岸に見える姫宮神社。
生野代官所跡から徒歩圏内で、市川が大きく蛇行する内側の山の上に鎮座しています。

橋を渡っておまいりします。

さっさと行けるから、階段。

きれいにお掃除された芝生。

整然とした境内です。

きゃー♪♪
阿ちゃんには、生野銀山の歴史を追いかけた今までの記事で、たくさんお手伝いしてもらいました。

叫んだり

おあいそしたり

叫んだり2。

ごめんよー。

こらこら。

コーギー狛犬。

それを言うなら、スイカかと。

【主祭神】豊玉姫命
【配祀神】素盞鳴命 大己貴命 軻遇突智神
【境内社】今宮社・春日社・川濯社・天神社・八万社
【由緒】
歴代の奉行や代官が産土神として崇敬したという姫宮神社。
応永34年(1427)但馬守護・山名時熈(ときひろ)が御立山に築城(生野城)の際に、城中鎮護の神として豊玉姫命を祀る。
天文3年(1534)大己貴命、慶長12年(1607)素盞嗚命を勧請。
永禄年間(1558-1569)社殿を生野峠山の西に遷座
天正12年(1584)銀山奉行・伊藤石見守の時、本町4丁目に遷座。
天正15年(1587)神道管領吉田家より、姫宮神社祀官・吉田左衛門尉盛継は神道裁許状を得て、吉田姓を与えられるも、吉田姓をはばかり三代目より山田姓に。(代々の裁許状あり)

狛ちゃんを探せっ。
慶長12年(1607)初代生野奉行・間宮直元は、生野の3神社に領地を寄進。
姫宮神社に10石、愛宕神社に7石、内山権現宮(熊野神社)に3石(寄進状現存)。
大火や洪水などの影響で口銀谷中心部の本町と宮町、絶峰(現在地)の地で遷座を繰り返します。
元和2年(1616)口銀谷2丁目玉翁院内に遷座。
寛永7年(1630)4月18日の町家の火災時に宝物、古記類を失う。
慶安2年(1649)類焼・煙害を避け、口銀谷字絶峯の麓へ遷座。
元禄11年(1698)口銀谷3丁目に遷座
宝永4年(1707)拝殿を建立。続いて幾度かの造営修理。
生野代官代々の崇敬を受けますが、明治へ。
明治6年(1873)10月、村社。
明治20年(1887)口山神を合祀
昭和2年(1927)1月、郷社
昭和11年(1936)現在地に遷座して社殿を新築。愛宕神社を合祀。

狛ちゃんを探せっ。

社殿の感じから、新しいだろなーっと油断した。

覆屋は後から増築されたのか、追い出されてしまったちびちゃん。

この子もいっぱいお手伝いしてもらいました。

お顔、初公開。

ずいぶん古く感じますが、昭和4年生まれ。

覆屋により通気と日当たりが遮られてしまったのかなぁ。

この子はだんだんお口が悪くなってしまって。

こら。

こらこら。

何でもございません。
参考文献
兵庫県神社庁「姫宮神社」
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6325001.html
参考文献
『生野史(復刻版)/仏閣編』(原著:太田虎一/1996年)
いつも応援いただきありがとうございます。
生野の町は人口の減少が大きく、お散歩中のおじさまは「立派なものを残すと、後の人達の負担になる」とか「ここもあと何年守られるかなぁ」と悲しい事をおっしゃるので、ほろりほろほろ。鉱山を閉鎖するということは、ひとつの町が消える事に繋がるのだなぁと実感しました。



お手数をおかけ致します。ありがとうございます。
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